むりせず、あきらめず

やぼな男のひとり言

「だろう」に気を付けよう

2011年09月23日 02時51分15秒 | 日記
 多くのトラブルは、機械にしても、社会にしても「だろう」の積み重ねで起きます。

 福島原発も、マークⅠという、GEの設計だから、大丈夫「だろう」から始まり、
 スペインに建設予定と同じ設計にしてくれたら、安くして、フルターンキーという
設計建設施工まで、GEが責任を持って行い、運転できることを確認して、キーを差上げます。
 
 という契約を結び、日立や東芝に、技術供与(教えてやってほしい)という、東電の要請付き
の条件で工事が始まりました。

 35mもあった福島台地が、10mまで削られ、スペインと同じ設計のBWRの原子炉とタービンが
建設されました。(当時の建設記録では、1,000年以上地震の影響もなく安全な場所との紹介がされて
いました。ここ100年の間?地震発生確率ゼロ地点「だろう」を。地震の影響のある10mにしてしまい
ました。

 前後関係は定かではないが、今回問題になった、ベント管(煙突状のもの)、若かりし頃
原子力に、なぜ煙突が要るのか、不思議で仕方なかった。格納容器建屋の小さいのも不思議
だった。

 書店で、「原子力のおはなし」を買って、BWRやPWR、その他の原子炉などの基本構造
(設計思想)等を理解すると、BWRが地震への配慮はなく、炉溶の配慮が甚だないことが
判った。

 この本には、ベントの説明は確か、なかったが、今回の事故でその役割がようやくハッキリした。
どう見ても、強くない容器は、4㎏/㎝2の設計圧力(水道水の水圧程度)の強度しかなく。
 その中に大きな原子炉圧力容器があり、炉融など起これば、格納容器まで突き抜けるのは当たり前
である。

 最近のTV番組で、当時のGEの設計者も「原子炉は耐地震なども配慮しなかったし、政府からも
炉溶の想定などの検討要請もなかった」と言っている。
 そしてGEの設計者の中でも(日本の原子力学者の中でも)危険視する人がいたが、耳を傾ける人も
なく。(アメリカでは、議会の公聴会でも意見陳述している)しりぞけられた。

 炉溶が起こる確率は、人が隕石に当るより、可能性は低いという都合の良い研究レポートの答えに
流れて行った。(確率論は、数字のお遊びができ、故障とカウントするかしないか、信頼度をどの程度
に取るかなどで、2桁位は何とでもなるが、信じたい人の信じたい値にすることができる、これも
これくらい「だろう」の世界が先にあって決まってしまう。

「原子力のおはなし」の中での重大事故の確率も、B&W社のPWRの事故の影響か、BWRの方が
PWRより、発生確率が低かった。共に確か 10マイナス7乗/炉年以下だったと思う。

 TV番組はなぜ原子力事故が起きたか、ばかりの視点で、報道をしている。
原子力関係者がアメリカで稼働している、原子炉でも大きく8種類あると、言っていたが、マークⅠは
アメリカの場合、東アメリカにしかなく、地震の発生がない地域であり、幸いしたのだろうとの見解
であった。
 
 どの炉が安全かは、TVの報道番組では、評価の範囲を越えて要ることは理解するが、国民の不安を
結果的に、よりあおっている。

 アメリカで1980年代に、今回のように、全電源喪失、それでも最初の約1時間だったと思うが、バッテリー
の電源が友好に働くとして約7時間後には急激に炉内温度が上昇し、炉溶に至るとの結果になった。

 今回の福島原発の推移は、ほぼその通りになった。水素爆発がもうすぐ起こると、ワイフに言った3分後
に、水素爆発が起きたと語っていた。

 アメリカでは、3台の原子炉に非常用電源が8つあり、それも多様な形で、川が増水しても、耐水隔離されて
おり、ディーゼルだったと思うが、防御がなされていた。

 アメリカでは、完全に政府からも、干渉されない独立した、原子力安全の為だけの機関(4000人いると
言っていたと思うが)があり、スリーマイル島の事故の際も、陣頭指揮に駆けつけ、原子炉内の炉心溶融
操作ミスと、機器故障(弁の状況判断ミス)に気付き留まった。

 そこの勧告により、原子炉に3系統のバッテリー設備の増強を義務付けたり、権限が完全に独立している。
日本の保安院のような小規模で、原子炉設備の判らない人間の集まりではないことは確かなようだ。

 自民党がダメだから、民主党ならチョットはまし「だろう」と思ったら。私はマニフェストを観て、
民主党は、自民党以下だと思った。

 自民党も派閥があり良くないが、民主党は、それ以上に寄せ集めの党であり応援したいが、その弊害で
多くの人が喜びそうなことばかりを書いて、国の経営と言う視点で言うと落第点の「バラマキ福祉」
悪平等の世界に入って行ってしまった。これに乗った報道にも、責任があるし。自民党の責任も重い。
ようやく、最近の新聞でも、そんな論調を観るようになってきた。

 残念ながら、日本はヨーロッパが、今もがいている世界と同じような方向に向かっている。

 ベートーヴェンの作詞した第九の第1節ではないが「おお 友よ、この調べではない」ということを
早く気がついてほしい。
 野田新首相にエールを送りたい。

 予定時間を30分も、過ぎてしまいました。 ブログを終えます。

 何事もほどほどにしないと、肝心の所で失敗します。

 チャーチルや、小泉純一郎氏が偉かった部分は、無用な友達を作らなかったことです。
前のブログの「楽しい人生、友がいてこそ」に反しますが、
政治家たるもの、「友がいて、人生を楽しもう」などと言う人が、やるものではないということです。

 先を見通す力と信念を持って、自己決断ができる人でなければなりません。
友など切り捨て、能力を見抜き、任せるところは、大胆に官僚や大臣に任せる度量が必要です。
孤独に耐えることができる人で、なければなりません。

 菅前首相は、その真逆の人でした。

 野田新首相は、苦労人、自分自身をドジョウにたとえたとか。ドジョウも清流に住むものや、
また、泥の中で住むものもいます。どちらのドジョウが政治家に向くのか判りかねますが、
どちらでも住めるどじょうであってほしいと思います。

 午前3時前になってしまいましたのでこれで終えます。 

 

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