
問答無用・玉石混合の「ウエブの混沌」。何故おじさんはかくも得体の知れないものが好きなのか・・・先ほどゴミの山を見てハタと思い当たりました。少年探偵団だった昭和20年代初期は街のいたる所に空襲にやられた工場跡地がありました。そして跡地の片隅には決まって、利用価値がないガラクタが詰まれていました。大人にとって価値がなくても空想少年にとっては宝の山です。計器の一部と思われるもの、内蔵のようにチューブがからんだもの、何かのフタ、一部が焦げたベークライトの板、千切れたバネ・・・得体の知れないガラクタ共が「ぼくたちを拾って!」なんて訴えています。こいつらの「元」は何だったのか・・・そしてこいつらを「どう使うか」に空想少年は思いを馳せます。ここで学年による差が歴然と出ます。
まず我々の兄貴分だった5~6年生・・・「○○を作りたいから、その材料が欲しい」と言う「方針」ができています。その跡地が元はどんな工場だったかを知っているので、無駄な「捜索」はしません。始めから「的」を絞っています。当時の6年生は既に大人の領域に入っていたのかも知れません。最も「柔軟」だったのは我々4年生でした。どんなガラクタを見ても「何かに使える筈だ・・・」と考えます。この年代は「加工」する知恵があります。ガラクタを見ながら、頭の中ではそれを切ったり、曲げたり、へこましたり、穴をあけているうちに「形」が出来てきます。最初に形になるのはブリキの破片の「軍艦」です。大砲はクギ、マストは針金で水に浮かべて「浸水式」を行います。次に看板屋の息子が親の目を盗んで持ち出した溶剤を軍艦に垂らします。それからマッチによる「攻撃」です。命中して「軍艦」が炎上するとガキ共は「敬礼」して遊びは終了です。
1~3年生は、我々の「見習い」です。「製作過程」を真剣に観察しているので、割と使えそうな「材料」を見つけてきます。「まだ甘いな!もっと太いクギを見つけてこい!」なんて我々はいっぱしの「将校」気取りでした。その下が恐るべき「ヒヨコ(幼児)」です。ヒヨコも年上の真似をして何かを探してきます。但し、「使える、役に立つ」と言う概念はありません。あるヒヨコが「調達」してきたのは空き缶でした。中に何か入っています。「ネンリョー!」なんて言いながら完成間近の「戦車」に缶の「内容物」をかけます。「わっ!」・・・おしっこです。確か2~3日前に空き缶に飛ばした記憶があります。蛙のミイラ、潰れたフタ、剥がれた鉄錆・・・ヒヨコが「調達」してきたモノは何一つ役に立ちません。この「無駄」がやがて「役に立つもの」を見分ける元になるのかどうか・・・。この数年後、跡地には新しい工場が次々に建てられて街からガラクタは消えました。
まず我々の兄貴分だった5~6年生・・・「○○を作りたいから、その材料が欲しい」と言う「方針」ができています。その跡地が元はどんな工場だったかを知っているので、無駄な「捜索」はしません。始めから「的」を絞っています。当時の6年生は既に大人の領域に入っていたのかも知れません。最も「柔軟」だったのは我々4年生でした。どんなガラクタを見ても「何かに使える筈だ・・・」と考えます。この年代は「加工」する知恵があります。ガラクタを見ながら、頭の中ではそれを切ったり、曲げたり、へこましたり、穴をあけているうちに「形」が出来てきます。最初に形になるのはブリキの破片の「軍艦」です。大砲はクギ、マストは針金で水に浮かべて「浸水式」を行います。次に看板屋の息子が親の目を盗んで持ち出した溶剤を軍艦に垂らします。それからマッチによる「攻撃」です。命中して「軍艦」が炎上するとガキ共は「敬礼」して遊びは終了です。
1~3年生は、我々の「見習い」です。「製作過程」を真剣に観察しているので、割と使えそうな「材料」を見つけてきます。「まだ甘いな!もっと太いクギを見つけてこい!」なんて我々はいっぱしの「将校」気取りでした。その下が恐るべき「ヒヨコ(幼児)」です。ヒヨコも年上の真似をして何かを探してきます。但し、「使える、役に立つ」と言う概念はありません。あるヒヨコが「調達」してきたのは空き缶でした。中に何か入っています。「ネンリョー!」なんて言いながら完成間近の「戦車」に缶の「内容物」をかけます。「わっ!」・・・おしっこです。確か2~3日前に空き缶に飛ばした記憶があります。蛙のミイラ、潰れたフタ、剥がれた鉄錆・・・ヒヨコが「調達」してきたモノは何一つ役に立ちません。この「無駄」がやがて「役に立つもの」を見分ける元になるのかどうか・・・。この数年後、跡地には新しい工場が次々に建てられて街からガラクタは消えました。