峠を越えて - Get over the Pass -

自然を愛する気持ちを忘れずに

松阪出張:その2

2011-01-30 | 仕事
出張中日の日曜。この一週間、仕事を終えてホテルに戻っても、結局資料チェックなどで、毎晩寝るのが2時を過ぎてしまった。寝不足です。
今日は昼前まで寝てたけど、やっぱり部屋に居てもすることが無いので、走りに行くことに。


まずは、こちらが毎晩ウォーミングアップしている公園です。閑静な住宅街にあって,隣は市の図書館と文化財センターがあります。ここをスタート地点にして、ランニング開始。


近くの阪内川の堤防沿いに遡って住宅地を抜け、郊外の田園地帯にやって来た。乾燥した青空に、逆光の太陽が眩しい。でも、寒い(日中でも5℃くらい)。


寒い寒いといっても、もう梅の花がポツポツと咲きだしていた。


来た道を引き返して、市内に向かっている所です。舗装道路より、地道の方がやっぱりいい! ランニングって文字通り「地道」な行動やなと、つくづく思う。

市街地に入ってから公園には戻らず、目に入った「松阪城跡」の標識に従って進むと...

表門を入ったところにあった「松阪城跡」の石碑が。ここから城跡の敷地に入っていく。


城内に「本居宣長」が住んだ屋敷が保存されているようだ。しかし、武家とは言え、城の中に住めるわけやないはず。何処からか移築したのだろ。


天守台の石垣が残されている。しかし、肝心の天守閣は無いばかりか、櫓すら一つも無い。ん~ん,やっぱり建物が無いと寂しいですね。コンクリート製でもいいから、復元してもらいたいですね。


本丸跡から駅前方面を眺めてみると、遠くに薄っすらと伊勢湾が見えた。ちなみに右下の5階建ての建物は、地元で有名な松阪牛専門の料亭「和田金」です。ここの1階では、普通に松阪牛の肉が買えます。以前,ここで何回か買ったことがある(いつも「中」500gと「バラ」を3kg)。上・中・バラの「中」で、100gあたり700円くらいやったと記憶してるけど、無茶苦茶高いわけでは無い。


城の周辺もいろいろ寄り道をしたけど、辺りが薄暗くなってきたので公園に戻ります。
東の空にある雲が紫色に染まってました。冬晴れの寒く、けれど何となく充実した一日だった。

松阪出張

2011-01-26 | ランニング
月曜から出張で,三重県の松阪市に来ています.正月に立てた今年の目標(週間50kmランニング)を達成するため,仕事の後,ホテルの近くを走ってます.思ったより三重も寒いです.というか,関東よりも北風が強く吹いてるように感じますねぇー.

それより先週末,自宅から筑波山麓までの往復35kmランニング(28km地点で足が止まってしまったが・・・)で筋肉を痛めてしまったので,松阪に来てからのランニングはきついです.痛みは,右足のふくらはぎ・太ももに集中.やっぱり以前から悪くしてる膝の影響やろうか?

薬局で湿布薬を買ってきて,とりあえず患部に3枚,貼ってみました.「鎮痛消炎テープ剤」っていうんですねー,この手の湿布薬って.何種類もあるので薬剤師さんに違いをいろいろ聞いてみました.持続性にはインドメタシン,即効性にはフェルビナク,だそうです.薬剤の分子が小さいフェルビナクの方が早く吸収され,効くそうです.

日曜までの4日間であと27km走らんとあかん.月間目標200kmまではあと32km.明日も走ります!

続・車上荒らし

2011-01-22 | 雑感
夕方6時ころに警察(交番)から連絡があるはずなのに、いっこうに携帯に電話が来ない。席を外したときに着信があり、「また連絡します」と留守電にメッセージが入っていたので、折り返し交番にかけてみたが、誰も出てこない。仕方なくすぐに交番に向かったが、入口のドアは鍵が掛かっていて、「パトロール中」の札が下げられていた。

それから2時間。ずーっと交番から電話があるかと思い何もできずに待っていたが、音沙汰無し。しびれを切らし交番に出向くと、3~4人のお巡りさんが居るではないか!
中に入って名前を告げると、「駅前で万引きがあって、出ていた」と答えるだけで、「待たせて申し訳ない」の一言も無いではないか!

