HYAKUSHOU日記

毎日の作業と暮らしといろいろの出来事

乾癬

2015-07-07 12:37:24 | Weblog
 この3日に乾癬の会会長が永眠されたのでござる。。
 「三重県乾癬の会」の会長であると共に「日本乾癬患者会連合会」の連合会の会長でもござった。
 タイトルが「乾癬」であるのは、ちと変ではござらぬかと思われるでござろう。

 彼は、拙者よりも少々年上ではござったが、人となりの中身は、拙者と比較すると何倍も大きい人でござった。
 身長はそう変わらぬのでござるが、縦幅・横幅共に大きい・・・・ということではござらぬ。
 心のスケールのことでござる。

 タイトルが「乾癬」というのは、「乾癬恐るべし」と言いたいがためでござる。
 彼の亡くなられた間接的原因の一つに乾癬があると推測するからでござる。
 これは医師が決定付けているわけでも、文献がそう言っているわけでもござらぬが、拙者の直感がそう言っているのでござる。

 彼は、「コウカシキエン」(字がわからぬのでござる)という感染症になったのでござる。
 そして、心臓に大きな病をお持ちでもござるその彼が感染症になったのでござる。
 加えて、彼は乾癬を良くするがために免疫の減ずる薬を内服されてもいたのでござる。

 これは至って一般的な療法でござるからして問題は無いと拙者は思うところでござる。
 また心臓の手術時は、生死のぎりぎりのところでもござり、ご家族も一時は覚悟をされたという事でござる。
 拙者も焦ったのではござるが。

 してそれは回復したのでござるが、その後、コウカシキエンなるものに冒されたのでござる。
 これは、どこかから細菌が体内に入り悪さをするというものでござり、彼は発熱や腫れそして乾癬のかなりの悪化等に苦しめられたのでござる。
 これもドクターの努力と、奥方・家族のお力で回復をされたのでござる。

 その後ちょっとハードなスケジュールをこなされたのでござるが、体調を急激に壊され、緊急入院となったのでござる。
 その結果、このような悲しいこととなったのでござるが、ここに至った過程で、ちょっと疑問符の着くところがござった。
 と、拙者は思うのでござる。

 コウカシキエンなる病気の菌がどこから侵入したのかでござる。
 それがドクターの言葉からは無いのでござる(ドクターを責めているのではなく判断できない状態であったと言うことでござる)。
 傷と言うわけでもなく、食事ではもちろん無いのでござり、判断するべきものが無いという事でござった。

 拙者の全くの推測でござるからしてご勘弁くだされでござる。。
 乾癬は、長年ステロイドを塗り続け皮膚が薄くなるということがござる。
 また、乾癬の皮疹は、28日位かけて新陳代謝をする皮膚が、4日程度で代謝されてしまうものという事でござり、当然角質も真皮も薄くなるのでござる。

 必然的に皮膚の質もバリア機能も弱くなるでござろう。
 菌からすれば、体内へ入る事はいとも簡
単な事となるのでござる。
 経皮的感染は起こりやすいという事でござる。

 彼はそれではなかったかと思うところでござる。
 そこで、乾癬は皮膚の病気と思われがちでござるが、乾癬にも、関節症や膿胞性等があり、目のブドウ膜炎等いろいろと全身に疾患を発症させる病気として考えねばなるまいと思うところでござる。
 「恐るべし乾癬!」と、それを言いたかったのでござる。

 と、わけがわかったようなわからぬようなところで、さらば!

徒然9

2015-06-13 20:42:14 | Weblog
 最近ニュースを見ていて思うのは、どこの国とは言わないまでも、「やくざ国家か!?」と思うのでござる。
 その国家がやっている手口は「まさにマフィア」でござるな。
 「欲しいところは因縁をつけて我が物にする」、「理屈は自分勝手なことを言い張る」・・・・。

 こちらで話をする人たちはそのような事は全く感じられないのでござるが、国家となると違うものでござろうか。
 いみじくも、東南アジアの元首が「ナチスだ」と批評したとおりでござる。
 ナチスの手口でござるな。

