「つねさんぽ」は不定期更新 Since 2009

TSUNEAKI THE ADVENTURE Since 2009

最後の南海戦士・大道

2010年10月30日 | スポーツ

南海ホークスを知る最期の選手が、とうとうバットを置いた。

大道典嘉選手、お疲れ様でした。

巨人ではチーム一の飛ばし屋なため、わざとバットを短く持っていたという噂。

あの浮かせたような帽子の被り方は、オマリーか大道かという評判でした。

♪ ホークース ホークース 南海ホークス

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続週魔Ⅱ つねさんぽ散る

2010年10月29日 | 小ネタ

私はあせっていた・・・。

もっと、おもろなりたいと・・・。

気ばかりあせって生活は荒れていった。

場末の酒場で酔いつぶれ、弱いくせに道行く人に肩が触れたと因縁をつけ、いさかいとなったり・・・。

そんな私の心を知ってか知らずか、藤沢の白旗神社の交差点でまた悪魔が現れた。

悪魔「ユー、どうしたの?荒れているねぇ」

つね「おお、ちょうどよかった。社長、社長!!じゃなかった。いいところに来た。例のものをよこせ!!」

悪魔「ユー、また欲しいのかい?」

つ「そうだ、早くよこせったら!!AKD(悪魔ドル)はあるんだ!!」

悪魔「ユー、悪い事は言わないからやめたほうがいいよ。ユー、やめちゃいなよ」

私はありったけのAKDをつかませ、ひったくるように悪魔から薬のビンを取り上げると、むさぼるように薬を飲んだ。

悪魔「ユー、用法・用量を守って飲まなきゃ。ご利用は計画的に・・・。

つね「うるさい!!俺に指図するな!!」

これで俺は無敵だ。ハシダだって、クラモトだって、ミタニだって敵じゃないんだ!!

悪魔「ユー、あせっているのかい?」

つね「私が焦っている!?バ、バカな!!私は冷静だ」

そろそろ薬が効いてくるころだ。

つね「お、おおおおお~」

つね「オー、ポカホンタス!!」

つね「・・・。」

2度も同じ手を使ってしまった変だ。何か変だ。

悪魔「つねさんぽ。聞こえていたら、君の生まれの不幸を呪うがいい」

薬のビンを見つめなおした。

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「ヨ、ヨクスベール??」

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つね「あ、あああああ~!! シャア!!謀ったなシャアァァァ!!」

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悪魔は僕の心の中にいたのだった・・・。


10/25のお稽古

2010年10月28日 | 新6ブログ

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35周年式典に向けて、お稽古の日々です。

毎夜、夢にまで出てくるようになったお稽古風景。

もう一息です。がんばっていきまっしょい。

寒くなりました。風邪などおめしになさらぬよう頑張りませう。

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実行委員長さま、ingさん、D輔さん、梶村さん、EDK35の方々。大変お世話になっております。

渡る世間は鬼ばかりではないようです。

橋田ツネ子より


つねさんぽ #72 長後の富士塚

2010年10月27日 | つねさんぽ

土曜日に大学のOB会があり、藤沢へ行きました。

大学の駅は小田急の六会日大前駅(むつあいにちだいまえ)通ってた当時は六会駅でした。

それから日大は、日大という名前を駅名に付けたいと運動を起こし、「湘南日大前」という駅名にするように働きかけていました。

しかし、六会に愛着を持つ地元住民の猛反発にあい話は頓挫。何でも湘南をつけりゃいいって話じゃないと学生からもクレームがつき、出した結論は「六会日大前」となったそうな。

話はそれましたが、その六会日大前から小田急江ノ島線で二駅先、「長後駅」前に富士塚があると知った富士塚クライマーの私は、大学へ行く用と一緒に富士塚登山に出かけました。

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長後駅東口から歩いて1分の所に富士塚発見。

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草が生い茂る階段を登ると

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富士塚である事を示す石碑がわかりにくいですが、石碑上部には富士山講の印があります。

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となりは民家で、道行く人もスルー気味な富士塚でした。よく言えば溶け込んでいるという事でしょうか。

これで富士塚登頂完了!!

富士、15個です!!

Дддддд


OB会

2010年10月25日 | 日誌

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(写真は大学四年生当時の私)

土曜日は、神奈川県の藤沢にて大学時代所属していた写真研究部のOB会がありました。

普段の写真を見て多数の方がお思いでしょうが、

「これで、写真部!?」

言っちゃった・・・。

「それを言っちゃぁ、お終いよ」と寅さんがいう由もなく、私は元写真研究部員だったのです。

ただ私の当時の役割といえば、写真を焼く暗室の管理人みたいなもので、アパートと学校が近かったので、鍵を開け、鍵をかける生活でした。よって、写真活動はしておらず、快適な暗室をできるだけ使わせないように、他の部員が快適に講義のサボりの空間として利用してもらえるよう尽力してました。

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要するに不良部員だったわけです。でもそんな不良も副部長という役職を仰せつかり、改心もせずまたひたすら快適なサボり空間の提供に力をいれました。

当時のサークルは歴史はあるけど人数がいない。20人足らずの「少数精鋭」という今でもどこかの異業種交流団体の青年部の某ブロックみたいな事を掲げてました。

現在は、80人を超える巨大サークルとなり、一学年でも当時の全体の部員を上回る部員がいるそうです。

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36代部長さん、私の一学年上の先輩です。「生き残りの旧日本兵」の大ファンの1人です。

36代部長と私は、現在学生の頃の分を取り戻すかのように、何かと写真を撮ってます。36代の教えを請いながら。

なぜ、写真をまた撮るようになったのか?

答えは。

フィルムはめんどくさいが、デジカメは楽だから。

です。やっぱり不良部員ですかね・・・。

最後に言い訳がましく当時の部訓を。(本当は無かったが暗黙の了解ということで)

1.写真は自己満足である。

2.モノクロで撮れば一応作品風なものになる。

3.子供と老人と動物は反則だ。