土の上にも三年

農への道

近所の奇形菜の花

2012-05-07 07:39:02 | どうでも日記(雑記系)


見事な奇形。植物には興味を持つようになっているので良く観るんだけど、奇形にはなかなか出会えない。

奇形は遺伝子のエラーで確率的に必ず発生する。放射線による奇形を俺たちは「品種改良」などと称して日々食べたりもするが、自然発生的な奇形は「病気」「異常性」「公害」などの曰くとセットで語られやすい。

それゆえ自然発生的な奇形児に対して日本人の意識は冷たい。場合によっては「穢い」と罵られる。

でも確率的に必ず発生する。


原発からの放射性物質による奇形が今後どれほど発生するかは不明だけど、自然発生的な奇形と確率的に有意な差が生じるかもしれない。

区別はなかなか付かないだろうけど。

何かしらの奇形が生じれば何かのせいにしたくなるのは親心か。責める外部要因が無ければ自分を責める。でも確率的に必ず発生してしまう。

今は羊水検査の安全性も昔よりは高くなったとか。人間は産まない選択を出来る唯一の生き物だ。産まない選択は正しい場合もある。

でも自然ではそんなことしてられない。確率的に発生する奇形を恐れてタネを消極的にしか生らさない植物は無く、放射線の影響だろうと病気だろうと公害だろうと、確率的に生き残る可能性を高めるために大量の子孫を残し、環境にそぐわない子孫は消えていく。

もしかしたら奇形が環境に「より適し」、美味しい野菜として「品種改良種」と呼ばれ食卓に並ぶかもしれない。

人間だって同じだ。今ある人間の姿形が完全かどうかはわからない。環境に適すかどうかは自然が決めるしかないだろうね。

生き残りをかけて子孫を増やすこともせず、今ある人間の姿しか受け入れられないのは、環境に適していないことを示す自然からの愛かもしれない。

いつかトキのように日本人は保護されるのかね。

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