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脱線事故 被災者の携帯に出ない救助隊員-究極の近頃の風潮?

2005年04月28日 | 長  野  県  政
JR福知山線脱線事故関連で気になる記事があった。
「着信音10回 20回…救助隊員証言」 27日 読売
http://www.yomiuri.co.jp/features/dassen/200504/da20050427_06.htm
       ── 抜粋 ──
<あちこちに携帯が転がっている。呼び出し音が10回も20回も続いていた。1度切れても、また鳴り出す。着信表示に「自宅」の文字が浮かんでいるものもあった。肉親を捜し求め、一刻も早く無事だという声を聞きたい家族からの電話だ。
 思わず取ろうとした。しかし、「どれがどの人の携帯かわからないし、持ち主が無事なのかどうか答えられるはずもない」。こみ上げる無念に耐え、鳴り続ける携帯をそのままに、助けを求める人を探して奥へ奥へと進んだ。>
というのだが、救助隊員が携帯電話に出ない理由が分からない。
<「どれがどの人の携帯かわからないし、持ち主が無事なのかどうか答えられるはずもない」>
のが理由のようだが、そんなことを言ってる場合じゃないだろ。家族の気持ちになってみろ。あまりに不人情ではないか。
お役所的対応だーと思ったら救助隊員は元々公務員であることに思い至った。人間であることより公務員であることを優先させたかのような対応だ。
携帯に出て事情を話すのにそう手間はかからない。無念に耐えたのか、職務外の余計なことに首を突っ込むまいとする習性に従ったのか疑問だ。記事に非難の色合いがないのもおかしい。記者も不人情に不感症になってしまっている。
【着信音、見てみぬ振り 救助隊員不人情】
という見出しが打たれてもおかしくない記事だ。
救助隊員が被災者を助けるのは、最終的にその人の幸福のためだろう。電車から助け出すのはそのための一時的手段ではないのか。救助隊員は救助隊員なのだから携帯に出なくても職務違反ではないし、非難されることもないだろう。しかし、その前に人間としてそれでいいのか。家族のことを思えば出ないほうがおかしい。
余計なことに首突っ込まないーというのは近頃の風潮で、それを善しとする傾向もある。救助隊員だけでなく記者もその風潮に染まっている。世論もこれを非難する気配にない。
余計なことをすれば損という風潮が固定化している。その究極がこの記事に現れているような気がする。お節介は人生の醍醐味だ。生きている証でもある。死んでしまえばお節介などしようもない。

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匿名の見当違いの反論がいくつか書き込まれたが、私が上で書いたことは、つまりはそういう意見が多くなっていることへの憂慮だ。その意味で反論は想定内であり、してやったりだ。

電話に出るぐらい簡単だ。なんの救助の妨げにもならない。すぐ救助できる状況になかったのだから、せめて携帯にぐらい出るべきだーということだ。
携帯を外に持ち出し、掛けなおすなどいくらでも方法はある。事故直後ならともかく、何時間も経った後ではこう着状態になっていた。なすすべなく見守っているだけの多数の関係者の姿がテレビに写っていた。その人たちが「この電話は事故現場にある」というだけですむことだ。それだけで家族には大変な情報だ。
あてどもなく病院を回っている家族への思いに重きを置くか、形式的対応に重きを置くかの違いだ。この問題についての対処の仕方は二通りあって、どっちにも言い分は立つ。それをどっちがいいのと、ここで言い合ってみても始まらない。それが分からない人に説明するのは大変だ。

問題なのは、こういう場合の携帯電話の扱いについてのガイドラインがないことだ。今度の事故でそれが露呈した。このようなケースは今後もあり得ることだ。口も利けない、あるいは死亡してしまった被害者の家族や関係者に、事態をいち早く知らせるのは大事なことである。その割りに、身元を確定するのは困難なことでもある。それが向こうから連絡が来るのだからそれを利用しない手はない。
このような場合どうするのか?と関係の役所に聞いてみたが、連休中であるため確たる回答は得られなかった。つまり、関係役所でもこのような事態は想定外のためどうするか決められていないということだ。早急なガイドラインの策定が必要だろう。


私がものを書く動機は常識や通念への反駁だ。大勢に楯突くことが私の身上だ。匿名の意見に迎合して仲良くやろうという気はさらさらない。
しかし、意見を異にしつつ付き合っていくのも大切だ。意見が違うからといって付き合わないのでは考えが固定化する。
そうではないか、投稿者諸君!


車の運転をすると人が変わったようになる人がいる。歩行者を蹴散らすようにクラクションを鳴らしたり、普段は言わないような荒い言葉を使い、暴走する。新しい道具との付き合い方がわからず、車に乗ると自分を見失うのだろう。
ネットも同じだ。面と向かえばけして言えないようなことをネットの中だと言ってしまうネット中毒のような人がいる。
ネットは新しいだけにルールやマナーが確立していない。それだけに行き違いがおこりがちだ。それぞれが自分のルールで勝手にやっている。自分の主張だけが正しいと言い立てる。

車との付き合いに慣れたためだろうか、近頃だいぶ運転マナーは向上した。酷い運転をしたほうが恥ずかしいという常識ができた。ネットのほうはまだまだだ。匿名性もあって、旅の恥は掻き捨てー状態となっている。

あまりにくだらない書き込みがたくさんあったので一括して削除した。私は紙の代わりにネットを使っているだけだ。世間の常識に則ってやっている。ネットのおかしな慣行は無視するのが適当だ。これらは世間知らずのネットお宅のようなものたちがつくったものだからだ。曲がったものに妥協してはならない。

私は匿名の意見は認めない。匿名は無責任と勇気のなさを宣言しているようなもので、聞くに値しない。自信があり、責任を取る気があれば匿名にするはずもない。それが社会の常識だ。無責任にテキトーなことを言ってやれーと思うから匿名なのだ。
ネット上で匿名でもいいようなことが言われているのは、ネットに巣食うお宅の屁理屈でしかない。勇気のなさと自信のなさを自ら告白していることにすら気付いていない。クレーマー的匿名意見に反論や説得は無意味だ。気に入らない意見に不正手段で嫌がらせするものは、テロリストとおなじだ。

不正行為はgooに連絡し対処した。不正行為をそそのかしたもの、付和雷同したものには厳しい処分が下されることになるようだ。ネットがいつまでも無法地帯であると思い込んでいるのは時代の流れが読めないものだ。
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