事件が多くて忙しいのはわかるが、この対応はNGだと思う。

結局、それから30分ほど「取り調べ室」のようなところに連れて行かれ、状況説明と調書にサインして帰ることができた。家に着いたら10時になっていた。まだ晩御飯を食べていない。

親切心をなくしたくはないが、警察相手だと面倒になるなぁ~・・・

車上荒らし

2011-01-22 | 雑感
さっき出かける時に,駐車場の家内の車の陰に黒い男物のカバンが落ちているのを見つけた。家内によると,昨日の夜9時頃に車を止めた時には無かったそうだ。
中を開けると,メモ帳と印鑑くらいしか残ってなくて,どうも落とし物のようではなさそうだ。もしか?と思い,近くに交番に届け出た。お巡りさんが,印鑑の名前を本部に紹介すると,案の定,車上荒らしの被害届が既に出ていた。今日だけでもう4件も被害があったそうだ。

簡単に届け出て,あとは警察に任せれば良いかと思ってたら,どうもそうはいかないらしい。落とし物なら「拾得物」で済むので名前を告げずに帰れたが,盗難事件の「遺留品」として扱われるので色々と調書を取られるらしい。今,仕事に出て来ているので,夕方また警察に行かなければならなくなった。色々と面倒になりそうだ。

昨日の晩と言えば,これとは別に,自宅から1kmほど先で大きな火事があった。消防車が10台くらい出動していた。煙がもうもうと立ち登り,焦げ臭い匂いが朝まで残っていた。

何とも物騒な1日だ・・・

1億年かけてできた鍾乳洞?

2011-01-15 | 雑感
さっきTBSの「飛び出せ○○くん」を見ました。とても綺麗で神秘的な鍾乳洞でしたね。そして、鍾乳洞の中にできた芸術的とも言える石灰岩の結晶が、1億年かけてできたと説明されてました。
しかし?
・・・です。
この島の基盤をなす地層は、大雑把に言って確かに1億年ほど前にできたものです。そして180万年前からこの基盤を覆うサンゴ礁が形成され、それが石灰岩の地層となったものです。番組の中でもそのように説明されてました。ここまでは、その通りで正しい説明です。

では、鍾乳洞ができたのは何時か? 鍾乳洞の起源はサンゴ礁からできた石灰岩の地層なので、この鍾乳洞ができたのは180万年前以降でしかないのです。番組に出演していたcavingの専門家は、「1億年前の地層ができてから180万年前の石灰岩ができるまでの時間の間に、鍾乳洞内のいろんな石灰岩の結晶ができた」と言い、番組のホームページにも1億年かけて作られた白亜の鍾乳洞で世界的大発見をしてしまう!」と出てます。全くの誤解ですね。

以前、後輩からこの番組の取材の相談を受けた時にもっときっちりと対応したらよかったと、番組を見終わった今、とても後悔してます。TV局もいい加減な情報を放送しないでほしいものです。

今年の目標

2011-01-12 | 雑感
年が明けてもう10日以上が経ってしまったので、そろそろ今年の目標を立てようかなと考えてました。でも特別なことも思い浮かばないので、ありきたりですが「Runningを続けよう!」ということにしました。でもこれだけじゃやっぱりつまらないので、
(1)週間50kmを走る
(2)1kmラップタイム5分台を目指す
(3)ハーフ(21km)を2時間以内で完走

の3本柱を目標にします。今のところ、どれも達成できてませんが・・・

ハバロフスク~アムール河

2011-01-08 | これまでに訪れたところ
今回は、2007年6月に訪れたロシア・ハバロフスクの旅の紹介です。このときは3日間の国際会議出席が目的でしたが、飛行機の都合で一週間ほど滞在しました。

<出国>

出発地の新潟空港までJR・上越新幹線・路線バスを乗り継ぎやってきました。ハバロフスクや同じ極東ロシアのウラジウォストクには成田からの定期便が無く、新潟や富山が玄関口となっています。


新潟空港に駐機中のダリアビア(DALAVIA)航空・ツポレフTu-214機。翌年にダリアビア航空は財務悪化に陥り、運行停止状態(倒産したかも?)だそうだ。

午後5時40分に新潟を離陸し、約2時間のフライトでハバロフスク空港に到着。現地時間で午後10時を過ぎているのに、まだ薄明るい。2時間の時差を考えても夜とは思えません。

この写真を撮ってたら、警備員に怒られた。いまだに空港施設などが撮影禁止になってるのだろうか?

