11月25、26日の一泊二日で伊香保温泉へ行ってきました
10月31日に圏央道桶川北本IC~白岡菖蒲ICが開通!これによって、東北道、関越道、中央道、東名高速が直結
という事で、東北道から圏央道を通って関越道へ…とても楽になり、伊香保へも気軽に出かけられるようになりました
途中、新しくできた菖蒲パーキングで昼食、お土産やさんもとても充実していて、トイレも綺麗食堂もいい感じで大満足!
丁度チェックインの時間に宿へ着いて、まだ明るかったので近くにある石段街を散策
400年前にさかのぼる伊香保温泉、この時に石段は作られました。今の石段は昭和55年から5年をかけて大改修したもので、御影石がしかれています。
全部で365段…宿からだったので途中から、でも150段くらいは登って、登りきったところに伊香保神社がありました
お参りして、おみくじを引いたら、前回と同じ「小吉」…年に2回おみくじを引いて、いずれも同じ結果というのが、ここ3、4年続いています
いつまで続くものか…来年も2回引いてみることにします!同じことを言われるとやはり信じてしまいますよね~
温泉まんじゅう発祥の店で、お饅頭を頂いて宿に戻りました
伊香保には、「黄金の湯」と「白銀の湯」があって、もともとは「黄金の湯」だけで湯の中に含まれている鉄分が酸化し、独特の茶褐色になるため、黄金の湯と呼ばれ、昔から湯治場として人気を博していました。
「白銀の湯」は、近年湧出が確認され、その温泉は1分間に110リットルという豊富な湧出量で、色が無色透明なので「白銀の湯」と名付けられたそうです。
この旅館にも2種類の温泉があり源泉かけ流しの「黄金の湯」は40度に満たない感じのぬるい温泉で、少し物足りなくて「白銀の湯」のほうが少し熱めだったのでそちらの方と交互に入って…
雨でもやった山あいの幻想的な風景を見ながらホットひと息
少し早めの夕飯を頂いて…
・食前酒 梅酒
・座附 蛸柔らか煮 エリンギ橙酢 栗寄せ 柿チーズ 衣かつぎ
・御椀 海老真薯 松茸 三つ葉
・造り 季節の三点盛り あしらい一式
・鍋物 鶏つみれ鍋 葱 春菊 牛蒡
・煮物 鰈唐揚げ みぞれ餡掛け
・焼物 豚ロースト 八丁デミソース
・酢の物 つぶ貝 北寄貝 芋がら 諸胡瓜
・留椀 上州名物 お切り込み
・香の物 盛り合わせ
・食事 舞茸ご飯
・デザート みかんプリン
夜、露天風呂へ入ったら、雨から雪に変わっていて…これもまた「あり」だったかな~
部屋に置いてあった竹細工の照明も癒されました 就寝
翌朝、中庭には昨晩の雪がうっすらと残っていました
雲海を見ながらの温泉もちょっと贅沢気分
まだ少し残っていた紅葉で彩られた山と黒い藁屋根にうっすら積もった雪と雲海の景色がステキ
充実した朝食も満足~お水が美味しいのでご飯もお茶も美味しかった
予定では、榛名山の方へ行ってみようと想っていたのですが…宿の人に聞いてみると昨晩の雪が結構積もっていて、ノーマルタイヤだと危ないかもということなので変更して
近くの「竹久夢二伊香保記念館」へ
庭園も広く赤いもみじがまだ枯れないで待っていてくれました
館内は、撮影禁止だったので、写真は載せられませんが、いろいろ楽しめました
まずは、ビデオで伊香保と夢二とのつながりを解説…明治44年伊香保に住む少女からのファンレターにより伊香保を知り、その後大正8年に初めて伊香保榛名の地を訪れる。以来、伊香保の気候・風土・人情に心を寄せ、度々訪問
晩年には「榛名山美術研究所」建設という大きな構想を抱くが、志半ばで病に倒れ、昭和9年信州富士見高原療養所にて永眠。数え51歳
