これも、以前Twitterでポストしたものをまとめたものです。これの続編、というか関連するポストを書こうかなどうしようかなと思っているところで、書くためには以前の投稿を参照できた方がいいので、まとめることにしました。続編は、すぐ書くかもしれないし、放置してしまうかもしれません。そのへんはテキトーなので、自分でもわからなかったり。
西洋音楽古典派の時代は、音楽というコンテンツが「産業」として成立するための大きな曲がり角でもあった。芸術音楽の庇護者が、王侯貴族や教会といったパトロンから、一般市民階級へと移り変わる時代。それを仕組みとして支えたのが、公開演奏会の成立と楽譜の出版だった。その二つの恩恵を最初に受けたのがヨーゼフ・ハイドンで、長く仕えたエステルハージ家を離れて2度渡英し、ロンドンで開いた交響曲の連続演奏会で大成功を収める。バックには辣腕の興行師ヨハン・ザロモンがいた。
貴族のお抱え楽士など、仮に楽長であっても所詮は召使いにすぎない。ハイドンもかなり薄給だったといわれる。モーツァルトの父レオポルトは最初の作品のトリオソナタを捧げる献辞で、パトロンの伯爵を「父なる太陽」とまで呼んでへりくだっている。
こういう地位に甘んじてきた音楽家が「主役」になるには、大衆に支持されて、経済的に自立できる時代を待つ必要があった。そしてそのためには、市民階級が以前よりもずっと強い経済力を持たなければならなかった。そういう時代の市民階級は自分たちでも楽器を弾いたから、弦楽四重奏曲の楽譜を出版すると、それも大きなビジネスになった。
つまり公開演奏会と楽譜出版が音楽家の自立を促す仕組みになっており、その二つで先行したのはイギリスだった。それは当時この国が、産業革命によっていち早く大きな経済成長を遂げていたためだと言える。ハイドンは「交響曲の父」であり「弦楽四重奏曲の父」だが、これはそのまま公開演奏会と楽譜出版の両輪のビジネスの象徴で、彼が近代的音楽産業における最初の成功者であることと符合している。
故郷ザルツブルクのパトロンだった大司教と大げんかしてウィーンに飛び出したモーツァルトの生計を支えたのも、予約演奏会という公開演奏会制度だった。ウィーン初期のモーツァルトはセルフプロデュース能力にも長け、たちまちスターになった。とはいえ彼は皇帝ヨーゼフ2世の庇護なしで活動するのは困難だった。ハイドンとの違いは、イギリスと神聖ローマ帝国(オーストリア)の経済力の差だったのだろう。
公開演奏会と楽譜出版は、「ライブ」(実演)と「レコード」(複製)と言い換えてもよく、まさに今日の音楽産業のスタイルといえる。つまり大衆の支持を基盤として音楽家が自立する今日の経済モデルの原型は、約200年前に生まれた。(ハイドンがいわゆるザロモンセット=ロンドンセットを作曲したのは18世紀末)
ただ、大衆の支持という基盤は、一方でもろい。モーツァルトが、その個性を本当に開花させた作品(「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」、20番以降のピアノ協奏曲など)は、聴衆の支持を失わせる結果となった。大先輩であるハイドンは、モーツァルトの天才を見抜き、「私が知る最も偉大な音楽家」と語ったし、モーツァルトの生活基盤を保証する都市や人物が現れることを強く願っていた。ハイドンの懸念は悪い形で当たり、ウィーンでのモーツァルトの人気は衰えていく。
貴族がパトロンだった時代でも、気に入られる作品を書かなければ終わりといえばその通りだったが、大衆相手の賭けのような暮らしもそれはそれで厳しかっただろう。モーツァルトは、ベートーヴェンらによって支持された一部の作品(短調のピアノ協奏曲など)を除いて、ほとんど忘れられた作曲家になってしまう。
モーツァルトが真の意味で「復活」を遂げるのは、LPレコードの登場後だというのが石井宏さんの説で、これは本当に面白い。「コシ・ファン・トゥッテ」などはベートーヴェンの酷評もあってほとんど上演されなかったが、1956年の生誕200周年あたりからLP化され始め、聞かれる機会が一気に増えた。同様に、ヴィヴァルディの「四季」なども、LPによって再発見された。LPによって音楽が安価で、扱いやすくなり、真に大衆のものになった結果、教条主義的なクラシック信仰から、素直に美しい音楽が好まれるようになったというのが石井説。このように、一部で何か超越的な芸術のように思われているクラシック音楽も、産業や経済、テクノロジー、社会情勢と密接に絡み合いながら今日に至っている。間違いなく普通の人間の営みということだ。
ただ、音楽にとって今が大きな節目かもしれないと思うのは、ライブと複製という200年前に確立された二つの柱のうち、後者が今後も音楽家に収益をもたらす柱たり得るのかが問われている点にある。
以上、出典・参考文献は岡田暁生「西洋音楽史」(中公新書)、メイナード・ソロモン「モーツァルト」(新書館)、石井宏「反音楽史」(新潮社)。この3冊はどれも大変な名著だけれど、中でも「西洋音楽史」は、歴史を読み解くことで今日の社会と文化のあり方までも照射する深さと、コンパクトな読みやすさとで、超がつくおすすめ。この一連の投稿の最初の方はほとんどこの本の受け売りですw
