Trips with my RV.

RVでの小旅行。

(その4)受動意識仮説に於ける<私>とは

2011-11-07 22:45:38 | Innocent joke
何れにしろ、受動意識仮説は、<私>を錯覚として片付ける仮説では無いと思う。私のブログのスタイルでは、私の結論を押し売りする気はないので、完結編でも結論は出ないと前置きしておく。そもそも毎度の如く・・・当初に記事を書き始めた時に漠然と掴んだツモリになっていた言外に匂わす程度の控えめな結論が二転三転していて・・・、このまま立ち消えさせた方が良いかと思い始めていた。が、(その3)への反響から・・・私だけだと思っていた人工知能萌えの変人が世の中には若干数存在する事が判った。結論を急ぐ気は無いが・・・取り敢えず完結編としたい。

以前から前野隆司氏の本を何冊か読んでいた。

アクア説の時もそうだが、マグレ当たりの一冊に騙されたく無いと云う天の邪鬼根性からか、気に入った小説家の作品は可能な限り全部読みたいと思うファン心理からか・・・、兎に角、可能な限り読んでみる。その上で、森林が後退するサバンナでの人類誕生についての従来学説の本を読んでみるタイプだ。

「受動意識仮説」に対する「クオリア理論」の本は「尼」で中古本を発注しておいた。未読なので、「クオリア理論」はネット上で掻い摘んだ概要しか知らない。メディアに露出している茂木健一郎氏・・・を、脳科学者ではなく知覚トリビアを披露する人として認識しているキライがあり、書店店頭で何冊かをパラパラッと流し読みした限りでは購入に至らなかった。未知の器官である「脳」に対する最新の(脳)科学研究者と云う前振りなのに、専門外の哲学や知覚トリビアの紹介者の地位に甘んじている氏の著作には触手が動かなかったと云うのが正直な感想である。

クオリア・マニフェスト

兎に角、クオリアとは「主観的体験が伴う質感」の事。

「主観的体験が伴う質感」は「脳と云う高精度な生体情報処理装置の産物」であり、この生体情報処理装置の仕組みが解明されれば、「主観的体験が伴う質感」だけに留まらず、人の「意識」や「心」すらも解き明かされるだろうとする「生命機械論(人間機械論)」と云うか・・・「唯物論」での科学的限界を受け、かといって「唯心論」「観念論」ではない・・・両陣営の中庸がクオリア理論なのカモ知れない。

それに対して、「受動意識仮説」は、現在の科学で人類を模倣する高度な生体情報処理装置を機械と置き換える事は不可能としながらも、将来には、人の「意識」や「心」も機械に置き換え可能となる可能性を否定していない。

「クオリア理論」でも、「受動意識仮説」でも、「脳のすべての過程は物理的・科学的な方法で説明、解明できる。」としている。ココまでは両陣営とも同じだ。

しかし、「受動意識仮説」側では「それで、もう説明されずに残るものなどない。それで意識の全てが説明される。」「クオリア等は存在しない。クオリアが在ると思うのは、素朴な直感に基づいた、誤った考え、単なる錯覚である。」とするが・・・

