土の上にも三年

農への道

某附属中学という下心

2012-04-12 21:37:10 | どうでも日記(雑記系)
うーん、結構本気なのか、YUUTAが俺の母校(高校)の付属中学に入りたいと言う。2度目。

「塾行かないで行ける中学校ってどこかなぁ」っていうから、「塾行かないにしても対策しなきゃどこ(の要受験中学)にも入れないよ」と答えた。

なんか友達が数人?その中学を受験するということで、一緒の学校に行けたらなー、しかもラクして行けたらなー、ということらしい。ラクして行くって発想がいいね、親に似て(笑)

「先生に相談してごらん」っていうと、「んー、勉強するしかない、って言われそうじゃん」

「いや、そうじゃなくて、手続きとかあるからね」っていうと、「んー、なんか恥ずかしいじゃん」

をい(笑)やる気あんのかないのか。


前回そう言われた時は、「本気ならパパがどこの中学でも行かせてあげよう」とか偉そうなこと言ったものの、こっそり志望中学の過去問を調べて愕然。なんちゅうー難しさ(笑)

まぁ知識的な問題はどうでもいいんだよね。発想の問題がなかなか骨太だ。概ね、「~ですが、あなたはどう考えますか」とか「~という資料を見て、どうして~なのか、あなたの考えを書きなさい」とか、「~を調べるにはどうすればいいと考えますか、図Aを用いて説明しなさい」とか、はっきり言って小学生に答えられるものなのか疑問なんだけど(笑)

単純な正解を求める学問と言うよりも、正解が提示してある事項に対してどう発想するか、が問われる。ようは勉強しなくても受かる可能性あるし、勉強しても受からない可能性もあるわけで、対策するとしたら日頃からひねり具合を鍛えるしか無いと思うんだよね。


ちなみに数問解いてみたけど、解答例と同じにはならなかった。俺の解答は何点と評価されるのだろう(笑)

例えば特定パターンを持つ数列があって、それを特定パターンで括る時、もっと簡単に合計を出す方法を考えなさい、というものがある。単純に10個なら10個を足し算するだけでなく、特定パターンに当てはめると、より簡単な暗算で計算できるようになるのだが、複数の方法が見つかるのだ。

解答例は、数列の中の最小値を10倍して、定数となる差分を足す、というものだった。俺が考えたのは、最小値と最大値を足した数値と同じ数値になるペアを5個作れるから、毎回、最小値と最大値を足した数値の5倍になる、というもの。俺自身が点数つけるとしたらどっちも正解ではあるのだけど、おそらく添削基準があるだろうと思われるのが怖いところだ。

そんな問題がほとんど。イージーミスを無くすために解答を読み返す、という方法はほとんど必要ない。逆に言えば、フル思考で45分挑まなければ解けない量の問題ボリュームがある。問題数が3問の表現力問題なんかだと、45分で3問という、1問あたりに投じる思考量はかなり大きい。それを小学6年生が解く、っと(笑)


まぁYUUTAは記念受験でいいって言ってるんだけどね。ただ俺の時代と違って、中学校で付属に入らなければ高校で入学することが非常に難しくなるようになっている。しみったれた学校になったもんだ。

だからもし中学入試に落ちれば、ほぼ自動的に俺と同じ高校へ行くことが絶望的になる。中学はおろか高校だってどこでもいいって思うんだけど、そうは言ってもほんのちょっぴり、俺と同じ高校だったら面白いな、なんて下心。

んなもんだから、こっそり、対策できそうな本を3冊注文した。勉強っていうのは興味を持ってこそ意味がある。興味の無い分野については、いかに楽しいと思える部分を見つけ・広げるかにかかっている。興味の無い分野であっても、必ず自分の興味範囲のどこかに括れる“部分”があると思う。

それらをどれだけ子供の時に増やせるかが、将来を楽しめるかどうかにまで直結していると思うんだ。


RIEは、中学受験には賛成だけど、もし中学に受かったら常に勉強してなきゃならないから大変じゃないか、っていう。俺はなぜ?って聞いた。勉強したければすればいいし、したくなければしなきゃいいじゃん。

ついて行かなければ落ちこぼれる、とか、ついていけなくなる、とか、そういうのって本人が決めることだ。ついて行きたいなら勉強するだろうし、そうじゃないなら勉強しない。勉強してもついて行けないなら、それはそれで良い経験だ。親がしっかりと教えてあげればいい。「得手不得手はあるのだから、出来た出来なかったで考えるのではなく、どうやったら出来ないことでも楽しくやるか、だよ。」ってね。

もちろん子供と一緒になって、子供の出来ない分野に取り組むのもいい。むしろそれが一番いいかもね。でも俺はそうじゃないと思う。自身で、出来ない分野に取り組むために必要な原動力を探せるかどうか、だ。その原動力に働きかける事が親なり教育者の役目ではなかろうか。

これは企業であっても同じ。モチベーションアップを自ら出来るようにするシステムに、管理者は腐心すべきだろう。


最終的にできなくたって、それはそれでいいじゃん。楽しくやれば。人にとやかく言われるものじゃない。本人が不得手ながらも楽しく取り組めることが、本人にとって一番幸せでしょうに。

給料をたくさんもらうために楽しくないことにしがみつく姿ほどみっともない姿はない。同様に、勉強のための勉強をする姿は情けない。それを強いる教育者や親が子供をダメにしている。


どうもRIEは時々妙な教育論を展開する。彼女に言わせれば俺の考え方のほうが特殊だと言うのだけど(苦笑)

全部の出来ないことに楽しく取り組む必要もない。でも得意な分野だけ楽しく出来て、そうではない分野はつまらないからやらない、という思考を持ってしまうと、将来苦しくなるのはその人だ。好きな分野を徹底的に楽しくやりながら、それだけで生計を立てられる人というのはごく僅かなのだ。

多くの場合、1日のうちつまらないことを主にやりながら生きていく。しかし、そう考えてしまうのは楽しみ方を知らないからだと思う。そりゃ面白くないことはたくさんあるけど、楽しくないっていうのはもったいないと思う。

多くの人は楽しくないことを手段として、目的(お金・名声・成績)のため“だけ”に行使する。せっかく目的を遂行するだけの力があるのに、もう一工夫、楽しくないことでも楽しむ精神を加えれば素晴らしい人生が待っているのに。


出来ないのに楽しんでやっているとそのうち出来るようになる、という正のフィードバック効果を自分で作れるかどうかが人生で一番大切なのだと思う。好きこそ物の上手なれ。「でも俺はアレ好きじゃないしなー」、じゃなくて、アレに対する興味をどう自分から引き出すか、なんだよね。

学校で学ぶべきことっていうのは、どんな知識でも方程式でもなく、正しく苦難を楽しむ心意気だ。そのために無意味で空虚な知識と徹底的に対峙するのだ。無意味なことをひたすら続けるために、自分をどうコントロールするかを学ぶことこそが義務教育である。と、今おもった。今かよ(笑)


つまりですね、

>興味の無い分野であっても、必ず自分の興味のどこかに括れる“部分”がある

この“部分”を探す能力さえ養えれば、あとはハードル次第で子供は伸びるのであります。子供に体得して欲しいのはその能力だ。そのためには「出来た出来なかった」なんていう小さな問題に対して、褒めこそすれ、不安を与えたりしてはならないし、親が不安になったりしてはならないのだ。

日本の教育者も親も塾も企業の管理者も、この点で大きく間違っていると思っている。大卒であっても役に立たない人が多い理由もここだ。役立たずの上司が多い理由もここだと思うのでありました。

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