豊川高校探Q部

豊川高校探Q部は、楽しいこと、面白いことを探求し、その真理を探究する部活動です。どんな新しい出会いがあるかな?

日本で一番宇宙に近い場所 - JAXA相模原キャンパス訪問記 -➄

2015-08-31 17:39:17 | 旅行
 ブラックホールの謎に迫る「すざく」や
 太陽観測衛星「ひので」の説明を受けた。


 「太陽の観測ならば地球でもできるのに、なぜ宇宙で行うのでしょう」と
細田先輩から質問をされた。

 「空気の影響を受けない」「地球の磁場の影響を受けない」などがポツポツと答える。
 「そうだね、空気の層で私たちは有害な宇宙線から守られているが、
  その反面、空気により屈折などで正確なデータをとれない。
  だから、宇宙で観測する必要があるんだ。
  地球上という見方や発想しかなかったら、宇宙開発や観測などできない。
  答えがないことだから、想像力を働かせることが大切」と先輩。

 いよいよ「はやぶさ」と「はやぶさⅡ」だ。

 まずは初代「はやぶさ」
「はやぶさ」(MUSES-C)は、小惑星探査を目的に開発された探査機です。
「はやぶさ」が探査するのは、地球の軌道と似た軌道を持ち、
日本のロケット開発の父である故糸川英夫博士にちなんで「ITOKAWA」(イトカワ)と名付けられた小惑星です。
小惑星までイオンエンジンを使った飛行を行い、自律的に小惑星に近づき、
その表面から、物質のサンプルを持ち帰ることを目的にしています。【JAXAより】
 

 「はやぶさ」はイオンエンジンという新しい技術で小惑星を目指しました。
イオンエンジンはキセノンという気体をイオン化し、電気的に加速して噴射するものです。
効率が非常によいことから、将来の月・惑星探査でも重要な技術として期待されています。
また、遠く離れた小惑星に探査機が自ら判断して近づく「自律航法」を実証しました。
カメラやレーザ高度計のデータをもとに、小惑星との距離を測りながら、近づいていきます。【JAXAより】


最大の特徴は、「イオンエンジン」と「自律航法」である。
その「イオンエンジン」を担当したのが、細田先輩である。
なぜ「イオンエンジン」だったのか?
まずは効率の良さ。いわゆるロケットのように燃料を大量に消費するものでは、
片道20億kmのような超距離を航行し続けることはできない。
求められるのは軽量で、いわゆる燃費の良いエンジンである。
そこで電気的に加速できる「イオンエンジン」に白羽の矢が立ったようだ。


写真の真ん中下の部分が「イオンエンジン」である。
その最新鋭「イオンエンジン」の生み出す力はナント!
人の「鼻息」程度。
しかし、その鼻息を継続していくと理論上、光速まで可能になる。

小さな力でも「継続は力なり」ということを教えられた。

もう一つの特徴「自律航法」
自律とは「自分自身をコントロールする」という意味だ。
つまり、宇宙船というより「ロボット」である。
自律型にした理由は、
20億kmの距離が、光の速さでも15分かかるということにある。
つまり、「はやぶさ」に異常があった場合、地球に状況を知らせるのに15分
それを受信して、瞬時に判断し、指示を送ってさらに15分。
トラブル発生から30分以上かかってしまう。それではもう「はやぶさ」壊れているかもしれない。
だから、「はやぶさ」自身が自分で考えて判断しなくてはならないのだ。

往復40億kmの旅を支えた自律型のコンピュータはさぞかし高性能だと思うだろう。

実は、それが「ファミコン」程度、現在のスマホの方がよほど高性能だという。

そんなものであの旅を・・・と思うだけで感慨に震える。

頭の良さって何だろう?
難しい計算ができること、語学が堪能なこと、難解な理論を理解していること・・・

自分のことを理解していること。
ではないかと「はやぶさ」は教えてくれているような気がする。

                                       つづく



日本で一番宇宙に近い場所 - JAXA相模原キャンパス訪問記 - ④

2015-08-28 17:56:59 | 旅行
 日本のロケット開発の父について、説明しておく。

糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 1999年2月21日)は、日本の工学者。
専門は航空工学、宇宙工学。
ペンシルロケットの開発者であり、
「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。
【Wikipediaより】

 先号でペンシルロケットは横に飛ばしたことを書いたが、
紙を並べておき、横に飛ばして、貫通した枚数を勘定する。
この方法で推進力や機体のねじれなどを測定したそうだ。
資源はなくても国土が狭くても知恵がある「日本」の力を思い知った。

博士は、どんなに失敗しても「失敗ではない。この方法ではできないということが分かった成果だ」と
言っていたらしい。
その精神が困難を極めた宇宙開発を進める原動力になった。
その偉業をたたえ、初代「はやぶさ」が向かった星の名を「イトカワ」と名付けられた。
 