 武力を暴力と置き換え、国家理論を手前味噌の理屈と置き換えれば、何に当てはまるのでござろうかな。
 武力=暴力とすると、まさに少数民族の暴力支配だけでなく偏狭の人たちの支配も暴力で行っているようでござり、それが、国内だけでなく弱いと見た国家に対し力を背景に侵略をしてござるのだな。
 そしてそれが、「昔から自分たちのの領土だ」と行って事実上の支配をするのでござるな。

 歴史で学んだ中にナチスの事があったのでござるが、①として、他国の領土を侵略し正当化することを繰り返すのでござるな。
 ②として、また占領したところで、民族浄化として特にユダヤ人の虐殺があり、それ以外のところへはドイツの民間人を送り込んで人種支配をするというような事もござったな。
 ③として、ナチスの利益を得るために、二等人種国家のイタリアと手を結び、「黄色い猿」と呼んでいた三等人種の国家二大日本帝国とも手を結ぶのでござった。

 件の国家も、①のところでは「そのまま島の占領」ということや地続きのところは軍隊を送って占領しようとするのでござる。
 ②の件では、少数民族のところへ漢民族という華中の所にいる人種を送り込んで民族浄化を行い、加えて、そこの所では重要な職責をその漢民族が抑えてしまい、賄賂の横行ということが起こっているらしく、都合の良い人種支配でござるな。
 ③では、まず自分の将来利益になる国や地域、今利益を得たい国や地域に、飴をちらつかせて手を結ぶということで、多数派を作ろうとしているのでござるな。

 面白いのは、ナチスの台頭を許し、その戦火の真っ只中にいたヨーロッパの国々は、その件の国と手を結び利益を得ようとしているのでござるな。
 それは拙者には理解不能でござるな。
 今何とか言う金融機関を作るということでござるが、行き詰った時に手を結んだ国や地域はどのような仕打ちを受けることやらでござるな。

 言いかけると幾らでも出てくるのでござるからして、この辺で、さらば!

こまった!3

2015-06-04 20:42:53 | Weblog
 前回の続きでござる。
 従って3となるのでござる。
 ここでは、価格に合う米を考えるということでござろうか。

 10aあたりで18万3千円かかるということでござったが、これを1俵(60kg)あたりにすると約2万2千8百円で、1袋(30kg)あたりでは1万1千4百円となるのでござるな。
 これを今JAが買い取っている金額と比較すると、6千円ほど農家が赤字となるのでござる。
 拙宅の田圃は条件の悪い棚田でござるからして、平地の田圃であればおそらくこれよりは少々生産費が下がるかもしれないのでござる。

 価格が下がった最初の年は小売価格が全く変わらずで、中間マージンがどれだけ大きくなっているのかと思った次第でござった。
 今年になって少々小売価格が下がったのでござるが、半値ということは無く、やはり中間マージンが大きいままかと思っているところでござる。
 が、米屋も「儲けなければお飯が食べられない」ということでござるからして、認めるところではござる。

 ここで「何故に米の価格が突然半分近くになってしまったのか?」と疑問符がつくのでござる。
 もう一つは、「米の消費は農家からの価格が半分になって結果として消費が上向くのか?」という疑問でござる。
 そして、「どのような米を作れば生産費に見合う価格で買ってもらえるのか?」ということが課題となるのでござろうか。

 これは拙者の勘繰りでござるが、全中はアベ君が出した農協改革(言葉が正しいか疑問だが、ニュースに基づいて)という恫喝にびっくりして、「米の価格を下げてTTPをやりやすくするから」ということで価格を下げたのではなかろうかと思うところでござる。
 そしてその理由は売れないからということでござった。
 それならば、JAは販売努力をしていないということになるのではなかろうかでござるな。

 ここ数ヶ月、何軒かの農家と話すと、「農協へ売るのはやめた。大方親戚やら知り合いへ売ってる。」という言葉が全てでござる。
 これは尚の事JAの米が売れなくなるではなかろうかでござる。
 ここで拙者も、依然やっていたように『自力販売をせねば』と思うところでござる。

 もう一つの、「値段が半分になれば消費が増えるか?」なんてことの答えは「NO!」でござろう。
 拙者、4年近く家を出て生活していたのでござるが、その貧乏暮らしの中でもいろいろと食べるものはあって、今日は米でも明日はパンと麺類等いろいろと食べられるのでござる。
 米が安いからといってそればかりの世間ではござらぬと、拙者、思う次第でござる。

