昨日は「努力とは?」ということを取り上げてみました。
実はつまらない話なのであまり反応がないかなあ?と心配していたらまたたくさんのコメントをいただきました。 昨日も申し上げたとおり、コメントはいかなるものでも大歓迎ですし、TBについても記事に直接関係なくともおたがいのブログをつなぐためのシステムであると理解しています。
中にはTBをするな!とのコメントをされる方もいますが、基本的には上記のような考え方なので、お邪魔でしたら削除してください。なるべくこちらも気をつけますので・・・・・
さてコメントの中に、成功するには運と才能が大きく影響する。といったものがありました。そのとうりです。しかし「成功」するにはそうでも、「ホームレスにならないで、せめて人の迷惑にならないように努力して生活する。」には運も才覚も関係ないのでは?
いいですか?成功するのと人に迷惑を掛けないで生活するを同じレベルで考えてはいけません。
昨日も書いたように「努力したものが必ず報われるわけではない。しかし成功したものはすべからく努力をしている。」成功するかしないかは、成功するまであきらめずに努力するか、途中で努力をやめるかの違いに過ぎない。あきらめてしまったら必ず成功しない。」のですから、全員が必ず成功はしません。
しかし努力しなければ必ず「成功」はしないのです。理論に矛盾は無いのです。これが真実であり真理であるからこうなるのです。理論ばかりを机の上で振りかざしても説得力はありませんよ。
そしてもうひとついえることは「人間全員が幸福になることは不可能」ということです。まあここまでいくと宗教の部類に入ってしまうのでやめておきます・・・
さて、ホームレスの人たちが努力していないし、社会保障を悪用しているという考えは変わりませんし、公園の占拠は「盗人猛々しい」話です。まともな世の中にするならけしてこのような横暴を許してはなりません。断固排除しましょう。
そして支援者の方も公園にとどまることを支援(?)するのではなく、みなが自立支援施設にはいってがんばっていけるような支援をすべきでしょう。社○党とか共○党まがいの騒ぎ立てるプロパガンダにだまされないようにしてください。
ところで昨日からの話題の「努力」ってどのようにすればいいのでしょうか?
これが学生なら話は簡単です。 宿題があるような小学校などでは、きちんと宿題を毎日やる。そして大いに遊ぶことです。下手に塾などいくとせっかくの人格形成に障害を及ぼします。子供は、特に小学生は下手に塾など行かないで、真っ暗になるまで友達と遊ぶべきです。表で。その中でさまざまな「事件」がおきます。その事件は大人から見れば些細な事でも、子供にとっては最高の勉強になります。
中学校なら部活と勉強をまじめにやる。高校生なら将来を見据えて部活と勉強をまじめにやればいいのです。
学生はまだ子供なので完全に努力し尽くすことは難しいでしょうが、そこで遊んでしまったら終わりです。
たとえば高校生の時に遊んでいる子達は一見「おしゃれ」で青春を謳歌しているように見えます。彼らは口をそろえていいます。「今が楽しけりゃいいんだよ。」「将来なんか何とかなるよ。」「おれはビックになるから大丈夫だよ」「あんなさえない子達と一緒にされあたくなーい」
このような子供たちは、私の知る限り、高校生の時馬鹿にしていた「さえない人」達に99.99%の確立で5年以内に逆転されます。そして逆転されたときにはすでに逆転し返すのはかなり難しいほどの差がついています。(逆転は不可能ではありませんよ。)
学生のときに一番学ぶべきは「まじめ」にやるということだと思うのですが?
つまりホームレスだろうが学生だろうが「負け組」に入る人には共通のスローガンがあるわけです。「今がたのしけりゃいいんだよ!」というスローガンです。
つまり努力とは「今」でなく「将来」の自分を信じて自分を研鑽することを言うのだと私は思うのです。 いいんですよ。「今」が大事な人は「今だけ」楽しめば。それは誰にも非難できません。が!もしその結果困ったことになっても人に頼るのはもはや許されないということなのです。
では社会人はどのように努力したらいいのでしょうか?
以前のエントリーに以下のようなこと書いたことがあります。
ところで会社はもちろんのこと、個人でも目標を設定するというのは大事なことです。目標といっても簡単なことです。
たとえば10年後に自分がどのようになっていたいか、夢レベルでかまいません。たとえば会社経営とか株式で食ってるとか、ビルオーナーとか何でもいいんです。この10年後のビジョンを現実的なものしか描けない人はもうどうしようもありません。とにかく夢でいいので考えて見ましょう。
それが決まったら漠然としていていいので、その10年後の自分になるには5年後の自分は何をしていたらいいかを考えてみてください。
たとえば会社経営者でありたいのならせめて今いる会社の課長とか、チームリーダーとかマネージメントにかかわる部署にいる、とかいったある程度現実的だけどまだ今の自分には少し手が届かないかなあ位の目標を立てましょう。
それができたら次は3年後の目標を立てます。たとえば係長になろうとか、営業で一番であろうとか、かなり現実的で今より倍くらいがんばればできそうな目標を立てます。ここまでくると具体的な方策はかなり検討がついてくるはずです。また近くに見本になるような人が結構いたりするものです。
これができたら1年後の目標を立てましょう。たとえば今の営業成績が5位だから一年後には2~3位くらいにはなっておこう。といった具合です。これは少しがんばればできる目標です。どうです?かなり簡単な感じになってきたでしょう?
