富士魅了

富士山の写真を撮っています

今日は片品

2007-03-29 | Weblog
久しぶりのバンド出演があった。 場所は沼田のまだ先の片品の田舎。
今日の会場はおばあちゃんがいっぱい。ナツメロを数曲メニューに組み入れ演奏開始。
約1時間半のステージ、皆一生懸命に聞いてくれ、拍手も多く楽しんで頂けたかなあと
思いつつ弁当を食べ沼田インターを前橋に向かう。 自分の出来ることで 人に楽しんでもらえる事は少しは人の役にたったかなあと思う。

月例会

2007-03-27 | 写真
今日は写真クラブの例会が行われた。 当クラブも高齢化が進み自分が最年少者であり会員も中々増えない。 今月の互選会はスライドで行われ、6点が選ばれた。自分では自信作は無かったが、富士山の夜明けと八ケ岳の写真が選ばれた。写真は本当にむずかしいもので何が良いのか悪いのかわからなくなってしまう。 それだけ奥が深いのかなあ。

ギター連盟

2007-03-25 | 音楽
今夜群馬県ギター・マンドリン教育連盟の総会及び親睦会が行われた。議題は恒例の定期演奏会の件だが詳細についての案が提出されたが全て万条一致で可決された。
昨年と変わったところは、毎年一番最後に行われる参加者全員での合奏が休止となったことである。 今年も自分は3つのグループに出演しなければならないので全員合奏が無い事は色々な点で助かる。しかし自分のグループはまだ楽譜が完全に出来上がっていないので急いで作り練習に入らなければならない。 気持ちがあせる。

今月

2007-03-22 | Weblog
月10日出勤している会社の今月分の出勤日数が今日で10日となった。
明日から4日間は中古車の撮影の仕事があるが丸々1日あるわけでは無いので気分的に楽である。 来週は東京に行ったりクラス会で石和に行ったりバンド演奏の予定が片品で予定されてたり落ち着かない一週間になりそうだ。

山中湖

2007-03-21 | Weblog
2,3日前の新聞に読者の投稿写真が掲載してあった。 その中に見覚えのある風景写真が掲載してあった。 と言っても自分の写真ではないが私も同じ場所で撮影した事があった為、思わず息を呑んだ。 夕焼けの富士山をバックにして山中湖の湖畔に灯を点しイベントをやった時のものだ。 最近特に有名になったダイヤモンド富士の撮影の時は全国からアマチュアカメラマンが集まって来る。 殆どが年配者である。三脚を所狭しと並べ「その時」が来るまで待つのである。 しかし長時間待っても中々自分の描いている条件にはならない。 大半がガッカリと言うのが相場である。 でもそれにめげず只ひたすら待つのである。 マテバカイロノヒヨリアリではないが、時には神のほほえみがあり傑作を手にする事もある。 だからやめられないのである。又がんばろう。

迷い

2007-03-20 | Weblog
昨日の続きのような事だが、正直今迷っている。 何かと言えば使用カメラの事だ。
好むと好まざるにかかわらずデジカメが急スピードで普及している。各カメラメーカーも新製品の開発に力を入れているし家電メーカーまでも市場に参入している。我々フィルムを長年愛用していた者にとっては、だからと言ってデジカメに簡単に移行出来ない。 中にはスパット乗り換えたものもいるが、やはりフィルムで写したキメの細かい表現力は捨てがたい。 しかし間違いなく時代は変わっている。カメラは勿論の事プリンターも良い色を出している。殆どフィルムと遜色ない色が期待出きる。問題は自分の意識をどう変えるかではないかと思う。 写真店の数は減少の今デジカメで自分の色を作り上げる時期に来ているかも知れない。 大いに悩む昨今である。

残念

2007-03-18 | Weblog
来る20日70年の歴史を誇る老舗写真店が店を閉じる。 何とも淋しい話である。私も20年以上通ったなじみの店である。 フィルムを使っていたカメラからデジカメに時代は変わり、フィルムが売れなくなった事と現像、焼付けの仕事が激減したためだ。もう数年前から量販店が何件もでき当然撮影機材の品揃えや値段などたちうちきなかったことも閉店に拍車をかけたようだ。 時代の流れとは言え親しい友を無くしたような淋しい気持ちである。 個人商店であるから当然家族で経営にあたっていた。いつも夫婦仲良く笑顔で迎えてくれコンテストなどに入賞すると自分の事のように喜んでくれた。又最近可愛い孫が一人増え、笑いが絶えない家族であったが仕事を失う悲しさと寂しさは想像以上だと思う。 暫くは夫婦二人ノンビリとするらしいが気がぬけてぼけないでいてほしい。

渡良瀬遊水地

2007-03-18 | Weblog
今日は1年に一度行われる渡良瀬遊水地の「野焼き」である。広大な遊水地に生えているヨシに火を放ち、新芽の発芽を促す為と害虫駆除を兼ねて行われるらしい。
我々の目的は勿論写真撮影である。 毎年ながらカメラマンの多さに驚く。地元群馬埼玉栃木茨木ナンバーの車は勿論だが東京、長野ナンバーも見かける。高速道路の発展で交通のアクセスが良くなり、ここ数年随分とカメラマンが増えてきた。 真っ赤な炎と空高く立ち上る真っ黒な煙で迫力満点だ。 まあ良い写真が撮れたか別として毎年足を運ぶ。
今月予定している撮影行はこれで一応終わりになった。 しかし今の季節は色々な花も咲き誇りもうすぐ桜も開花する事だし、撮影素材には事欠かない。

続き

2007-03-15 | Weblog
彼との共通の趣味の一つは映画鑑賞であった。 当時町にはたった一つの映画館しか無かった。 確か30円の入場料金だったと思う。 勿論冷暖房など無く夏は汗だく冬はブルブルしながら見ていた。しかも小さなスクリーンで木の長いすで環境は最低だった。 そんな映画館だったが町に1つの娯楽設備で楽しみの殿堂だった。 そして上映する映画は東映のチャンバラが多かった。二人一緒に行った記憶はないがそれでも学校で行き会うと映画の話になるのである。 話の内容は映画スターの事より、むしろストーリーが良かったとか悪かったとか、音楽がどうだったかとかそんな話で盛り上がった。 しかし我が家では明治生まれの父親がいたせいか月一回と決まっていて映画の内容も「タイトルだけ」見て良いかどうか親に決められるのである。 彼と今会うとやはり昔見た忠臣蔵とか水戸黄門の映画とか又新吾十番勝負とかが中心になる。大体二人の評価は共通していた。
他の趣味の話は又。

友人Hの事

2007-03-15 | Weblog
昨日の続き。 私と友人の共通した趣味は子供の頃からいくつかあった。
その一つが野球であった。昔はプロ野球と言えば巨人ファンが圧倒的に多かった。クラス殆どが巨人ファンと言うくらい多かった。 その中で彼は何と阪神ファンで、私は大洋ファン(今の横浜)であった。幸い阪神と横浜が優勝を争う事も無かったし二人揃って巨人の悪口など言っていたものだ。 当時阪神には吉田、三宅の鉄壁な守備を誇る三遊間コンビがいたし、小山、村山の両エースがいた。 私の好きな大洋には明大五人組と言われた秋山、土井、黒木、岩岡、沖山達が活躍していた。 そして二人の野球談義が延々と続いた。
今でもたまに会うとそんな昔話で盛り上がるのである。 そしてすでに亡くなってしまった村山、秋山の昔の姿を懐かしく思い出して「昔は良かったなー」と言って別れるのである。