 今でも日本で一番高い米は、1俵6万円といわれているのでござる。
 もっとも、一農家で日本のお米百選に二点も選ばれる人だから当然ではござろうし、拙者も一度いただいたが、これは米の芸術かと思うほどでござった。
 コシヒカリでもひとめぼれでもそうなのでござり、最終小売では、桐の箱入りということでござる。

 拙者も自力販売に向かうには、それなりの米を作らねば売れるものではござらぬ。
 でもって、3ヵ年で完全有機栽培で、無農薬にせねばならぬと思うところでござる。
 が、それで作った米が一般的な味で「頭一つ抜けた上手い米」ということでなければ、買っていただく値打ちがござらぬのだ。

 で、今、そのための方法を考えているところでござる。
 完全有機栽培はおそらく可能と思うのでござり、農薬は使っても3製剤以内ということになると思うところでござる。
 無農薬栽培の方策はいくつか考えているところでござるが、ちょっと強硬な環境改善を必要としているところでござる。

 それぞれ、良い段階になれば、「米食味鑑定士」として『米食味鑑定士米』として販売し、水田環境の調査で「特A」となれば『環境鑑定士米』として販売可能と考える次第でござる。
 それで消費される方、食べていただける方に「最高!」と言われれば、これに勝るものは無いのでござる。
 その詳しい方策は、当面秘密でござる。

 というところで、さらば!

こまった!2

2015-06-03 14:11:25 | Weblog
 前回に続き、その2でござる。
 おそらく自己弁護になるかという気もするのでござるが、事実は事実としていかねばと思うところでござる。
 あまり事実をそのまま受け入れたくないというのもちょっと気持ちではござるが。

 米の価格でござるが、各々方は今JAへ売り渡すと如何程かご存知でござろうか。
 写真の袋は、30KG入っているのでござるが、概ね最終生産は5千円余りと思われるのでござる。
 この袋2袋で1俵となるのでござるからして、1俵1万円程度と思し召されるがが良かろうでござる。

 なぜその様になったかというのは後々のこととして、価格の件に詳しく入りたいところでござる。
 前提は、拙宅の米作りでござるが、面積は1ha(町歩)で一昔前なら平均的な規模でござり、機械も一通りということでござる。
 拙者の幼少時は、それでおまんまをたべられたのでござるが、決して裕福というところではごず、日本の中では「中の下」というところか「下の上」というところでござろうか。

 価格の構成は、機械代、肥料代、農薬代、それに付随する燃料代・電気代、水利代、保険と公租公課、などでござろうか。
アバウトな見方でござるからしてご勘弁はいただきたいのでござり、これらは変動があるのだとご容赦を。
 また一つづつの細かい計算は省くものでござる。

 機械代から行くと、農耕トラクター・コンバイン・田植え機、でござるな。
 概ね拙宅のは、合計で918万円で7年償却だからして、1年当たり118万円となり、10aあたり(1反歩・0.1ha)11万8千円となるのでござる。
 今は価格が上昇状態でござるからして、10aあたりでは12万円と見るほうがいいかも知れぬのでござるな。

 次は育苗関係でござるな。
 育苗機と播種機でござるが、このセットは付属資材も含めて50万円となり年間9万円となるのでござるな。
 従って、これは5年償却でござるからして1年当たり9万円となり、10aあたり(前述参照)9千円でござる。

 以上を合計すると、10aあたりの機会代は12万4千円毎年かかるという計算でござる。
 これだけで米の販売価格に迫っているという感でござる。
 辛いものでござるな。

 肥料価格は、数年前から急激に上昇し、拙者の現役の頃の60%高というところでござろうか。
 土壌改良材は、平均すると1袋あたり750円程度で10aに10袋でござろうて、7千5百円となり、肥料は約3千円程度で10aに4袋で1万2千円でござる。
 合計は、1万9千5百円で概ね2万円でござるな。