西洋音楽古典派の時代は、音楽というコンテンツが「産業」として成立するための大きな曲がり角でもあった。芸術音楽の庇護者が、王侯貴族や教会といったパトロンから、一般市民階級へと移り変わる時代。それを仕組みとして支えたのが、公開演奏会の成立と楽譜の出版だった。その二つの恩恵を最初に受けたのがヨーゼフ・ハイドンで、長く仕えたエステルハージ家を離れて2度渡英し、ロンドンで開いた交響曲の連続演奏会で大成功を収める。バックには辣腕の興行師ヨハン・ザロモンがいた。
貴族のお抱え楽士など、仮に楽長であっても所詮は召使いにすぎない。ハイドンもかなり薄給だったといわれる。モーツァルトの父レオポルトは最初の作品のトリオソナタを捧げる献辞で、パトロンの伯爵を「父なる太陽」とまで呼んでへりくだっている。
こういう地位に甘んじてきた音楽家が「主役」になるには、大衆に支持されて、経済的に自立できる時代を待つ必要があった。そしてそのためには、市民階級が以前よりもずっと強い経済力を持たなければならなかった。そういう時代の市民階級は自分たちでも楽器を弾いたから、弦楽四重奏曲の楽譜を出版すると、それも大きなビジネスになった。
つまり公開演奏会と楽譜出版が音楽家の自立を促す仕組みになっており、その二つで先行したのはイギリスだった。それは当時この国が、産業革命によっていち早く大きな経済成長を遂げていたためだと言える。ハイドンは「交響曲の父」であり「弦楽四重奏曲の父」だが、これはそのまま公開演奏会と楽譜出版の両輪のビジネスの象徴で、彼が近代的音楽産業における最初の成功者であることと符合している。
故郷ザルツブルクのパトロンだった大司教と大げんかしてウィーンに飛び出したモーツァルトの生計を支えたのも、予約演奏会という公開演奏会制度だった。ウィーン初期のモーツァルトはセルフプロデュース能力にも長け、たちまちスターになった。とはいえ彼は皇帝ヨーゼフ2世の庇護なしで活動するのは困難だった。ハイドンとの違いは、イギリスと神聖ローマ帝国(オーストリア)の経済力の差だったのだろう。
公開演奏会と楽譜出版は、「ライブ」(実演)と「レコード」(複製)と言い換えてもよく、まさに今日の音楽産業のスタイルといえる。つまり大衆の支持を基盤として音楽家が自立する今日の経済モデルの原型は、約200年前に生まれた。(ハイドンがいわゆるザロモンセット=ロンドンセットを作曲したのは18世紀末)
ただ、大衆の支持という基盤は、一方でもろい。モーツァルトが、その個性を本当に開花させた作品(「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」、20番以降のピアノ協奏曲など)は、聴衆の支持を失わせる結果となった。大先輩であるハイドンは、モーツァルトの天才を見抜き、「私が知る最も偉大な音楽家」と語ったし、モーツァルトの生活基盤を保証する都市や人物が現れることを強く願っていた。ハイドンの懸念は悪い形で当たり、ウィーンでのモーツァルトの人気は衰えていく。
貴族がパトロンだった時代でも、気に入られる作品を書かなければ終わりといえばその通りだったが、大衆相手の賭けのような暮らしもそれはそれで厳しかっただろう。モーツァルトは、ベートーヴェンらによって支持された一部の作品(短調のピアノ協奏曲など)を除いて、ほとんど忘れられた作曲家になってしまう。
モーツァルトが真の意味で「復活」を遂げるのは、LPレコードの登場後だというのが石井宏さんの説で、これは本当に面白い。「コシ・ファン・トゥッテ」などはベートーヴェンの酷評もあってほとんど上演されなかったが、1956年の生誕200周年あたりからLP化され始め、聞かれる機会が一気に増えた。同様に、ヴィヴァルディの「四季」なども、LPによって再発見された。LPによって音楽が安価で、扱いやすくなり、真に大衆のものになった結果、教条主義的なクラシック信仰から、素直に美しい音楽が好まれるようになったというのが石井説。このように、一部で何か超越的な芸術のように思われているクラシック音楽も、産業や経済、テクノロジー、社会情勢と密接に絡み合いながら今日に至っている。間違いなく普通の人間の営みということだ。
ただ、音楽にとって今が大きな節目かもしれないと思うのは、ライブと複製という200年前に確立された二つの柱のうち、後者が今後も音楽家に収益をもたらす柱たり得るのかが問われている点にある。
以上、出典・参考文献は岡田暁生「西洋音楽史」(中公新書)、メイナード・ソロモン「モーツァルト」(新書館)、石井宏「反音楽史」(新潮社)。この3冊はどれも大変な名著だけれど、中でも「西洋音楽史」は、歴史を読み解くことで今日の社会と文化のあり方までも照射する深さと、コンパクトな読みやすさとで、超がつくおすすめ。この一連の投稿の最初の方はほとんどこの本の受け売りですw