「クオリア理論」側では「それでも説明されずに残るものがある。」「脳の過程より何より、クオリアが在ることほど、確実なことはない。」としている。

両陣営の相容れない「考え方」は、現代の最新の科学手法で検証しても相容れない。


人間の視覚のソフトウエア(網膜以降の仕組み)を例に挙げると・・・、約1億3千万の視覚受容体を持つ網膜から出た約100万本の視神経は、頭蓋骨内に入ると直ぐの視神経交叉で左右が半交叉する。半交叉とは、半分だけ交叉すると云う意味で、左目網膜の左側の像(視界の右側の像)と右目網膜の左側の像視界の右側の像)が別々に左脳に送られ、左目網膜の右側の像(視界の左側の像)と右目網膜の右側の像(視界の左側の像)が別々に右脳に送られる仕組みになっている。立体双眼視を獲得した鳥類や霊長類等では、左側差分と右側差分をそれぞれ検出し遠近感を獲得していると云われている。だが、立体双眼視を獲得していない生物でも視神経交叉が知られているので・・・、マサカと思うが将来の進化に備えて立体視の準備をしていた訳ではないだろう。その後、間脳視床部の「外側膝状体」と内側膝状核と云う神経結節を通ってから、後頭葉視覚野に入っている。これが視索と云われる視神経だ。左右・上下と共に色情報(網膜錐体細胞の種類毎の差分)と、概略像と精細像と移動検知を行っていて、単にビデオカメラの出力である網膜からのデータに視床部で修飾を加えてから別々の意味信号として、左右それぞれ3つのルートで後頭葉視覚野や中脳上丘に送っている。大雑把な概論だが、ここまでで人間の視覚は、対数的な広がりを持つ288種類の信号を、恐らく288カ所の専門の処理野に送り込んでいて、それを視覚連合野で、側頭葉と協力して意味を見出して視覚を得ているのだろう。詳しい説明は煩雑になるので避けるが、形や色や大きさ等の視覚対象物の認識を行う脳の微少な特定部位に器質的な異常が発生すると、様々な障害が発生するのだが・・・、もしクオリアと云うモノが存在するのなら視覚連合野に存在するのだろうが、何れかの微少部位に損傷がある場合の不完全なデータからも可能な限りの「主観的体験が伴う質感」が得られる事になっている。その損傷部分が広範囲となった場合・・・例えば、右半球の視索に重大な損傷が発生した場合には、視覚の半分が見えないと云った視空間半分の失認に留まらず「半側空間無視」を引き起こす事が知られている。又、視覚には全く障害が無いにも拘わらず、片側の視野を完全に無視してしまう例も知られている。その「半側空間無視」では、かなりのケースで視覚に留まらず、あらゆる事象の事で半分の空間を無視してしまうのだが、そう云った症状が顕著でも当の御本人は(強がりではなく)痛痒に感じない風に見える。例えば、脳の損傷が視覚関係で完結していて体の上肢下肢には全く障害が及んでいない(片麻痺ではない)場合でも、無視する側の体を無視してしまい、その半側無視への洞察や認識をも無視してしまうのだ。

幻肢がある。以前は、幻肢患者が手足を失う前に四肢を使った経験から後天的に獲得・構築した脳神経回路網内の機能的ニューロン集団のネットワーク・パターンから、幻として認識されているとしていたが、どうやら少し違う事が判ってきている。大脳皮質上の体の部位に対応したマップに近い部位への感覚が、失った肢を受け持つマップ部分に浸食していく事が突き止められている。これこそが幻肢(特に、幻肢痛の正体だ)この事は、先天的に上肢や下肢を持たない人にも幻肢が発生する事が知られているので、身体感覚はある程度まで遺伝的に規定されていると見なす事が出来るのだろう。

片や、「半側空間無視」として遺伝的に規定された身体感覚のマップを潔く半分を切り離す事がある反面、遺伝的に規定された身体感覚のマップに影響を受けてしまう場合もあると云う事だ。「それで、もう説明されずに残るものなどない。それで意識の全てが説明される。」の「受動意識仮説」側でも、「それでも説明されずに残るものがある。」と云う「クオリア理論」側でも、両陣営側で、それぞれの持論に基づいて、それぞれで破綻を来さず説明がされている。