 農薬は、最低の使用量で見ると、箱苗に施用する初期防除剤が10aあたり4千円、除草剤は同じく4千円、状況により使用するものが約4千円となるのでござる。
 これは、1万2千円でござるが、年によっては3剤ほど増える時もござり、1万5千円と見るのが無難なところでござろう。
 実は、たくさん使用するのはごめんこうむりたいところでござるが、「必要数量を確保する」ということで、使わざるを得ないのも事実でござる。

 燃料代は、拙宅では、軽油が約140リッターで1万5千円、ガソリンは約100リッターで1万4千円(農作業だけ)となり、合計は2万9千円となるのでござる。
 電気代は、年間で4万1千円ぐらいであり、保冷庫と機械の稼動でござる。
 両方あわせて7万円となり、10aあたり7千円でござる。

 水利費というのは、田圃へ水を入れる水代と水路の管理費でござるが、これがないと米作りは不可能なのでござる。
 年間大体合計すると、5万円以上でござるが、災害や修理等で大幅に変わるため、ここでは7万円としておきたいのでござる。
 従って、10aあたりは7千円ということでござる。

 公租公課は水利以外の税金や賦課金を言うのでござり、保険とは災害等についての共済金でござる。
 拙宅の田圃はいつの間にか高位な生産地にされており、両方とも上げられてしまい、10万ほどいるものでござる。
 従って、10aあたり1万円とお安くないのでござるな。

 以上を合計すると、18万3千円となるのでござる。
 はてさて、販売する米代と栽培するのにかかる費用とどちらが多くなるのでござろうか。
 一目瞭然でござるな。

 1俵1万円で10a8俵収穫しても8万円でござる。
 今年あたり、各農家では10万円以上も赤字になるのでござるな。
 所得保障制度があるとはいえ、拙宅であれば、100万円の保障をもらわねばならぬところであるが、一ケタ違うのでござろうな。

 これが、10年余り前の試算では、1万円で1袋売れれば「赤黒トントン」であったのででござる。
 米代を引き下げるJAと政府、資材費を上げる企業とくれば、農家はどこへ救いを求めるのでござろうか。
 この状況は、小規模農家よりも大規模農家になるほど影響は大きく、今年あたり廃業する大規模農家が出てくるのではなかろうかと思うところでござる。

 次回は、拙者の行く方向を考えてみたいのでござる、で、さらば!

こまった!

2015-06-01 16:54:15 | Weblog
 またまた1ヶ月以上も空いてしまったのでござる。
 おそらく前の時より、1週間程度で記事を思ってはいたのでござるが、「億劫」という言葉が最近のさばっているのでござるな。
 これも、化石ながらも「寄る年」でござろうか。

 こまった!のひとつは「いらぬうわさ」か「いわゆる風評」かはしかとせぬのでござるが、流れているのでござるな。
 誰がその現況かというと、口でしゃべったのは約1名でござろうが、その基は拙者でござるからしてどうとも言いようがないのでござる。
 ぶん殴るほか無いというものでござるな。

 人曰く「どこへ行ってたん!ちゃんと生きてるか!」。
 また人曰く「若い嫁はんいるてか!どや!」。
 などなどでござるな。

 それを多く聞くほど、またその人達と接するほどに、その人の分類ができるようになるのでござるな。
 ひとつは、心から心配をしてくれていた人、またひとつは、三面記事的な笑い話興味本位の人、またひとつは、嫌悪感をあらわにする人、でござろうか。
 いずれにしても、今までと違った形でござるからして、対応に悩む時がござるのだ。

 最初の方には、心から謝りお礼を言う。
 次の人は、そうそう相手にする気も無く、適当という言葉がいいのでござろうな。
 その次は、一番苦慮するところでござり、誤解を解くべきかどうかというので悩むのでござる。

 そこから関連して、今まで生産したお米を購入していてくれた方々が、全て消えてしまったということでござる。
 従って、今年から生産する米をどうするべきか、困っているところでござる。
 拙者がいなかった時、ちゃんと対応していれば今のようにならず、拙者がすることも無かったのでござる。

 と、ぼやいてみても、これまた始.まるものでもござらぬので、また一から知っていただき、気を向けていただくしかないのでござる。
 はがきやEメールそして直接ということでお願いするしかないものでござろう。
 これが拙者の食い扶持になるわけではござらぬが、拙者の人生の一項目を終わらせるわけには行かなくなったのでござるな。

