雲の間にまに

日々想うこと感じたことをありのままに・・・

身は花と落つれども

2006-11-25 22:36:38 | Weblog
ありがとうございます、元気の森モリです

今日は、息子の合格をお願いしにお大師山に登りました。
お大師山の登り口にはお寺があります。
そして、
そのお寺の前にも黒板があります。


   身は花と
     落つれども
   心は香と
     共に飛ぶ
     
      弘法大師


黒板には、そう書かれていました。




どういう意味



考えながら登ると
お大師山のてっぺんまで、
線香の香りが漂ってきました。

私の願い
香の香りと共に
天高く舞い登り
どうか叶えてください

2006-11-20 22:41:58 | Weblog
昨日は大きな虹をみつけました

ほんとに
ほんとに
大きな大きな虹でした。

きれいな
きれいな
まあるいまぁるい虹でした。

画像は、イマイチだけど
ほんまもんはもっともっときれかったぞ

そういえば、
すごペンコンサートへ向かう道中にも
虹を見たの思い出した

10月にも、虹を見つけて
あんまり色がはっきりしすぎてて
「こんなしっかりものの虹はみたことない」
と思い、あわてて携帯のカメラで
ぱちぱち撮ったんだけど
写りが良くなくて
ブログ掲載あきらめたんだよね
あの時の虹の形は
今回の半分ほどだったけど
長い時間見れて、色が濃いのがすごかった

昨日の虹は、
大きさと半丸い形が最高にいい

すごペンコンサートの虹は
車を運転しながらだったので
しっかりみれなかったが
確かに見えた
そしたら、
お茶会で「虹☆彡」さんにお会いできた

雲の間にまに・・・虹・・・
ラッキー森モリです



自己愛と自尊感情

2006-11-19 01:41:03 | Weblog
ありがとうございます、森モリです。

“自己中”という言葉が、何年か前から
よく聞かれるようになりました。
自己中心的な性格の強い人のことやその行動をさして使う言葉ですよね。

勝手きままで、自分のことしか考えられない。
自分さえよければいい。
そう思う人は、増えてきました。

自己愛のかたまりなのです。

私は、この『自己中』な人は、許せるようになってきました。
だって、かわいいですよ。
かなりの幼児性が残り、
大人になっているのに、
精神的には子どものままでいるんです。

若い人から、私よりも年上の人まで
私のまわりにもわんさか存在します。

でも、「まだ、精神年齢は子どもやねんなぁ」と思うと
ほとんどのことは許せたり、おおめに見たりできるようになりました。
私も、成長したものです。

もう一つ、増えているタイプが、
一見、自己チューに見えるけれども、
その本質は、『人から見られる自分』というものが行動の中心にいる人。

人の目に映る自分がいいように映らないといやな人。
できない自分をだせない人。
人の輪の外にいる自分が許せない人。
はみださないように、はみださないようにしている人。
世間から見て、無理をして良い親を演じようとしている人。
などなど・・・

自己チューは、自己中なんやけど、
人から見られる自己チューな人→ということで、これも増えています。
この方は、すごくしんどいやろなと思います。
かわいそうになります。

どんな時にも、自分は自分。それでいいよという
自尊感情が、育っていないのでしょう。
人を信じることができず、不安でいっぱいなのでしょう。
ありのままの自分を愛することができないのでしょう。

だから、いじめが起こったり、自殺者が増えたり
不登校の人が増えたりしているのです。

全ての人に、うまく自尊感情を育てることができれば、
このような問題は解決できるのではないかと思ってしまいます。

「地球の最大の”悪”は、『自己嫌悪』」
そういわれる所以は、ここにあるのでしょう!

自己愛と自尊感情
似ているようで、違うのかな?

自分を信じ、自分を大事にすることができれば
きっと他者も信じ、他人を大事にすることができるようになり
あたたかい社会が再生できるんじゃないかなぁ

それでも自分を許せませんか?!

2006-11-18 00:29:45 | Weblog
ふぅ!お久しぶりの森モリです。

先日、ある有名ブロガーさんに
  
 『自分自身を許す。
  まだ、修行がたりないのでしょう、
    私には、できる時と、できない時があります。』

とメールで伝えたら、ありがたいことにお返事をいただきました。

 『(自分自身に)「ごめんなさい、愛しています」というのは
   感情を込めず、淡々と、ぶつぶつ言うだけで(心の中でも)
   いいみたいです。
   自分を許そうとか思わなくていいみたいです。』

と言っていただきました。
その方は、あまり感情を込めて言っていると、
逆に、落ち込むそうです(笑)

 『でも、感情を込めず
    「ごめんなさい」
    「愛しています」
    「ありがとう」
    「感謝しています」
   などと言い続けているうちに、
       少し楽になった気がします。』
とも書いておられました。

そういう方法もあるんですね。

「地球の最大の”悪”は、『自己嫌悪』」

自分自身を癒し、
少しでも精神的にゆとりをもって生きられたらいいですね。

自分を許す。できますか?