大正時代に作られたアメリカ製のオルゴールのジュークボックスの音色、スイス製のオルゴールの音色を聞きながら大正時代のロマンを感じ
ドイツ製のオルゴールの「宵待草」の音色を聞きながら、生前酔った父親がこの歌を歌っていたのを思い出して、思わずウルウル
大正期に作られたピアノ(スタンウェイ ベーゼンドルファー)のまろやかな音色も心に響きました
オルゴール…あまり興味なかったのに、思わず購入してしまいました…演出に負けたかな~
記念館には、夢二の絵画・スケッチ帳・デザイン画・装丁本・日記・書簡・原稿など、一万六千有余の資料があり二ヶ月に一度の割で次々と公開されているとともに
李朝・英国の家具・オールドノリタケ・モリムラドール・ハンデルランプ・和洋ガラス・時計・オルゴール・古伊万里など歴史を物語る美術品の数々が収められていて、大正時代のロマンを満喫しました
20代の時に伊香保へ来て、夢二の作品に触れて、その色使いのセンスの良さに感動して画集を購入
その頃、趣味で刺繍を少し作成していて、この人の作品を刺繍にできないかと考えていた自分が蘇ってきました
あの時は、美人画の方に惹かれていたのですが…今回は半衿図案、楽譜表紙絵などデザイン画に心惹かれました
やはり夢二の色使いは素敵です
旅行は、お天気が良いほうが楽しいけれど、今回の旅は、あいにくのお天気の御蔭でいろいろな収穫がありました
今年の旅行は雨の日が多かったかも…雨の日の旅行でいろいろなことを感じ取ることができてこれもまた「あり」かなと思えた一年でした
11月…今年ももうここまで来てしまいましたねぇ
秋から冬へ 暗くなるのも早くなってきて…なんとな~く寂しさを感じる季節に
ミニ掛け時計のpart2は、ガラスタイルで作成
タイル、貼り終わりました
紺のまるこタイルが、足りなくなってしまったので、完成はもう少しあとになりそうですが…
目地入れをしてどんな感じになるか、毎回目地の色は悩んでしまいます
とりあえず目地入れ前は、こんな感じで~す
昨日、久しぶりに幼なじみ4人組とランチを楽しみました
前日、木枯らし一号が吹いたとは思えない穏やかな小春日和
神楽坂で待ち合わせをして、予約していた加賀生麩割烹料理のお店へ
賑わう神楽坂通りから一本入った石畳の細い路地に佇むお店
美味しい料理を頂きながら、懐かしい話に花を咲かせ…幸せな時間を過ごしました
先付 旬菜盛り合わせ(手前のヨモギ生麩、口の中で香りが広がりました)
造り 旬の鮮魚 芽もの色々(身厚の鯛、大間のマグロは絶品!)
加賀鴨治部煮 鴨 季節の野菜(鴨が柔らかくてだしが効いていて美味しかった)
甘海老入りクリームコロッケ (衣に生麩を使っていてヘルシー)
食事 鯛の炊込みご飯 香の物 味噌汁
食後 デザート(トマト、白玉、南瓜のゼリーやさしい味でさっぱり)
シャンパン、赤ワインも美味しかった~
お店をあとにして善国寺へ お参りしておみくじを引いて…「小吉」でした
おもわぬ幸福ある様でも よく気を付けないと後で 損することあり という事なので、来年は、少し慎重になろうと思いマス
石畳の路地裏、いろいろなお店があってとても楽しめました
駅の近くにあるお掘り沿いのカフェのデッキサイドで珈琲を飲みながら休憩…気持ちよかった~小春日和に感謝!
また来年元気に会おうね!と別れました
夏に作り始めたXmasリース!途中、お休みしていたので…
要約、タイル貼り終了これから目地入れ作業に
目地は、グレーと白を半々に混ぜたものを使用
目地入れ後、どんな感じになるのか…
不安と期待を抱きながら…さあ取り掛かりますよ~!