 つづいて、日本初の人工衛星「おおすみ」の説明を受けた。

打ち上げは1970.2.11。筆者は1970.8.3生まれだ。筆者から見ても、先輩である。

 何しろ日本初の人工衛星。何の目的で打ち上げられたのだろう。
 その目的は・・・地球の周回軌道を回る。

 そもそも人工衛星の定義は「地球軌道上で、ある目的をもって存在する人工天体」である。
 おおすみ先輩は、一応感知できるように電波を発信していた人工天体だ。
 その機体は、2003年まで飛び続けていたそうだ。日本の技術力の高さを思い知った。


さて、これは展示ケースを持ち上げている様子である。

右から2番目の子が資料で鼻を押さえている。
これは、クサイからである。

 おおすみが飛んだ1970年。それ以前に米国はアポロ計画を成功させている。
米国などの大国は、液化燃料を使用している。資源のない日本は・・・。

写真右側の固形燃料を使用していたのだ。
これは世界に例を見ない取り組みだった。
また、軍事目的ではなく、大学が中心となり開発したという点でも世界で類を見ない偉業であった。
この固形燃料には、アンモニアが含まれており、
45年以上経った今でも猛烈な臭いを発しているのだ。
私たちは何年経っても軍事目的ではなく技術開発をしてきた精神を忘れないでいたいものだ。

 見るだけじゃなく、聞いて、そして嗅いで、五感で感じる宇宙開発の歴史だ。

こんなことができるのも、先輩がいるから・・・、探Q部ならではだ。

                                     つづく


日本で一番宇宙に近い場所 - JAXA相模原キャンパス訪問記 - ③

2015-08-28 13:48:35 | 旅行
13:00 JAXA展示会場で待ち合わせ



待っている間に少し自由見学。

一般展示会場には、

あの「はやぶさ」と現在航行中の「はやぶさ2」のレプリカが展示されている。

奥が「はやぶさ」、
手前が「はやぶさ2」


先輩がいらっしゃった。

本校平成3年度卒業生 細田聡史工学博士。東京大学大学院卒。

その偉大なる先輩が、手には資料をもっている。


手渡された資料。


中はJAXAの概要や展示品の説明などがまとめられていた。忙しいのにも関わらず、こんな手づくり資料を・・・感謝。

まず、宇宙開発の歴史から説明してくださった。


日本の宇宙開発の歴史は、

まず敗戦で大きく変更を余儀なくなされる。

戦前までの開発データはすべて没収。戦後、ゼロからのスタート。

細田先輩が指さすのは、日本のロケット開発の父「糸川博士」が実験に使用したペンシルロケットである。

500ミリのペットボトルほどのロケット。

それでも貴重な実験機材。上に飛ばしたら紛失してしまう。

だから、最初の実験は横に飛ばして実験した。

当時の苦労と工夫がうかがえる話が盛りだくさんだ。

                                    つづく

日本で一番宇宙に近い場所 - JAXA相模原キャンパス訪問記 -②

2015-08-28 13:39:47 | 旅行
JAXA相模原キャンパスに到着。

守衛さんに挨拶すると、バッジを渡された。

そして「そのまままっすぐ行って、入口に駐車して」と言われた。

言われるがまま直進。

こんな感じで駐車。


本当はバスの留場はないそうで、超VIP扱い。

まずは、昼食をとることに

JAXA食堂へ


多彩なメニューの中、やはりここは「SPACE LUNCH」しかない!


要するに、ピラフとコロッケ。その周りにはトマトソースとホワイトソース。

人参とオクラが星を連想させる。さすが!?宇宙に一番近い場所!!!

教員も思わず笑顔に



食堂を出ると生協がある。大学と同じような感じだ。


その脇にある自動販売機。


画像が粗くて申し訳ないが、「バニラアイス」が宇宙食になっていた。

さあ、いよいよ先輩との対面だ。

乞う!ご期待


日本で一番宇宙に近い場所 - JAXA相模原キャンパス訪問記 -①

2015-08-28 13:16:00 | 旅行
 8月27日木曜日 8時 豊川高校出発。

 今にも降り出しそうな空模様の中、宇宙への扉を開きに旅立った。

 三ケ日JCTを過ぎ、新東名に入ったあたりから大粒の雨が降り出した。


 ドライバーにも緊張が走る。

 情報機器の発達に伴い、スマホでも雨雲の動きが把握できる。

[ヤフー雨雲レーダーより]

 かなり局地的なものであることがわかった。

 新東名名物トンネルを5つくらい過ぎるころには、雨も止んでいた。

 清水SA付近では富士山が見られるかも…と期待したが、

 雲は残り、富士山を見ることはできなかった。

 この時期は晴れてても雲がかかることが多いそうだ。

 よほど運が良くないと、
 こんなのは見られないそうだ。

 予定よりも順調に進み、時間調整のために足柄SAに立ち寄る。

 日本テレビの人気番組「行列のできる法律相談所」の特設ブースが作られていた。

 SAは休む場所から集客の目玉になりつつあるのかと商業の動きも学ばねば・・・と考えさせられた。
サービスショット


 足柄を出て、海老名JCTから圏央道に入る。
 
 相模原愛川ICを出て、12:10にJAXA相模原キャンパスに到着。


 キャンパス内の模様は次号より始める!
 乞う!ご期待。