2006-11-12 02:56:02 | Weblog
ありがとうございます、森モリです。

今、お風呂からあがったところですが、
なんと、不思議体験
私にもできちゃった

えっ
これってまじすごいよ


私は仕事で、2つの壁にぶちあたっています。
困って、困って、困って、
悩んで、悩んで、悩んで、
へこんで、へこんで、ぼーっとしてしまうことが多くなりました。

いくら、考えても解決策はみつからないのです。
そこで、いつものようにブログめぐりをしていたら、
はたらきざかり♪さんのブログに

ハワイに住むセラピストが、触法精神障害者(訳注:刑法罰に問われたものの、精神障害を理由に不起訴減刑、あるいは無罪となった人のこと)の病棟に収容されていた人たち全員を誰一人診察することなく癒したという事例が書かれてありました。

『ももちんの心の旅 で 「ごめんなさい」「愛しています」の祈り というタイトルを見つけました。』ということで書かれていたのですが、

私の2つの抱える壁も、これでしか解決しないのではないかと思いました。


 『外側の世界は自分の内側の投影。

  だから、自分を癒せば外側も変わる。』


  『自分を癒す方法はとても簡単。
   「ごめんなさい」「愛しています」と
        自分自身に向かって言うこと。』



この自分自身の自分ていうのは、患者さんのことなのかな?
まさか、セラピストの自分じゃないよね?
ばかな、私はわかりませんでした。

そこで、昨日、もし『はたらきさん』にお会いできたら
そのことを確かめようと決めていました。

運良く、『すごペンコンサート』の前のお茶会に
短時間だけですけど、参加することができました。

『はたらきさん』はとてもやさしく教えてくださいました。

でも、なんで、セラピストが自分自身に「ごめん」と言って
患者さんが変わっていくのか、意味不明でした。

そして今、
お風呂の中で、1つの壁のことを考えていたら
ふっと、思い浮かんだ言葉があります。


  『お前がなんとかしようというのは、
          お前の驕り(おごり)傲慢さだ。
    お前にはなんともできない。
           時が解決してくれる。』

わっすご
と思い、もう1つの壁について尋ねてみました。

  『これは、なんとかできるかもしれないが、
    なんとかしようと思うほど、なんともならない』

こんな言葉が浮かびました。
そして、このセラピストのとった行動と結びついたのです。

なんとかしようとすればするほど
相手にとっては、ブロックを強めたり
プレッシャーになったり
いこじになったりしていくということ。
なんとかしようとがんんばっている自分を癒し
なんともできない自分をを許し
自分自身を愛したら、自然と相手も溶け出してくる。

私は、上司は、
ほんまはえらくないのに、えらい人でおることに固執し
妙なプライドも持っているということも
十分承知で、たてて、たてて、がんばってきました。

その『偉くないのに』という言葉が入っているがために
微妙なニュアンスが相手に伝わり、
自分は偉くないと感じさせていたんでしょうねぇ・・・
ほんまは、偉くないのに、偉い人として扱うように努力していたのです。

これからは、
そんながんばっている自分を愛し
なんともできないことを許していこうと思います。

「今まで、よう、がんばった
 なんとかならなくても、大丈夫」

自分にそう言い聞かせてあげたいです。

スゴペンコンサートのラストの曲で
私は何か偉大なる者に抱きしめられ
自分自身に「ごめんなさい」と言いながら
頭をよしよしされている感覚を味わいました。
最後の拍手は忘れていました。


ありがとうございます。

わぉ~~~!!!

2006-11-11 23:19:57 | Weblog
ありがとうございます、森もりです!

本日は、

わぉ~~~


どひゃ~~~


がびゅ~~~ん


な出来事がありました。

ドキドキでした。
めちゃ緊張しました。

ブログにアップしたいけど、

意味不明の停電

  &

パソコンの調子もイマイチなので
やめときます。


ほんまに、ありがとうございます。
感謝いたします。

また、明日

腹を括る

2006-11-08 02:12:54 | Weblog
ありがとうございます、森モリです。

4年程前に出版された、「発達教育」という薄い月刊誌の
『巻頭言』という表紙の裏のページに
この言葉をみつけました。

『腹を括る』



はらをくくる



簡単なことではありません。


その文章は、東京家庭裁判所主任調査官の方が書かれたものでした。


ふた昔も前、
ひとり娘に重度の障害を宣告されたこの方のご友人。


「終身刑やわ、私」




とつぶやかれていたそうです。




 わが子が普通の子と違う・・・・。
 それを認め、受け入れるまでに、彼女はどれほど苦しんだことでしょう。
 仕事を辞めて療育に当たりつつ、
 夜間大学に入りなおして国家資格をとり、
 事務所を持ちました。
 その間に離婚も選んでいます。