これくらいならできそうです。 ここまできたら同じように6ヶ月後の目標を立てます。一年後に2~3位なら半年後には4位くらいの位地を得ようなんてのは、ほんとに少しがんばれば実現可能です。
そうしたら3ヵ月後の目標を立てます。たとえば今は一日10件の顧客周りをしているから3ヵ月後にはかならず15件ににして見込み客を今より2件増やそう!といった具合にかなり現実に即したものになるのです。
最後は、ならそのために1ヵ月後には何をしよう。そのために必要なものは何かな?ツールは?知識は?といった具合に考えます。
そうしたら、今日は何をすべきかしら?と日々の業務に何かをプラス1するわけです。 このように考えていてホームレスになる人がいるとは思えませんが?。
そして日々の働きようも大事です。
私も以前サラリーマンでしたが、サラリーマンがサラリーマンとして働いていたら一生サラリーマンです。(当たり前だろ!との声が聞こえてきそうですが・・・・・・) ですがこれも気持ちの持ちようです。
部課長などの管理職をされている方はもちろんご存知だと思うのですが、平社員でも以下のように考えることは大事です。
つまり「自分は個人事業主」であると考えるのです。「個人事業主」とは、外資系の保険会社などに多い形態で、生命保険のおばちゃんなんかには多い働き方で、様は個人が一人一人会社であると考えるのです。
たとえば自分の給料が月の額面で30万ボーナスが50万×2回だったとしましょう。
そうするとあなたの年収は30万×12回+50万×2で460万になるわけです。ここまでは誰でも計算できるのですが、あくまで概算ですが会社がこの年収の人の福利厚生や年金、健康保険などで毎月支出している金額は額面の給料をほぼ同額と考えていただけると、あなたが会社(もしくは役所)に席を置いておくだけでかかるコストは460万+360万で約820万円です。
つまり従業員が一人席に座っているだけで年間820万円のコストがかかるということなのです。月に直すと68.3万円。つまりあなたが68.3万円以上の「利益」をあげていなければ、「お荷物社員・お荷物役人」なわけです。
ここで重要なのは「売り上げ」ではなくて「利益」だということ。利益で無いと意味がありません。さて営業職のようなわかりやすい職業はいいですね。自分の売っている物件の原価を知っているはずですから、売値ー原価が利益です。
内勤などわかり難い職種の人は、そのあなたがやっているしごとをアウトソーシングした場合に、その会社がいくらでその仕事を請け負ってくれるかでおおむねの判断がつきます。また派遣社員の給料で見てみてもいいでしょう。
しかしアウトソーシングの会社は要求された事項をほぼ完璧にこなしますので、自分の能力とかんがみてどのくらいの割合で計算したらいいかは自分で考えてみてください。「俺の能力じゃ80%くらいかな?」とかいった具合で。
本当はここに間接広告費や直接広告費、家賃、水道光熱費そのうえ税金といったさまざまな経費がかかるのですが、これは経営者の責任ということでいいでしょう。
上記のように見てみて自分がどうか?を考えてから「給料が安い!」とか「待遇が悪い!」といった批判をするべきでしょう。裏を反せば自分の人件費も稼げない社員はいてもらっては困る社員ですが・・・・・ この計算で、人件費以上の利益を上げればあげるほど会社は重要な「人材」として見ます。
しかし、このような人材の影に、自分の人件費すら稼げない「ぶら下がり社員」がたくさんいることは許されません。これこそ不公平です。 つまり社会人ならばまずは自分の人件費を稼ぎ出すことを第一歩として「努力」するしかないのです。
そして個人事業主が優秀であれば「顧客」はたくさんの注文をします。この場合は会社から仕事をたくさんまかされて給料もふえるわけです。
社会人も具体的な「努力」の方法は簡単です。「人より長く働く」か「人より速く働く」ことにより、「人より成果」を出せばいいのです。もちろん長く速く働いてもいいのです。
こんなことは当たり前です。古来当たり前の話でしょう?なぜ「弱者」の名前の下に「努力」しなかった人を擁護するのですか?いろいろな理屈を述べても結局はこれです。
あなたは一度でも「今が楽しければいいや。」とか「これぐらいでいいや」と思って逃げたことはありませんか?それは一度ではなく再三にわたってのことではありませんか?それならば「社会」や「経済」の勢にして自分のことを守るのをやめませんか?いまのあなたの現状はどう考えてもその「今がよければ・・・」の結果です。 「自己責任」とはこういったことだと思うのですが?