9/23 今日は、最終日…5島目「天草下島」へは、フェリーで渡る組と漁船に乗ってイルカウォッチングをしながら渡る組に分かれます。
フェリーの時間の都合で少し早め 7:40宿を出発!口之津港へ向かいます
私は、イルカウォッチング組へ
有明海の入口に位置する「早崎海峡」に生息している約200頭の野生のイルカ
今日は、出会えるかどうか…少しワクワクしながら漁船に乗り込みました
船は、熊本県天草下島へ向けて走行 潮風を受けながら、しばらく陸地の段々畑等の景色を見ていました
だんだん天草下島に近づいてきてしまって…今日は会えないのかと想った瞬間、イルカが来てくれました!
想像していたのは、1,2頭位だったのですが、群れで現れて思わず「ワォ!」と叫んでいました
呼吸をするために海面に上がり「シュポッ」と潮を吹き上げて潜る…しばらくして又海面に現れる
今度は、どこから現れるのか…ワクワクしながらのイルカ探し 感動しました!
野生のイルカ達 ホントに可愛い! 撫で撫でしたくなりました!
一緒に泳ぎたくなりました!何かエキサイティング!興奮してました!
最後に船の方へ向かってきてくれて…いつまでも見ていたかったのですが、時間があるのでここでお別れです
五和町「二江港」に着いて、ここでフェリー組と合流しました
まだ少し興奮冷めやらぬ状態で、次は穏やかな「羊角湾」を望む崎津の漁村に建つ教会「崎津天主堂」観光へ
明治以来3回の建て直しが行われた現在の教会は、昭和9年 ハルプ神父により創建されました。
長崎の鉄川与助によって施工された教会は、尖塔の上に十字架を捧げた重厚なゴシック様式で、その堂内は畳敷きになっています
また正面の祭壇がある場所は禁教時代に厳しい「絵踏み」が行われていたところでもあるそうです
この教会は「海の天主堂」とも呼ばれ教会が建つ漁港一帯は、平成8年日本の渚百選「キリシタンの里 崎津」に選ばれ
平成13年には、日本のかおり風景100選「河浦 崎津天主堂と海」
平成23年には、天草市崎津の漁村景観が「国の重要文化的景観」にも選ばれています
バスの駐車場から教会まで徒歩10分位 途中の民家の軒先には「しめ飾り」が飾ってある家が何軒もあって
ガイドさんの話によると「うちはキリシタンでは無い」という事を示す為にお正月のしめ飾りをそのまま飾っておく風習があるという事です
キリスト教の激しい弾圧のあった地…天草を感じ取った気がしました
次は、天草上島へ
途中、天草は「デコポン」の産地の様で、リアルな「デコポンのオブジェ」が…
左手に有明海の景色を眺めながら、天草パールラインへ
一号橋から五号橋の間の国道266号および重複する国道324号の約15kmのルートは、天草で真珠の養殖が盛んなことから「天草パールライン」と名付けられ日本の道百選にも選ばれています。
車海老の養殖が行われていました
天草五橋の五号橋(松島橋)を渡って天草パールセンターへ
両側の海に大小さまざまな島が浮かぶ風景は、天草松島と呼ばれ日本三大松島の一つに数えられています
ここで「たこ飯膳」のお昼を頂きました
マダコは、天草全域で水揚げされていて「干しダコ」等に加工され人気だそうです
天草四郎の像があって…その向こうには、天草四号橋その奥に三号橋が眺められます
四号橋(前島橋)、三号橋(中の橋)を渡り
クリーム色の二号橋(大矢野橋)を渡って、天草四郎のふるさと「大矢野島」へ
高さが15mという「日本一大きな天草四郎像」
「三角ノ瀬戸」に架かり、天草五橋の中で最大の支間を誇る長さ300mの天草一号橋(天門橋)を渡って三角港へ
雲仙「普賢岳」が綺麗に見えてました
