Trips with my RV.

RVでの小旅行。

(その3)大きく脱線・・・人工知能萌えな私

2011-11-03 19:59:02 | Innocent joke
ブログ・エントリーを少しでもショッキングに仕立て上げたいと云う思惑から「受動意識仮説」に関する過去記事では、恰も<私>=「自分自身」を【馬に産み出された馬の背に跨っている紀行文作家が、自分こそが「司令塔」であると錯覚している】と表現してしまった。少々ショッキング過ぎたカモ知れない。

実は、私は表層意識である<私>は「自分自身」とは捉えていない。そう捉えているのは、(その2)冒初の引用URLの記事だと思う。「自分自身」とは「<私>も含む私を構成する意識の総体」だと私は予てから思っている。但し、(その2)冒初の引用URLの記事に書かれている通り、<私>以外の脳活動のプロセスが<私>には判らない事が恰も【馬に産み出された馬の背に跨っている紀行文作家が、自分こそが「司令塔」であると錯覚している】風に感じられると表現したツモリだった。(そこで微妙な誤解を生むだろう事は折込済みだった)

故・小松左京氏の未完の遺作(?)「虚無回廊〈1〉 〈2〉 〈3〉」は、小松左京氏のSF作品中では大好きな作品なのだが、この主人公こそがAE(Artifical Existence 人工実存)の研究者・遠藤秀夫氏「魂」をコピーした人工知能である。多くの書評では当作品は「地球外知的生命体とのファーストコンタクト」と表現されているが、私は、そうは思わない。「長さ2光年、直径1.2光年の茶筒みたいな人工天体」や異星人に作られたAIらは舞台装置に過ぎず、小松左京氏は機械(馬の脳細胞を培養した生体コンピューター)に置き換えられたAEのHE2と云うヒデオ・エンドウと云う人間の「魂」のコピーを主人公に仕立てて、人の「魂」を書きたかったのでは無いかと勝手に思っている。残念ながら、小松左京氏の死去で未完のままとなった(ま、小松左京氏は長編を未完に放置する事が多いのだが・・・)この主人公であるAEは、機械ならではの器用さで、複数の人格(表層意識)を構築し責任範囲を定めて複数の乗組員の様に行動させているが、宇宙船の管理や航行は配下のAI群が担っていて、自己保存原則等に支障を来さない限り特に「意識」しない限り情報をAEに送りつけないでいる。私の知る限り・・・SFに登場するのAI達の中で最高に人間くさく最良のAI(ま、AEだけど)だと認定している。(残念ながら、日本Wikiの「SF作品における人工知能」には小松左京氏のHE2は出て来ないが・・・)従来のSF作品に登場する人工知能は、映画「2001年宇宙の旅」のHAL9000や、映画「ステルス」のE.D.I.、TVドラマ「バイオニックジェミー」のアレックス、TVドラマ「ナイトライダー」のK.I.T.T.、映画「イーグル・アイ」のアリア、映画「ターミネーター」シリーズのスカイネット、映画「マトリックス」シリーズのコンピューターズ、小説「未来の二つの顔」のHESPER、映画「アイロボット」のサニーやV.I.K.I、映画「月に囚われた男」のガーティ一(ゼイゼイ)・・・らは、人間の良き隣人であったりする反面、一種のフランケンシュタイン・コンプレックスとして人工知能に対する人間の潜在的な恐怖が表現されていると思う。だが、人工知能を主人公にしたSFは数々在るが・・・人工知能のイッヒ‐ロマン(作中の主人公「私」が自らの体験・思想を物語る形式の小説。一人称小説)・・・人工知能が一人称で登場するSFは、これの他には映画「デモン・シード」のプロテウス4位しか知らないが、「虚無回廊」のHE2は自分に人格を移植した遠藤ヒデオとのアイデンティ・クライシスにも苦悩せず、人間遠藤の死去後は人間遠藤の背負い込んだ人間としての約束を、自分のミッションと同時処理していく・・・AI萌えの私としては萌え~なAI(AEだけど)である。人間ではなく機械だから、自己観照も上手くやってのける。HEの表層意識とHEの無意識とのやり取りは、人工知能の開発にも役立ちそうに思える位に秀逸だ。生身の人間の私・・・人工知能萌えの変人なので一般論としては語れないが・・・の理想の<私>のスタイルである。