過去記事「(その2)人の記憶はアテにならないとして・・・ 2011-10-28 23:07:00 | Innocent joke」に、【怖いから信じたくない・・・「受動意識仮説」なんかクソ喰らえ・・・と、宗教や「クオリア理論」に頼りたくもなるカモ知れない。】と、私は書いたが、【頼りたくもなるカモ知れない。】と云うのは、【頼りたくない】と思っているから・・・である。霊的な話や宗教(原始仏教)の話を好んで書く風に思われている私なので、クオリア派だと思われたカモ知れないが、申し訳ない事に「受動意識仮説」派なのである。特に「原始仏教」は断じて宗教ではなく哲学として信奉しているツモリなので念の為。しかし、何れにしろ・・・<私>と云う認識を得る感覚の正体が、未来の科学の進歩に依って「意識の全てが説明される」のか、今後の科学の進歩でも「それでも説明されずに残るものがある。」のかは判らない。例えるなら、私の<私>に纏わる総てが人工頭脳に移植されてたとしても、その<私>が生物時代と同じか否かを<私>に認識できるとは思えないからだ。「それでも説明されずに残るものがある。」とした方が、大部分の人にとってナンダカ有り難い気がするのは事実だろう。創造主としての神を信じるか信じないかは別として、生き物には生物として機械とは置き換え不可能な何かが宿っているとした方が・・・命の有り難さは高まるのだろう。

「受動意識仮説」派だとカミングアウトした上で、<私>と云う意識を機械に置き換える事が可能となる為には、エピソード記憶を行う「自分自身」を宿した事にするだけでは説明の付かない事が若干残る事を紹介したい。これがクオリアだと云われれば負け確実なのだが・・・。人工頭脳が進歩しても真似が出来ないカモ知れないと私が思う事が「知っている気がする」と云う気持ちだ。街中で誰かに親しげに挨拶をされた時・・・誰だか思い出せないが知っていると云う感覚は、既に人認識の中枢が存在する事が知られていて、知っている人と知らない人だけを弁別する能力があるのだそうでだ。だが、物理や数学の難しい公式を訊ねられた時に、フト感じる・・・知っている筈だが思い出せない感覚、いや、もっと単純な「海苔」の名前が咄嗟に思い出せない感覚・・・何をするモノか味も舌触りも判っているのに名前だけが出て来ないと云う感覚・・・を機械で置き換える事は果たして可能なのだろうか?思い出せないと云う事は知らない・・・で済ませば良いだけなのに、思い出せないけど知っている感覚・・・だ。今のコンピューターでも存在す筈の記憶領域にデータが存在しないって事はHDDクラッシュに限らず起こり得るだろうが、FAT破損等で記録領域が特定出来なくても、そのファイルが存在した記録が在れば・・・知っている筈だが思い出せないと云うは在るだろう。その時に、機械上に移植された<私は>知っている筈だが思い出せない・・・と云う感覚を感じられるのだろうか?

機械は製造されてから素子や回路が勝手に切り替わる事は無いのだが、人間の脳細胞では遺伝子レベルでの改変が日常的に行われている事は古くから知られていた。

遺伝子組み換え、脳細胞でも高頻度…初の実証 (2011年10月31日08時46分 読売新聞)

 人間の脳細胞では遺伝子組み換えが高頻度に起き、各細胞ごとにゲノム(全遺伝情報)が異なっていることを英エディンバラ大学や理化学研究所などによる国際チームが発見した。

 人間の細胞で遺伝子が組み換わるのは免疫関連の細胞が知られているが、脳細胞でも組み換えが起きていることを実証したのは初めて。2万数千個しかない人間の遺伝子を使って脳細胞が記憶や思考といった複雑な活動をどうやってつかさどっているかを説明する成果で、英科学誌ネイチャーに31日発表する。

 チームは、細胞内で動き回ることができる遺伝物質レトロトランスポゾンに着目。この物質の影響で組み換わった遺伝子を検出する方法を開発、脳に関係のない病気で亡くなった人の脳組織と血液を比較した。その結果、血液では組み換えはほとんど見つからなかったが、脳組織では少なくともその100倍以上の頻度で組み換えが起きていた。


果たして、遺伝子レベルで書き換わった脳神経細胞が、以前とは違う振る舞いをするのか否かは私には判らないが・・・。因みに(その3)で登場したHE2は、定期点検の際には、素子や回路の変更も辞さない進化する人工頭脳なのだが・・・。
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