 子の障害が重度であることは、
 時には親にこれほどの胆力を与えます。
 まごついてなどいられないからです。



その後に続く文章も深く
考えさせられる内容だったのですが
一番心に響いた言葉は



『胆力』 という言葉です・・・・


胆に銘じる   とか
胆をつぶす   とかの  『胆』です・・・

普通の力でも
ただの強い力でもありません。

『胆力』をもってしないと腹はくくれないのです。
腹を括ってしまうからこそ胆力は生まれるのです。

私はこれまで、
「本気」とか
「必死」とか
「がんばる」とかいう言葉を口にしてきましたが、
なんとも、口ばっかりで、
事実・実績・実際には、口ほどには心を決めていませんでした。

やはり、似非強者だったのです。

ここらで、ほんまに腹を括らないと!

自分の人生は、自分で決める。


人に決めてもらわない。
人をあてにしない!
人のせいにしない。

自分の人生に責任をもつ。

さぁ!今こそ『腹を括る時』

人生2度目の大決心をする時!

がんばれ森モリ!



昨日は満月

2006-11-06 00:38:38 | Weblog
ありがとうございます、ラッキー森もりです。
10月は、トイレ掃除をがんばっていたのですが、
11月にはいり、サボっていたら
どうも、ついてないような・・・ついてるような・・・

そこで、言霊パワーということで
あえて『ラッキー森もり』と名乗らせていただきます。

ラッキー
ラッキー
ラッキッキー

ということで、昨日は満月。
お財布フリフリしようかなぁ
と思ったのですが、
お財布よりも
全身で満月パワーを浴びたいと
露天風呂に入りました

そこは、「塩サウナ」といって
ミネラルたっぷりの塩を身体に塗って入るサウナもあるので
全身を塩で浄化し
露天風呂に入りました。

お風呂の水面(みなも)?
正しくは、お湯面(おゆも)?にうつった満月を見ながら
うぅ~ん、瞑想したい気分だね。と思いつつ
瞑想の仕方も知らないし、
木々の精霊に助けていただければいいが
邪や蛇とでるかもしれない危険があるかと思い
やめました

そこで、水面にうつった月をよくよく見ていると、
水面が揺れて、御月様の光の軌跡が
思わず、仏の世界の文字のように見えました。
お~すごい!
と思ったけど、
その意味はわからないので
残念

とにかく、お月さまに
地球を守ってくださいということと
私ののどの不快感をとってください
と祈りながら、
感謝しながら、
満足ゆくひと時を過ごさせていただきました。

その後は、ダンナと2人で
たこ焼きやら、たこのから揚げやら
わらび餅やらを食べて
仲良くデートでした
楽しかった



急に板宿!

2006-11-05 20:06:48 | Weblog
ありがとうございます、元気の森もりです。

本日は、またも、おでかけ

私に、お箸を贈ってくださった『お箸の君』
今風に言えば『お箸王子』
から連絡があって、
板宿に行くからいっらしゃいって感じ

そこで、いそいそ
板宿まででかけました。

板宿周辺は、阪神淡路大震災の時に
大きな被害を生んだ場所です。
そこで、お箸王子と一緒に、
ある女性に会いました。

浅丘るり子似のおばさんで
「私は100歳まで、後、33年も生きられる
とおっしゃってました。

この方は、赤井秀和主演の「ありがとう」という映画の主人公である古市さんもご存知の方らしい。

いろんな出会いもあるものです。

「わしら生かしてもろてんねん。生かしてくれた人に感謝せな。文句言うたらあかん」
いい映画のようです

急板して良かった

なんと平城京

2006-11-04 22:05:54 | Weblog
有難うございます、森モリです☆
今日は、息子の目指す作業療法士のための専門学校のオープンキャンパスに行ってきました。



そこは、さすが奈良☆
なんだかありがたいものにいっぱい出会いました。

神功皇后というのは、
確か、八幡神さまのお母様だったと記憶しているのですが・・・

間違ってたらすいません。

私の氏の宮「亀岡八幡宮」の御祭神でもあります。
近くに、御陵もあったのですが、
参拝せずに帰ってきちゃいました・・・

そのせいか、
混んでる道ばかり、進むことになり
行きは、3時間で着いたのに
帰りは、4時間もかかりました。

特に、奈良市内から第2阪奈に乗るまでの道

なんで、あんなに混んでるの

『第二阪奈』の緑の看板に案内されたら
なかなか信号で抜け出せない側道にはいり
なかなか困っちゃいました


恐るべし奈良の道
やっぱり、神功皇后さまに、
ごあいさつしなかったのが悪かったかも

普段、守っていただいている神様に
  ごあいさつをしないから
    きっと
 私の守護霊が知らせてくるんですね

すみませ~~ん