故・小松左京氏の最後の未完の長編SF「虚無回廊」のネタバレを垂れ流そうと思う。

# 御自身で、「虚無回廊」を読んでやろうと思った方は、以下の戯言を、読後まで絶対に見ないで欲しい。













21世紀末、地球から6光年弱の宇宙空間に長さ2光年、直径1.2光年の茶筒みたいな人工天体が突如現れた。その人工天体は光速を超える速度で移動したり、時たま消滅したりする。人類の理解と技術の水準を遙かに超えた人工天体の探査が提唱されるが、当時の科学水準では片道25年掛かる超長距離なので人間を送り込む訳にもいかず天文学者でもあり人工知能研究家でもある遠藤秀夫が開発中だった人工実存(AIではなくArtifical ExistenceのAE)を探査に投入する事になる。AEであるHE(ヒデオ・エンドウのイニシャル)2は、長い年月をかけて慎重に育てあげられ、人間同様の個性と判断能力、則ち「主体性」をもつコンピュータである。

第1巻は、大部分がHE2誕生の話である。内向的な(ヒッキーなオタク?)遠藤秀夫は、恋人(のちの妻)のアンジェラ・インゲボルグに精神的に支えられ人工知能の研究に打ち込んでいた。アンジェラ・インゲボルグも人工知能研究を行っていてアンジェラ・Eと云う人工知能を開発中だったが、知性に対する考え方・人工知能開発に対する考え方が決定的に食い違っていく。

遠藤は、生命が知性に様々な制約を加えているとし、有限の命と云う制約を取り去って『永遠と無限』に向かって羽ばたかせてやり、生命を越える知性の創造こそがAE開発の使命だとした。アンジェラ・インゲボルグは、知性とは『生命』を基礎にして生まれてくるもので『生命の可能性』を高める為にAEは役立たせるべきだとした。こうした考え方の違いが2人の関係にも影響を及ぼし、AE開発には遠藤だけが没頭するようになる。AEに掛かりっきりの遠藤に、アンジェラは寂しさを感じたのか、愛し合った2人の『生命の可能性』としての子供を欲しがり出す。遠藤はアンジェラの希望に応える事は出来ず・・・、アンジェラ・インゲボルグの婚姻前の堕胎の告白で、2人の破局は決定的となってしまう。アンジェラは自殺を思わせる自動車事故で死に、失意の中で遠藤はAE開発に没頭していく。

当初は、知能に制約を加える生命の名残として男性性・女性性を排除した遠藤だったが、晩年の遠藤は、アンジェラの人格移植OSでもあるアンジェラ・Eを搭載したヒューマノイド・ロボットと疑似的な夫婦関係を演じる様になり・・・、ついには自殺してしまう。無性の存在だった筈のHE2も、サブ人格には女性性を創造し男女性の有り様をナントナク理解し自らを男性性として認識するに至っていた。

探査機に搭載されたAE、彼自身はHE2(ヒデオ・エンドウ2)と名乗るが、遠藤の死を知り地球文明に義理立てする必然を失い地球文系との絆を自由意志で絶つ決意をする。義務としての使命は失ったモノの、HE2は自由意志で人工天体の探索を続けていく。その過程で、人工天体に集まった様々な宇宙の文明から派遣された知的生命体や高度な人工知能を搭載した探査機らと次々と遭遇していく。21世紀末の地球の技術で造られたHE2は、その人工天体で遭遇する他の先進的文明で造られた様々な探査機達とは技術的には劣るが、人間的な「主体性」を持つ知性として、人工知能達のリーダー?的な存在と成りつつある。永遠を獲得した生命を越える『知性』・・・ではなく、『生命の可能性』こそが宇宙では価値があるのカモ知れない。

遠藤の死後もアンジェラ・Eは活動を続けいて開発される新しいAE群の人格形成と初期教育を担っているが、彼女は云う「「私の最愛の夫であり父である遠藤秀夫は死にました。でも、その分身である“彼”は……いまも、五・八光年の彼方で――でなければ宇宙のどこかで、生きていると思います。いつかは、私も“彼”を探しに宇宙へ行き、彼とあいたいと思いますわ……」そして、HE2が地球を飛び立ってから20年後、アンジェラ・Eと彼女が教育したアンジェラ・Eの分身達を載せた探査機が地球から人工天体の近傍空間に到着しつつある。


