快読日記

日々の読書記録

「自己チュー親子」諏訪哲二

2009年05月09日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
《4/10読了 中公新書クラレ(中央公論新社) 2009年刊 【社会・子供・教育】 すわ・てつじ(1941~)》


ここでの「自己チュー」とは、単なる「自分のことばかり考えてる人」とは違います。
人間は「社会的個人」と「内面的自己」とを持っていて、前者を「個人」、後者を「自己」と名付けます。
ところがその「自己」のみで生きようとする人達がいる、彼らを指して「自己チュー」と呼んでいます。
「掛け替えのない自分」にしがみつき、「オンリーワンな自分」という妄想に取り憑かれている人達です。
彼らは就職するときも、その「自己」に合う仕事を求めちゃうので、ニートや引きこもりになりやすく、
「社会的個人」が確立しないまま「内面的自己」だけが育ってしまうので、クレーマーや無差別殺人犯として活躍する恐れがあります。

そういえば昔、筆者が率いる「プロ教師の会」をモデルにした映画「ザ・中学教師」を観ました。
20年近く前、すでに「肥大し暴走する自己」を押さえられない子供たちの出現を指摘し、
現場の教員としての試行錯誤の末、ひとつのプロ教師像を提示したわけですが、
当時の子供が親になっちゃった現在、事態はさらに悪化しているのだと気付かされ、げんなりしました。

さらにその「自己ダダ漏れ」ちゃんの要素が自分の中にも潜んでいることに嫌でも気付かされ、寒気がしました。