人には得手不得手というものがある。
家庭においては、夫婦のどちらかができれば問題は無い。
ここで自然と役割分担が起こる。
昨日洗面所から水の音がする。
原因はトイレ。
水が止まらないのである。
レバーが軽い。
まず、水を元栓から止める。
パイプのマイナスをコインなどで水圧を調節する部分で止めれば、家庭全体を止めずにすむ。
次に便器の奥の貯水槽をあけてみる。
やはり、レバーからのラインである水の栓になる鎖がはずれていた。
時計を見る。
気づいたのは早いから、水道代への影響はそうでもないだろう・・・。
我が家では、このての問題は私が担当である。
パソコンを覚えなければならないと感じた時も、当然のように私が担当になった。
デジタルカメラもプリンターも、流れで私である。
私が不在な時は、子供に頼んでいる夫である。
彼はできないと子供は思っている。
だから、子ども達は自転車の鍵を無くしても、網戸に穴を空けたときも、みな私に助けを求める。
そこで私はハンマーを振り回して鍵をぶち壊し、ホームセンターで新たに鍵を購入して取り付けるのである。
ジャーの電源が入らなかった時もコンセントの接触かと思い、途中でぶった切ってつなぎ直した。
網戸の張替えも、傘の修理も、東急ハンズやホームセンターで部品を買って直した。
時々思う。
・・・分担が間違ってないだろうか・・・?
子供の勉強も、おおかた私である。
私の苦手な社会は夫担当だが、数学にいたっては完全に私である。
夫は、子どもに頼られなくても全く気にせず笑っている。
「できる人がやればいいんだよ。」
彼の口癖である。
しかし、子供は騙されても、私は騙せないわよ。
面倒な事は「できない事」にしてしまえば、楽だものね~。
くだらないプライドをあっさり捨ててしまって、彼は全く快適そうである。
「さすがだね~。」なんて私に花を持たせながら、後ろで舌を出している姿が想像できるわ。
かなり昔の話だが、兄一家と同じ時期に里帰りした事があった。
日のあたる広い縁側に、当時1歳前後の甥っ子(兄の長男)をおいて、義姉は言った。
「見ててね。」
そして彼女は用事を済ませるために違う部屋へ。
私も家事を手伝いながら、ふと兄親子を見ると・・・。
甥っ子は、母の大好きな蘭だったか・・なにか室内に入れていた鉢植えの土を口に入れていた。
当然、「『見ていて』って、言ったじゃないですか!」義姉は怒る。
しかし、兄の言い分としては・・・
「オレ、見てたよ。」
と、涼しい顔である。
屁理屈である。
「見ていて」とは「世話をして」であり、兄の言うところの「見ていた」は「眺めていた」である。
「オレは子供の世話は苦手なんだ。」的な事も言ったような気もするが、「できない人」というイメージを持ってもらって「やらずにすまそう」という匂いがしたものだ。
母は以前私に言った。
「年上の人と結婚しなさい。甘えられて楽だから・・・。」
年上の人との「何の不安も無い縁側で昼寝をするような生活」は幻でした。
私は日に日にたくましくなっている。
しかし、たかだか一つ年上だけの夫を持つ妹は、面倒な所(特に電気系統)は「だって、わかんないんだもの。」と言って、要するに覚える気がないようだ。
ふと、付き合っている頃夫が言った言葉を思い出した。
「仕事が忙しいから、誰かに頼らなくても一人で何でもやれる人だと、安心だよね。」
「仕事に理解があり、夫が忙しくてかまってもらえなくても一人でヒョウヒョウと生活できる人」
・・・そういう事かぁ・・・
要するに「組み合わせ」って事なのだろうか・・・
ふふん、してやったつもりでしょうけど残念でした。
結果的には、「妻がいないと、全く家のことが分からない夫」になってる訳で、結果的な力関係は微妙なのよ
しかし、とりあえず私たち姉妹の夫婦仲は良いと思う。
相性的にはオッケーなんだろう・・・