 米の価格についてはまたの機会として、この辺で、さらば。

ニャンコ

2015-04-14 15:56:54 | Weblog
 このニャンコ、夕ご飯を作っている拙者の肩へ乗って、降りようとしないのでござる。
 よほど拙者の肩の乗り心地が良いのかと思いきや、ぐらぐらして今にも落ちそうなのでござる。
 で、それでも降りようとしないのでござる。

 そのニャンコ、首に緑のフラワーを巻いているのでござる。
 皮膚病にかかり、痒くてかきむしるので着けているのでござるが、結構不自由でござろうと存ずるのでござる。
 それでもこうやって遊ぶのでござるな。

 このニャンコ、今、行方不明なのでござる。
 いろいろと薬が変わり、最後のほうでは、嫌がるのを無理矢理飲ませねばならぬのでござった。
 そして違う新しい病院へ行こうとすると、胃液まで吐いて嫌がったのでござる。

 新しい病院では、フラワーをはずし粉薬のやさしいのを飲ませてくれということでござったが、すでに、ニャンコは二日ほど絶食状態でござった。
 1日はおとなしく留守番等してくれたのでござるが、二日目に年寄りがボヤッととしている間に家を出てしまったのでござる。
 未だに帰らず、顔や首そして足の毛が無いので、低温には弱く、雨でぬれると低体温症になる恐れがござる。

 ここ毎日、雨か低温でござるからして、とんでもなく心配なのでござる。
 今まで、2日や3日は家を出ていてもどうという事無く、しれっとして帰ってきたのでござるが、今回は状況が違うため拙者心配で仕方が無いのでござる。
 人の言うことがわかるニャンコで、時々「こいつは人が入っているのかな」と思うことも有ったくらいでござるから、余計に心配なのでござる。

 このニャンコ以外にもいるのでござるが、もういい年のニャンコでもござり、これの兄弟もあまり幸せとはいえぬことでもござったことから、気になるのでござる。
 家内が亡くなってから、二代目のニャンコでござる。
 前のニャンコもかわいい三毛で、賢さは一緒でござった。

 前のニャンコは家内の生まれ変わりかというようなしぐさもあったのでござったし、このニャンコは今の家内の子供みたいなものでもござるのだ。
 家内の顔にも心配で仕方が無いという様子がありありと浮かんでおり、拙者もそれを見ると余計心配が増幅されるのでござる。
 夜中に音がしたり猫の鳴き声がすると外へ見に出たりするのでござるが、だめでござるな。

 猫は隠れて体力の回復を図るということでござるが、それがかなわぬ時は誰にもわからず露と消えるらしいのでござる。
 多くの動物の自然死とはそのようでござるが、悲しいのでござる。
 多くの悲しいことが有ったので、せめてニャンコでもそのような事が無いようにと祈るところでござる。

 それでは拙者、今からもう一度見に行ってくるのでござる。

 さらば!

徒然8

2015-03-12 22:39:26 | Weblog
 自分で自分のブログを除いたら、先月の自分の誕生日に書いて以来でござる。
 何年か前に比べるとちょっと悲しいかなと思うところでござるが、これは忙しいのでござるか(そんなわけがない)、気がないのでござるか(可能性は非常に高い)、ネタがないのでござるか(無いわけではない)、・・・・・。
 やはり4年以上前の1件以来でござるな。

 で、それはおいといてでござるな、今、京都で、さくらの展示会をしているのでござる。
 旭山という品種の桜で、一才桜の系統でござる。
 十年ほど前に拙者が惚れたものでござる。

 で、予告として、次回はその様子をお知らせしようと思うところでござる。
 当然ながら、写真が中心になるのでござるが、その圧縮が上手くできればの話でござるな。
 期待薄でお待ちの程を。

 で、その時まで、さらば!

