昨日、子どもに渡すなあぶない教科書 大阪の会主催による大阪市教育委員会との交渉に参加しました。
すでに大阪では、東大阪市や四條畷市で、育鵬社の教科書が採択されました。
今回の交渉で8月5日に大阪市教育委員会を開催し、社会科教科書のみ先行して採択する計画であることが明らかになりました。
戦争責任を忘れさせ、過去の戦争の歴史で何が起こったかを伝えずに歴史を作れば、必ず、子どもたちが戦争に兵士として駆り出される時代がやって来ます。そうしないために、育鵬社の教科書の危険性を伝えていくことが必要だと思っています。
以下、申し入れ内容
私は、❝君が代条例❞のもと、卒業式・入学式における「君が代」斉唱時の不起立により戒告処分、減給処分を受けました。現在、❝君が代条例❞の違憲性を訴え、処分取消訴訟を起こしています。「教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク」とは、文字通り大阪の教育条例のもとでなされた「君が代」不起立処分とその撤回を通して多くの方々とつながり様々な問題について考えていこうとするネットワークです。
私が「君が代」起立斉唱できない理由のひとつは、近代における戦争責任を日本が明確に果たしていないことにあります。育鵬社の歴史教科書は、日本の戦争責任をますます曖昧にするだけでなく、過去における戦争を美化する傾向さえみられます。
かつて私の母は、戦時における教育において、戦争を肯定し お国のために戦うことこそが自分の使命、とまで考えるに至ったと言います。母をそのようにしたのは、「日の丸」「君が代」ばかりではありません。シンボルを裏付けるには「物語」が必要です。母の時代、国定教科書の記載された数々の「物語」が母たちの心に焼き付いたからこそ、お国のためには死をも恐れない少国民や軍国少女が生まれたのではないでしょうか。日本が過去に犯した過ちと向き合ってこそ平和を祈念する心は生まれます。育鵬社の歴史教科書は、近代の歴史的事実から目をそらさせ、日本をアジアから、いやそれだけではなく世界から孤立させることにもつながりかねません。
また、私がここで言うまでもなく、中学校公民教科書は、歴史や政治・経済を学ぶことによって、現代社会に主体的に参加する態度や、より平和でより民主的な社会を創造する力、すなわち市民的資質を育成することがその目的にあります。公民とは、すなわち市民、しかも世界の人々から受け入れられつながりあえる市民です。ところが、育鵬社公民教科書では、私たちの最高規範である日本国憲法の精神が歪曲されています。日本国憲法の精神とは言うまでもなく基本的人権の尊重、主権在民、平和主義といわれるものですが、育鵬社公民教科書は個々人の権利より国家を優先する記述がしばしば見られます。
そして、私の立場からさらに言いたいことは、国旗・国歌の問題について、憲法・国旗国歌法・学習指導要領から逸脱した記載さえある点です。憲法をはじめ、どの法律をとっても、「日の丸」「君が代」の尊重義務についての規定はありません。ところが、育鵬社版公民教科書は、明らかに「日の丸」「君が代」尊重義務感へ誘導するかのような記述があります。そのうえ、他の記述についても歴史教科書と同じくアジアの人々との連帯を強めるどころか、その阻害を招く危険性さえあります。
よって、育鵬社版「歴史」「公民」の教科書採択については慎重にご協議くださいますようお願いいたします。政治的判断によるのではなく、子どもたちが過去の歴史事実に向かい合い、未来に向けてアジアの人と連帯し、ともに平和を築くことができる公民すなわち市民として育ち得る教科書をご審議のうえ採択いただきたくよろしくお願いします。
すでに大阪では、東大阪市や四條畷市で、育鵬社の教科書が採択されました。
今回の交渉で8月5日に大阪市教育委員会を開催し、社会科教科書のみ先行して採択する計画であることが明らかになりました。
戦争責任を忘れさせ、過去の戦争の歴史で何が起こったかを伝えずに歴史を作れば、必ず、子どもたちが戦争に兵士として駆り出される時代がやって来ます。そうしないために、育鵬社の教科書の危険性を伝えていくことが必要だと思っています。
以下、申し入れ内容
私は、❝君が代条例❞のもと、卒業式・入学式における「君が代」斉唱時の不起立により戒告処分、減給処分を受けました。現在、❝君が代条例❞の違憲性を訴え、処分取消訴訟を起こしています。「教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク」とは、文字通り大阪の教育条例のもとでなされた「君が代」不起立処分とその撤回を通して多くの方々とつながり様々な問題について考えていこうとするネットワークです。
私が「君が代」起立斉唱できない理由のひとつは、近代における戦争責任を日本が明確に果たしていないことにあります。育鵬社の歴史教科書は、日本の戦争責任をますます曖昧にするだけでなく、過去における戦争を美化する傾向さえみられます。
かつて私の母は、戦時における教育において、戦争を肯定し お国のために戦うことこそが自分の使命、とまで考えるに至ったと言います。母をそのようにしたのは、「日の丸」「君が代」ばかりではありません。シンボルを裏付けるには「物語」が必要です。母の時代、国定教科書の記載された数々の「物語」が母たちの心に焼き付いたからこそ、お国のためには死をも恐れない少国民や軍国少女が生まれたのではないでしょうか。日本が過去に犯した過ちと向き合ってこそ平和を祈念する心は生まれます。育鵬社の歴史教科書は、近代の歴史的事実から目をそらさせ、日本をアジアから、いやそれだけではなく世界から孤立させることにもつながりかねません。
また、私がここで言うまでもなく、中学校公民教科書は、歴史や政治・経済を学ぶことによって、現代社会に主体的に参加する態度や、より平和でより民主的な社会を創造する力、すなわち市民的資質を育成することがその目的にあります。公民とは、すなわち市民、しかも世界の人々から受け入れられつながりあえる市民です。ところが、育鵬社公民教科書では、私たちの最高規範である日本国憲法の精神が歪曲されています。日本国憲法の精神とは言うまでもなく基本的人権の尊重、主権在民、平和主義といわれるものですが、育鵬社公民教科書は個々人の権利より国家を優先する記述がしばしば見られます。
そして、私の立場からさらに言いたいことは、国旗・国歌の問題について、憲法・国旗国歌法・学習指導要領から逸脱した記載さえある点です。憲法をはじめ、どの法律をとっても、「日の丸」「君が代」の尊重義務についての規定はありません。ところが、育鵬社版公民教科書は、明らかに「日の丸」「君が代」尊重義務感へ誘導するかのような記述があります。そのうえ、他の記述についても歴史教科書と同じくアジアの人々との連帯を強めるどころか、その阻害を招く危険性さえあります。
よって、育鵬社版「歴史」「公民」の教科書採択については慎重にご協議くださいますようお願いいたします。政治的判断によるのではなく、子どもたちが過去の歴史事実に向かい合い、未来に向けてアジアの人と連帯し、ともに平和を築くことができる公民すなわち市民として育ち得る教科書をご審議のうえ採択いただきたくよろしくお願いします。