竿がたくさん並んでいて有明海は、海苔の養殖も有名
天草街道、57号線、3号線を通って、旅の最終観光地、熊本城へ
3合線沿いに、九州新幹線用車両基地および車両工場がある熊本総合車両所がありました
熊本城…ここも修学旅行で訪れていて、立派な石垣に感動して当時の人たちに想いを馳せた微かな記憶がある所です
日本三名城のひとつ熊本城は、名将「加藤清正」が幾多の実践の経験を生かし、慶長6年(1601年)から7年の歳月と、心血を注いで築城したもので
大小天守閣をはじめ、櫓(やぐら)49、櫓門18、城門29を数え、城郭の広さは約98ha(東京ドーム21個分)、周囲約5.3kmにも及ぶ豪壮雄大な構えで、清正流石垣と呼ばれる優美な石垣と、自然の地形を巧みに利用した高度な築城技術で知られています
天守閣、本丸御殿一帯は西南戦争開戦3日前に原因不明の出火で焼失。
現在の天守閣は、昭和35年に総工費1億8千万円をかけて、鉄筋コンクリートで外観復元されたもので、大天守は地上6階地下1階、石垣の上から高さ約30m、小天守は地上4階地下1階、高さ19m。
内部は「熊本博物館分館」となっており、1階は加藤家時代、2階は細川家時代、3階は西南戦争関連の資料が展示されています。
最上階は展望所となっており、熊本市内はもとより遠く阿蘇の山並みを見ることもできます。
飛行機の時間、シルバーウィークの混雑などを考えて、ここでの所要時間は、50分
こんな広い敷地、ゆっくりなんか見ていられません…
熊本城が、別名「銀杏城」と呼ばれる由来の樹「大銀杏」、清正公が築城の際にお手植えになったと伝えられ清正が亡くなる時に「この銀杏の木が天守閣と同じ高さになったときに、何か異変が起こるであろう」と予言し、それが奇しくも明治10年の西南戦争のときであったとも言われています
現在の木は西南戦争で燃えたあとに、芽吹いた脇芽が成長したもので、130年でこれだけの大きさに成長したものです
足早にまずは、平成20年4月20日より一般公開されている「本丸御殿大広間」へ
往時の本丸御殿には、藩主の居間、対面所(接客の場)や台所の機能が備わっていましたが、今回、大広間(対面所)、数奇屋(茶室)と大御台所を復元
次は、創建当時から残る唯一の多層櫓で、本丸の西北隅、20mの高石垣の上に建つ3層5階地下1階、地上約19mの櫓で、天守並みの構造と大きさをほこる「宇土櫓」へ
中に入って、最上階まで登ってみました
熊本の郷土菓子「いきなり団子」(さつま芋と餡を小麦粉の生地で包んで蒸したもの)を買って
頬当御門(門より隣の大きな楠が良かったみたいで…)
西大手櫓門を抜けて、二の丸広場で天守閣と宇土櫓を撮影して
バスに戻り、先程買った「いきなり団子」を頂きました…素朴な甘さが美味しかったです
福岡空港には、出発時間の1時間30分位前に無事到着
お土産を買って、夕飯に長崎ちゃんぽんを食べて、青島ビール(チンタオビール)を飲んで飛行機に搭乗
予定より少し遅れて20:25福岡空港を飛び立ちました
羽田空港へ21:40位に到着 家路に着きました
久しぶりのAnneちゃん!
息子と元気にお留守番してました~
8:30 宿をあとにして、平戸大橋を渡って再び佐世保港へ戻り九十九島パールリゾートへ
遊覧船 パールクイーン号に乗って九十九島を遊覧しました
2001年のボランティアによる調査の結果、九十九島には208の島があると確認されたそうです
潮風をうけながら、約20位の島を巡ってきました
海の色がグリーンだったり、いろいろな形の島々や奇岩の景色を楽しむことができました
お昼は、佐世保で生まれ愛されているという「レモンステーキ」!
