沖縄と癒し

東京で歴史を学び見て体感して今、沖縄から癒しのメッセージを送ります。

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2012-11-27 17:00:00 | 癒し
父は私が8歳のときに家を出て行き、それ以降母子家庭でした。

私は家計を助けるため、小学生の頃は新聞配達、

中学生の頃は土方、左官屋、スーパーの店員。

高校生の頃はガソリンスタンド、家電品店、土方と働いてきました。

しかし、姉はアルバイトなどせず、すねかじりでした。

はっきり覚えているのは、中学生のとき

私が左官のバイトで手がセメント焼けしならが懸命に作業服を手荒ししているときに

姉は現在の夫と遊んでいました。

うつ病の私に母の面倒を押し付け、県庁職員の姉と国家公務員の義理の兄が

「お金が無い」と一切支援しない事が摩訶不思議です。

姉は誰のおかげで成長したんでしょうか。。。

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2012-11-26 19:32:37 | 癒し
私の通っているクリニックのブラックリストNo1は姉です。

東京で「うつ病」を悪化させた私は沖縄県福祉保険部に勤務する姉に相談しました。

その結果は「沖縄に帰って治療しなさい」でした。

しかし、何のアドバイスも無く苦労しました。

ある日、姉の職場を訪ねたところ、

「うつ病」に関する相談のパンフレットが姉の机の前にありました。

そうなんです、姉は県の「うつ病」患者担当者でした。

苦労の末、障害年金を貰い「障碍者自立支援」で何とかなりましたが、

姉の回答は「知っているよ、担当者はxxさんでしょ」でした。

姉は県庁職員、姉の夫は国家公務員です。

しかし、年老いた母の面倒を私に押し付け一線も援助しません。

最悪です。。。。