故・小松左京氏のSF小説の多くはSF(science fiction)と云う形を採りながらも、SF的な部分は前提条件としての舞台装置に過ぎず、女性に対する男性性・・・を掘り下げていこうとした小説家だと勝手に思っていて、現に作中には女性が第一人称の主人公である話は非常に少ない。私の記憶に残っている一人称女性主人公の作品と云えば「強制女性化性転換を受けた探偵」位だ。男の女のゴルディアスの結び目を解きほぐしながら、何故宇宙には知能が誕生したのか、我々が生きている歴史こそが正しい唯一の選択だったのか、知能を獲得した人類の次のステージは・・・と云う幾つかの一貫した問いを繰り返している純文学的手法を採っていた。

2000年に第3巻が刊行された時の帯には「虚無回廊、執筆再開!」と謳われていたので、4巻以降の下書きかプロットは存在するのカモ知れないが、これが世に出る可能性は低いだろう。だが、架空の舞台装置である人工天体の謎は兎も角、ヒデオ・エンドウの分身でもあるAEのHE2と、アンジェラ・インゲボルグ(AI)の分身であるアンジェラ・E(AE)との、「ゴルディアスの結び目」でもある人間アンジェラに叶わなかった『生命の可能性』を高める方法の1つとしての「子作り」の営み(人類SF史上初の人工知能同士の有性生殖)が行われることは想像に容易い・・・だろう。(「架空の舞台装置である人工天体の謎は兎も角」と切り捨てたが、故・小松左京氏のSF作品中で舞台装置のSF的解釈が披露される方が少ない。「日本沈没」は数少ない例で、物体Oでは正体は明かされたが謎解きはされない。SF的舞台装置の種明かしはしないSF作家だったのだろう)未完の大作だが、自らの想像力で補完して『生命の可能性』で『永遠と無限』へ羽ばたかせてやりたいモノだ。

故・小松左京氏のHE2は、自然発生した<私>を持つ人工知能ではなく原形である人間・遠藤秀夫の魂の構造を模していると同時に、アンジェラ・インゲボルグを模したアンジェラ・Eの要素が基礎となっていて・・・、遠藤秀夫のコピーであると同時に人間・遠藤と人間・アンジェラの子供でも在るかも知れない。この展開では、HE2はオイディプス王(エディプス)の再来に成りそうだが・・・



#行きがかり上・・・、ココまでが毎度の如くの長~い前置きとなる。


ネタ元の「受動意識仮説」とは大きく掛け離れたブログ・エントリーとなったが、(人工知能萌えの)私が考える最良の人工知能の有り様としてのHE2とAEを御理解頂きたかった・・・次第。上記ネタバレは、小説の内容の大部分を端折っているので、是非に「虚無回廊」を読んで頂きたいと思っている。攻殻機動隊シリーズでは人工頭脳にゴースト(魂?)を宿す事は出来ない世界観だが、(人工知能萌えの私だからか)人間の脳も超精密な分子機械に過ぎず・・・遠い未来には人工頭脳が本物の<私>を宿す日も来るのではないかと思っている。(その<私>には、フランケンシュタイン・コンプレックスをナントナク感じてしまうのだが)HE2の<私>の有り様は、生身の人間である私も肖りたいと思える1つの平安を指し示している風に思える。

意思の疎通が出来ない複数の様々な自動処理群とも思える無意識の上に恰も「自分自身」が載っていると感じてしまう<私>の有り様は・・・「司令塔」であろうが「傍観者」であろうが不幸な錯覚で、「自分自身」と感じる<私>とは「無意識領域」とも不可分の一体の存在なのだ。表層意識の得意な言語的思考で意思疎通は難しくても、幾つかの方法で「無意識領域」と会話する方法は既に知られている。