写真撮影を忘れてしまいました
薄切りの肉にレモン風味の醤油ベースのソースをかけたステーキで、レモンの輪切りと一緒に頂きました
さっぱりとして美味しかったです
再び佐世保港を通って
途中、太平洋戦争の時に口火が切られた暗号文「ニイタカヤマノボレ 1208」が発信されたと言われている「針尾無線塔」を見ながら
300mの正三角形の頂点に立つ136mの塔は、大正7年から5年の歳月を費やし建設されたそうです
大島大橋を渡って、4つ目の島、大島へ
かつて炭鉱の島であった大島町が、炭鉱の閉山に企業誘致を行った結果として、設立されたのが大島造船所
大島酒造で焼酎造りの説明を聞いて「磨き大島」と「529」を試飲
いも焼酎の方が好みで「磨き大島」は美味しかった何本も購入している人もいました!
次は、グラバー園、大浦天主堂見学
再び大島大橋を渡って
渋滞情報によると高速下りたところが渋滞しているという事で、しばらくは海沿いの一般道を南下して長崎市街へ
これがあの長崎市公会堂!と思ってシャッターをきったら、調度バスが…
これが、3000人収容の大型船かな~
修学旅行で来た時、再び訪れたいなと思ったグラバー邸、大浦天主堂!再び来ることができました
約50分位しか時間がないのでグラバー邸のみを見学
1863年に建てられた、現存する日本最古の木造洋風建築。正面玄関を設けないクローバー形の建築は、南国のバンガローをイメージさせます。
住宅内には、グラバーと妻ツルの写真、犬の彫刻が施された愛用のステッキ等が展示されていました
長崎の街を望む
遠くに鉄塔3本のシンボルのあの稲佐山が!
その手前には、三菱重工長崎造船所の岸壁で組み立てられ、日本に初めて設置された電動クレーン「ジャイアント・カンチバークレーン」
記憶の中のグラバー邸はもっと大きかった…やはり○○年分古くなっていて、こんな感じだったかなーと…
あの時見つけられなかったハートの石は、今回はしっかり見つけられました
(当時はパンフレットに記載されてなかったのですが、今はしっかりマークが記されていました)
長崎の伝統的お祭り「くんち」に奉納される龍踊りの白龍、青龍、各町の奉納踊りを先導する「笠鉾(かさぼこ)」と呼ばれる豪華な飾りなどが展示されている「長崎伝統芸能館」を通って
私が、初めて教会の中に入った場所!大浦天主堂へ
正式名称は、「日本二十六聖殉教者天主堂」で1597年日本で最初に殉教した日本二十六聖人たちに捧げられた教会
そのため、この天主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられています。
中に入ったら…やはり記憶より小さく感じました
椅子に座って10分間の説明を聞いてバスへ戻りました
本日の観光も無事終了、宿泊地雲仙に向かいます。
1634年江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島「出島」
扇型になっており面積は、約1.5ヘクタール。1641年から1859年まで対オランダ貿易が行われていた。車窓から少し見えました
現在は埋め立て工事とビル建設によって、出島の周囲は全て陸地になって小さくなってしまっているそうで…あっという間に通り過ぎました
途中、諫早にある老舗カステラ店「杉谷本舗」に寄って、いろいろな味のカステラを試食
結局、定番の蜂蜜風味のカステラを購入しました
橘湾に沈む夕日が綺麗
活発に噴気を上げている雲仙地獄。周囲には硫黄の臭いが漂います。
「おいと地獄」「大叫喚地獄」など、約30箇所ほどの地熱地帯があります。
キリシタン殉教の舞台になったことでも知られ、殉職碑もたてられています。
今日のお宿は、雲仙地獄のすぐそばにある旅館。
美空ひばりさんが療養のために宿泊されていたそうで、ひばりさんがおった折鶴が3羽ショーウィンドーに飾られてありました
夕食もとても美味しかったのですが…献立を書いたものを置いてきてしまって、何点か写真も撮り忘れ
にごり湯温泉にゆっくり入って旅の疲れを癒しました