子どもたちのいじめやいじめ自殺が社会問題になっている。「いじめは昔からあった」という人もいるけれど、最近のいじめの特徴は、高校生にまでひろがっている点だと指摘する専門家もいる。
K高校に通う娘と話し合ってみた。娘は「うちの高校にいじめはない」と断言する。「他者を排除する発想がないから」だそうだ。 K高校は、制服もなければ校則もない。化粧も髪の色も爪の色も自由だ。「高校生のブンザイで」と眉をひそめるおとなもいるけれど、その自由さは昔ながらの都立高校だ。
志望校を決める際、文化祭を見にあちこち回ったが、K高校は女装している男子たちが校門で自転車整理をしていた。ファッションの自由は心の自由の表れだと考える私は、とても感心したものだ。ほかの高校は教師が見張りのように校門にいたから、その対比は鮮やかだったのだ。
入学当初、娘は「みんな個性的すぎる」と嘆いた。「スラムダンク」顔負けのバスケ少年もいれば、中世の宗教美術について熱く語る女子もいる。自他ともに認めるオタクもいれば、芸能人おっかけもいる。ブランドものをもつ子もいれば、貧乏が自慢の種になるグループもある。そうしたさまざまな個性を、お互いがほどよい距離感をもって仲間として受け入れる校風がある。
保護者会で、あるお母さんが「娘は中学までは友人関係での悩みが多かったので、高校でも心配しましたが、早くなじめたので驚いています」と発言した。家に帰って娘に話すと、「たしかに、彼女の個性はK高校だからこそ花開いた」と笑った。
ハロウィンの日、黒いマントを羽織り、魔女のような黒いぼうしをかぶって、カボチャのバッグをもってキャンディを配って回る子がいたそうだ。その異様なはずの行為にそれほど違和感がなかったというから、ふだんの様子も推して知るべしだ。これは娘と私だけの見方かもしれない。けれど、いじめが、異質な他者の排除、競争的空間の中でのストレスに原因があるといわれることと考えあわせると、自由な個性が認められるK高校にいじめがない(あるいは少ない)のも当然のことかもしれない。
(ユキメ)
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