日本の「レイライン」を真面目に研究するブログ

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聖なるライン(10)

2007-12-19 20:57:09 | 聖なるライン
成務天皇陵(東経135度47分14秒)と日葉酢媛命陵(東経135度47分20秒)。この中間の東経135度47分17秒前後に南北ラインが引かれていると仮定する。

その前に「聖なるライン」についてのおさらい。

「聖なるライン」とは、藤原京中軸線上に、菖蒲池古墳、天武・持統合葬陵、中尾山古墳、高松塚古墳、文武天皇陵、キトラ古墳が並ぶという考え方。しかし現在では否定的な見解のほうが有力。なぜなら天智・持統合葬陵を除き、それらの古墳は中軸線から東西にずれているから(実際は天智・持統陵もずれていることは既に書いた)。

否定理由はそれだけではない。同時代に造られたと考えられるマルコ山古墳束明神古墳が完全にこのラインから外れているというのも大きな理由である。

※参照 「特集 高松塚光源」(奈良新聞)

この二つの古墳に注目する必要がある。


(マルコ山古墳)


(束明神古墳)

いつものように「国土地理院地図閲覧サービス」で両古墳の位置情報を調べようとしたのだが、正確な位置が良くわからない。今回は「飛鳥プロジェクト」のページに記載されているGPS測定値を利用させてもらいました。

マルコ山古墳 北緯34度27分39秒,東経135度47分26秒
束明神古墳  北緯34度27分21秒,東経135度47分10秒

緯度で18秒、経度で16秒離れている。このデータを見ただけでは両者の関係は見えてこない。だが、この両古墳の経度の中間は何度であるかを調べると興味深い。東経135度47分26秒と東経135度47分10秒の中間は東経135度47分18秒だ。

上に書いた成務天皇陵と日葉酢媛命陵の中間である東経135度47分17秒と1秒しか違わない。

筆者の藤原京中心線の東西に古墳が造られたという考えを、こちらにもあてはめると、この両古墳は、東経135度47分17秒~18秒前後にある南北線の東西に意図的に造られたと考えられなくもない。そして、それは佐紀盾列古墳群の成務天皇陵と日葉酢媛命陵の中間が基点となっている。

これがかなり飛躍した考えであることは認める。しかし気になる。

(つづく)


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