記事のタイトルを入力してください(必須)

2015-03-01 18:52:24 | Weblog
 前回は、拙者の誕生日でござった。
 この世に生を受けて、何回目の成人式をすませたのでござろうか。
 いつまでも青春でござるかな。

 この写真は、某国定の放送局から送られてきたところの文書でござる。
 もちろん拙者に送られて来たものではござらぬ。
 拙宅の菩提寺へ送られたものでござる。

 そのお寺が、教育テレビで放送されるようでござる。
 番組名は「知恵泉」というらしいのでござる。
 徳川の時代の組織論というべきもののようでござる。

 詳しくは放送をごらん下され。
 拙者も詳しくは存ぜぬのでござる。
 菩提寺が、徳川家康の生涯で特筆すべき20箇所に入るということでござる。

 話は変わって、中華のことでござる。
 今まで気にはなっていたのでござるが、某御仁から事実として聞かされて、「それはあかんやろ!」となったのでござる。
 人材派遣は日本の労働形態のひとつでござるが、中華では漢民族の移住を盛んに進めているということでござった。

 例えばいろいろと伝えられる新旧ウイグル自治区などや、また、チベット等でござるな。
 ニュースでは、政治の重要な部分は中央政府から派遣された官僚が行い、経済の主要なところは漢民族の独断場となっているということでござった。
 「事実かな?」と思っていたのでござるが、事実でござり、「生活での格差はとんでもなく開いている。ということを聞いたのでござるな。

 「そりゃ暴動が起こって当たり前だ。」と思った次第でござる。
 「それてひょっとしたら、ヒトラーの奨めた民族浄化政策と同じ?」とも思った次第でござるな。
 「中華は恐ろしか!」となったのでござる。

 そうなると、以前「沖縄は中華のもの」ということをのたまわれた中華の人が放送されたことがござったが、沖縄も同じ事がいつかわからぬでござるが、起こるというのでござろうか。
 30数年前に「孫は中華に頭を垂れる事になりかも知れぬ」といわれた知識人がござったが、まさにそのようなことを感じさせる要素もござる。
 「中華」は世界の中心という思想でござり、その内容は、中華料理の食べ方と同じで、自分の都合のいいように調理し挙句の果てはそれを食い散らかして、バンバラバンにするというものでござるようだ。

 最近、毛沢東を出さないのでござるが、中国革命は虐げられた人民が武装蜂起したところから始まっているのでござる
 もしその考え方が国民だけでなく少数民族に広がったら、今の政権は滅んでしまうということになるのでござる。
 そうなると、これは封印するに限るのでござるな。

 中華の公に発表する情報は、昔の大本営発表」と同じで、権力当局に都合よく作り変えられたものと感じられるのでござる。
 拙者その類は、「なぜ?」と「反対に考えてみよう」としているのでござるな。
 まあ、眉唾というやつでござる。

 そして、その方いわく、「中国のものは食べたくないし食べられない」とも言われていたのでござる。
 それを輸入している日本は一体なんだろうと思う次第でござる。
 もっとも安けりゃいいという方が多いのでござろうが。

 腹が立つので、この辺で、さらば!

徒然7

2015-02-08 15:30:25 | Weblog
 最近、かっての人たちが言っていた事を思い出しているのでござる。
 まず、身体のあちこち等その辺が痛くなってくると言うことでござる。
 肩、腰、足、背中、首、もうその辺全部でござるな。

 それに伴って、今まで「えーい!ここは一発やったろか!」という事がなくなっていることでござるな。
 「ま、いいかな。明日は明日の風が吹く。何とかなって終わるだろうな。」というものでござるな。
 実際はなんともならぬのでござるが。

 この辺は年の性としておけばいいのか、生来の怠け性なのか、脳味噌の回転が悪くなっているのか、わからぬのでござるが、これは総てでござるまいか。
 年と怠けと回転の悪化でござろう。
 情けなー!でござるな。

 本日、拙者の誕生日でござり、メールやタイムラインと申すもので「おめでとう」の言葉をたくさんいただいたのでござる。
 拙者ほとんどお送りしたことが無かったのでござるが、恐縮の至りでござる。
 これで、拙者五歳と相成ったわけでござるが、何回目の五歳なのかというところでござるな。

 ここへきて、気力は無くなる、体力もなくなるでは、嫁に相すまぬのでござるな。
 秋山小平氏を見習わねばならんところでござる。
 彼は剣だけでなく何にでも実に強いお方でござるな。

