いささか旧聞に属するが、今年8月、ロンドン・オリンピックが無事に終了した。毎回「無事に」という枕ことばをつけなければならないようになったのは、考えてみれば異常な事態である。今回も民家の屋上に地対空ミサイルを設置するなどテロ対策には大わらわであった。
今回は、オリンピックの会期がすっぽりイスラムの断食月に入るというイスラム教徒にとってはまことに不都合なことになった。これにどのように対処するかは選手個人々々の判断にまかされている。たとえ監督から勝つために「食べろ」と強制されても、最終的に決めるのは選手個人である。選手はだれも大いに悩んだことであろう。『UAEから参加する柔道のへミード・ドリエ選手は、大会期間中は断食しないと決め、こう語っている。「私が何をしようと、断食をしようとしまいと、アッラーの神は私とともにある」「一番大切なのは神を信じてベストを尽くし、勝っても負けても神に感謝することだ」(8月24日付CNN)』
その戦果であるが、今回もほぼいつも通りの成績である。特によくもなければ悪くもない。イスラム圏全体で、金メダル9個、銀メダル10個、銅メダル11個ということで、これは例えば出場国中メダル総数で6位の日本が金7、銀14、銅17であるので、まあ日本一国並みというところであろうか。
17位 イラン・・・・・金4 銀5 銅3
32位 トルコ・・・・・金2 銀2 銅1
45位 チュニジア・・・金1 銀1 銅1
47位 ウズベキスタン・金1 銀 銅3
50位 アルジェリア・・金1
58位 エジプト・・・・・・ 銀2
75位 カタール・・・・・・・・・銅2
79位 モロッコ・・・・・・・・・銅1
今回のオリンピックには204の国・地域から約1万1000名の選手が参加したが、これまで女子選手を出場させていなかったサウジアラビアやカタールなども女子選手を送り、オリンピック史上初めて全ての国・地域から女性選手が参加する大会となった。これを目出度いと言うべきか、被り物というハンディまでつけて女性が出場する意義があるのかどうか、議論があるであろう。
ところで、次の2016年のリオデジャネイロ・オリンピックの次、2020年のオリンピック開催都市に、東京、マドリードと並んでそのイスラム圏からトルコのイスタンブールが立候補している。開催地は来年9月に最終的に決定されるというが、この国の下馬評では、8年後のこととは言え経済的苦境にあるマドリードは後退して、東京とイスタンブールの決戦ということになっているらしい。そして、気の早い向きは現下のイスラム諸国の混乱を見て東京の楽勝をはやしているらしい。しかしそれは難しい。
第一の理由は、アラブ・イスラム諸国における混乱、言うところの「アラブの春」(!)に対する見方が欧米とわが国とでは大きく異なっていることである。日本人から見れば、あれは異境のできことであり、他人事である。何を好んでドンパチやっているのか分からない程度の認識であろう。ところが欧米人にとってはイスラム世界は隣人である。日本にとっての中国である。歴史的に長いつき合いがあり、「アラブの春」のよって来たるゆえんに思いを致し、それを延長して現在の混乱の帰趨を自らのこととして考えざるを得ない立場である。また彼らは戦略的に考えることに長けている。約めて言うが、彼らが、8年後のオリンピックの候補地として東京とイスタンブールを天秤にかけるとき、現在のイスラム諸国の混乱を踏まえて8年後の世界を思い描くとき、彼らは躊躇なくイスタンブールに票を投じるであろう。ちょうど半世紀前東京に投票してくれたように。
第二に、招致を呼びかける国の政治家の格が違うことである。日本の首相は、国際的には、その地位についている人ということでそれなりの待遇は受けても、それがAさんであるかBさんであるか、知る人はいない。顔がない。日本からの発言は闇の中から響いてくるうめき声のような趣きである。それに対してトルコのエルドアン首相はと言えば、10年来ヨーロッパと四つに組んで執念のEU入りを策しているスターがある。そのエルドアン首相が、トルコはこれまで一次選考ではねられた分を含めると5回も立候補しているにもかかわらず開催が認められないのはフェアではない、イスラム国がいまだ開催国になっていないのも同様である、と強い不満と招致意欲を示している。イスタンブール・オリンピックは、決まり文句のような東西の文明の橋渡しを目指すのではなく、イスタンブール2020のロゴはイスラム寺院の尖塔が描かれている、とイスラム国を強く意識した発言を行っている。水面下ではアラブ産油国をも巻き込んだ招致活動が行われていると考えないわけには行かない。
第三に、さきのIOCにおける選手委員の選挙において、日本の立候補者が投票では首位を占めながら、選挙違反で失格するという醜態を演じてしまった。これは選手個人もさることながら、それ以上に選手を指導する立場のNOC役員に人を得ていなかったということであろう。ぬかりなく規則を守って運動するということに、また刺されるリスクがあるということに対する認識がなかったのである。ことほど左様に、政治家も無力なら、実働部隊にも力がない。来年9月まで、国際的に、また国内向けにネットを活用した魅力的な招致活動を展開することは期待できそうにない。
イスタンブール・オリンピックが実現したとして、トルコがどのようなオリンピック運営を見せるか、そこでイスラム国の選手がどのような活躍を見せるか見せないか、興味深い。アテネにおける「聖火」の採火式や聖火リレーをやるのかどうか。オリンピックの性格が、西洋人の運動会から、イスラム性、イスラム色を加えたものに変わるかも知れない。