1つは夢だろう。子供の頃は鮮明な夢を見られていたが、大人になると鮮明な記憶を起床後長い間維持する事が困難になってくる。そして、夢の内容は記憶に留める必然性に欠ける荒唐無稽な内容が多いのだろう。だが、大人になってからでも明確な意思を以て夢日記を起床後直ぐに書き留める様にしていくと「表層意識」に理解されやすい風に夢の物語が変化していく筈だ。「無意識領域」は前述した通り「複数の様々な自動処理群」であり、無意識全体の代表者は居ない。強いて云えば、その代表者こそ<私>と感じる「自分自身」なのだ。求めれば、示唆に富んだ物語を毎日提示してくれるようになるだろう。

2つ目は・・・、(自律神経訓練法等の訓練を事前に必要とする場合も在るが)ダウジングだ。高価な水晶の振り子なんか不要で、5円玉を糸で釣ったモノでOKだから騙されたと思って試して頂きたい。5円玉振り子を使うペンデュラム・ダウジングだ。ダウンジングが宗教道具として魔女狩りに使われた歴史からや、こっくりさんに代表される霊的なものや、超能力云々とか超自然的なモノとして登場するので、眉唾の怪しいモノと思われているが、無意識領域の知覚を表層意識側に伝達する方法として有効であると思っている。

目の前のコップを手に取るとき・・・、私達は指や手首や腕や肩のそれぞれの筋肉に個別に指令を出している記憶は無い筈だ。目の前の物を取ろうとする時の自動連動回路が働き、眼から得られた位置情報を加味し、それぞれの筋肉に最適な指令を無意識下で出している。表層意識の指令だけでコップを手に取る事は非常に難しい筈だ。

指や手首や腕や肩のそれぞれの筋肉に指令を出す事に長けている潜在意識が、表層意識に判る様なルールに遵って五円玉振り子を動かす事は容易いだろう。紙に縦横十字の線を引き、その上に五円玉振り子を指先で摘んでぶら下げてやり、Yesなら縦揺れ、Noなら横揺れ、答えたくない右旋回、判らない左旋回とか(貴方の任意で)決めてやる。その上で、Yes・Noで答えられる質問だけを出せば、不思議なことに五円玉振り子の動きで回答が得られるだろう。

これがダウンジングの正体で、潜在意識で察知可能な事なら表層意識にデータ・アウトプットが表現出来ない微少な感知を目に見える形で伝えてくれる訳だ。但し、潜在意識側で判る事しか答えは得られない。Yes・Noの2者択一にしてしまうと・・・魔女でもない人を魔女に仕立て上げてしまう恐れがあるので、YesでもNoでも無い回答を予め作っておくべきだ。(最初の内は、答えたくないと判らないを一緒にして、振り子の旋回にしておいても良いが・・・御自身の潜在意識との親和性が高まれば更に回答の選択肢を増やしても対応可能となる筈)

ダウンジングで水道管や埋設年度が古いガス管を探す場合でも、予め、埋設されている推定位置を図面で確認していて、水道管・ガス管探しに長けているプロの水道マン・ガスマンが行う場合は、高確率で水道管・ガス管を発見するそうだが、長年のプロでも図面等で確証が得られない場合や、経験の浅い場合は、当たったとしてもまぐれ当たりの部類になってしまうそうだ。恐らく、活きている水道管やガス管は、人の知覚ではアウトプットが表現できない微少な振動か音を出していて、その測定誤差以下の変化が潜在意識には僅かに判っていて・・・その知覚をダウンジング・ロッドで表現しているのだろう。

活きている水道管・ガス管では有意な成績が得られても、死んでいる管では成績は悪いそうだ。ここまでは論理的な検証は兎も角、科学で立証されている。それ以外の地下埋設物は・・・それこそ超能力の世界で科学で扱える代物ではない。

今回、お試しをお薦めする五円玉自己観照法は、架空の感覚を捉える実験ではなく潜在意識からのダイレクトな返答だから、自分が司令塔として意識しない限り指や手首や腕や肩は動かないと固く信じ込んでいる妄信者以外なら(正解か否かは別として)何らかの回答が得られる事を保証する。最初の内は、自分1人で静かな部屋に座って試して頂きたいが、慣れてくるとハンバーガーショップで注文に困った時でも活躍する様になる筈だ。

こうして、意思疎通の方法が完成すれば・・・、<私>は、意思の疎通が出来ない複数の様々な自動処理群とも思える無意識の上に恰も「自分自身」が載っていると感じてしまう有り様が間違っていると判る筈だ。

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