 で、イスラムのこともあるのか、先日何とかの箱だか家だかという宗教の信者さんが作業をしているところへ、「お伝え」に着たのでござるな。
 何を伝えに着たかというと、「最近は世の中をどう思うか?」とか、「いいと思うか」等と言うことでござった。
 なんか、その宗教の方向へ持っていこうということがみえみえの話でござったので、拙者は腹蔵の無いところを話したのでござる。

 結果として、家内に、「何ちゅう事言うの。相手は女性やろ。失礼やないの。」笑われ叱られたのでござる。
 いわく、「ええ事あるか。こんな世の中ええと思うか?」「今の人間、鼻くそ未満、チン粕以下じゃ。ろくなことさらさんの。」
 いわく、「宗教は、人の心の中にあるもんじゃ。これを信心というのじゃ。宗教というのは人が作ったものじゃからな。」「わしゃ、ご先祖さんのいる仏教と、日本古来の神道で十分じゃ。八百万の神々が周りにござるからの。」「毎日感謝で手を合わせてるんじゃから、それでええじゃろ。」などでござった。

 「一神的な宗教は、独裁と同じじゃ」とは言わなかったが、それも言えばよかったかもでござる。
 だから、拙者の信心するところは、布教などすることも必要なく、銭を供えろなどということもないのでござる。
 感謝するところに信心があるのかと思うところでござる。

 年を取った証拠でござろうか。
 さらば!

徒然6

2015-01-15 17:54:09 | Weblog
 拙者の休みに限って雨降りでござる。
 拙者、そうそう雨男ではござらぬのになぜでござろうか。
 本日も朝から強い雨でござり、結局家から全く出ずという情けない有様でござる。

 夕方、うちの猫姫(=いち姫と申す)を病院へ連れて行こうとすると、暴れ方が今までと違いど派手にかきむしって暴れたのでござる。
 でもって、拙者、机から落ちるし引っ掻かれるしで、惨憺たる結果、姫は本箱の裏へ入って出てこないのでござる。
 悲しい結果でござった。

 姫は、どこかで喧嘩してか仲良しをしてか、疥癬をもらってきてそこへ真菌がつくということで、病院通いをしているのでござる。
 しかし彼女にとっては、そこは恐ろしい所なのでござろうして、いつも一騒動なのでござる。
 仕方が無いので明日にしようかと思っているのでござるが、明日も同じでござろうか。

 何年いるのか、もうそれこそ熟年にならんとしていると思うのでござるが、かわいいものでござる。
 拙者の気まま中に、いろいろとつらい目にあったのかして、懐く人懐かない人がはっきりしているのでござる。
 家内には、1ヶ月ほどで懐いたので安心しているのでござる。

 そんな日で、稲の有機栽培をちょっと知ろうと、先達て買い置いた本を広げたのでござるが、世間にはいろいろと工夫し経験し「自分流の稲作り」をされているものでござる。
 今まで、世間の人よりは少々稲について知っているかと自惚れていたのでござるが、いやいや、世間の百姓はすごいのでござる。
 有機栽培、自然農法、どれにしてもそれぞれいろいろとつらい経験を通して、自分流を確立されているのでござる。

 そのつらい経験というのは、文章の中ではちょっと触りにもならない書き方だけで済まされているのでござる。
 それを一言見つけると、「すんごいなー!」と思う次第でござる。
 拙者には及ぶところではござらぬのだ。

 今の気持ちは、まず「自然態の稲作り」でござる。
 孫が食べてもなんら問題の無い米であることでござる。
 従って、それは誰が食しても問題が無いということでござる。

 まずは、今より農薬が少なく肥料は当然有機である事でござるが、それは今年だけのことで、この後は「有機無農薬であるべし」と思うところでござる。
 その流れを考えているところでござるが、師匠連の中にいくつか参考にさせていただけるのがあったのでござる。
 それらを拙者の実際にあわせて、棚田で出来る内容にせねばならぬのでござる。

 来年からはそれに従ってするという所存でござる。
 とはいえ、拙者もよき年齢で、コケテしまっては何にもならぬので、それを考えた誰でも出来そうなものにせねばならぬというところでござる。
 不可能ではなかろうというところでござるな。

 そんなことで、さらば!