空港から1時間ほどでインツーリスト・ホテルに到着です。インツーリストは元々、ソ連時代の旅行会社で、外国人専用の国営ホテルを経営してました。
ホテル内は落ち着いていて申し分ありません。各階にクロークがあり、宿泊中の鍵の受け渡しや清掃など、細々したお願いにもきちっと対応してくれました。
しかし1つ大きな問題があって、これは最後まで悩まされました。というのは、クーラー(というより冷風機?)が冷蔵庫ほどの大きさがあり、部屋の片隅に置かれていました。そして口径20cmほどの蛇腹状の排気管が窓の外に出ているため、窓を閉めることが出来ません。おまけにグァガ・ガ・ガーという運転音が鳴り響いて、とても使える代物ではありません。

<会議初日>


翌朝ホテルの窓から眺めると、アムール河が見えました。


3日間の会議はこのフェリーの中で行なわれます。このフェリー、中国製でした。

お昼前に出発です。これからアムール河を下っていきます。

出航して30分ほどで、アムール河に架かる鉄橋が見えて来た。ここには、シベリア横断鉄道が通っている。


会議のオープニングの様子。参加者は、ロシアはハバロフスクのほか、モスクワ・ノボシビリスク・ヤクーツク・ウラジウォストクなどから約200人、アメリカ(数名)、中国の吉林省(2名)、韓国(3名)、日本から私を含めて5名でした。

<会議2日目>

2日目の早朝、アムール河下流沿いの街、コムソモリスク・ナ・アムーレに到着。ハバロフスクからは約350km北になります。北緯50度を超える緯度にあり、寒いです。
この街一帯は1850年代に清国からロシア帝国に割譲され、その後、製鉄所や造船所・航空機製造工場などの軍需産業で栄えたそうだ。一時期は満州国に。

朝の6時頃。空も川面もどんよりと曇ってます(左上)。河岸に停泊中のフェリー(右上)。船着場のターミナルビル? 人影がありません(右下)。あたりを散策すると戦争記念?のような立派な碑があった(左下)。


記念碑の周りは公園のようになっていて、売店がありました。若いお姉さんが店番をしてたので、寒い中無理してロシアン・ビールを注文。


2日目は分科会です。この分科会は私が世話役を担当です。
ロシア語は全くわからないので、私にだけ英語の通訳さんが付きました。


お昼はアムール河の中州にフェリーを停め、BBQパーティーです。
日・米・露の三者会談!(左上)。韓国からの参加者と記念撮影(右上)。椅子に座って雑談(左下)。酔っ払って大声で歌うロシア人(右下)。


今回の会議をオーガナイズしたVadinさんと船上でツー・ショット。


シベリアの大地に沈む夕日

3日目は午前だけで、会議の全日程を終了。お昼過ぎにはハバロフスクに戻ってきました。こうして写真を見ると、本当に会議をしてたの?と疑われそうなほど、飲み食いばっかりでした。

新潟に戻る飛行機まで3日ほど何も予定がありません。あちこち市内観光です。

<観光>


ハバロフスクの街中を散策。栄光広場で街の雰囲気を楽しんでます。


スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂。とっても奇麗なロシア正教の教会です。


レストランでロシア料理。
以前はこの前の通りに川が流れていて、このお店は川岸に面していたそうです。通りには当時の面影はありませんが、店の中の雰囲気は良かったです。店のお姉さんとツー・ショット!

このほか、中央市場や新しくできたショッピングセンター、レーニン広場、博物館、美術館、などなど。色んな所に足を運びましたが、日本からこんなに近い所にヨーロッパを感じさせるところがあるというのに驚きでした。しかも、それほど近代化されず、西ヨーロッパとも趣を異にする街並は、感動的。
ただ、昼間っからウォッカの瓶を片手に酔っぱらってるおじさんが結構目立ってました。これもロシアです!

<帰国>

帰国の日となりました。一週間はあっという間です。

帰国の朝。


空港まで送り迎えをしてくれたSergeyさん。彼とはこのあと中国で再会する事になります。


年越しの仕事

2011-01-05 | 仕事
年末に突然やって来た仕事は大晦日には終わらず、帰省先の実家まで持ち帰ったが、やっぱり正月にできるわけないですね。今日、片付けて先方に送りました。これでやっと年を越したという感じです。

それにしても大阪と違い、茨城は寒いです。正月明けということもあるでしょうが、仕事場は本当に冷えきってます。エアコンとヒーターを朝から付けっぱなし状態にしても、足下からぞーっと寒気が上がってきます。しばらくは、こんな調子でしょうか?