日常感覚

世界を“当たり前の感覚”で見つめる日常エッセイ

フジテレビの「PRIDE」撤退問題から見えてくるもの

2006年06月10日 | Weblog
 すでに報道されているように、総合格闘技イベント「PRIDE」を放送してきたフジテレビが、イベント運営元であるDSE(ドリームステージエンターテイメント)に対し、6月5日、突然の契約解除を通告した。
 この背景には、「週刊現代」が報道してきたDSE・榊原信行代表と暴力団との「黒いつながり」があったとされている。筆者も同誌の報道については耳にしてはいたが、このような一方的な契約解除が行なわれるほど「深刻な問題」とまでは、正直、認識していなかった。
 とりあえず「週刊現代」のバックナンバーにいくつか目を通してみた。

 それによると、2003年の大晦日に3つのテレビ局(フジテレビ、TBS、日本テレビ)を巻き込んで行なわれた格闘技イベントの選手契約をめぐって、日本テレビ系の「猪木祭り」のプロデュースしていたイベント会社社長に、フジテレビ系の「男祭り」(PRIDE)を主催していたDSEの榊原代表が、暴力団を使って脅しをかけたということが問題になっているようだ。
 暴力団を使ってというより、PRIDEそのものの運営を実質的に暴力団の幹部が支配しており、榊原代表は「表の顔」に過ぎないというのが、同誌の主張だ。このイベント会社社長は、生命の危機を感じて海外に逃亡。その氏の証言をもとに、誌面は構成されていた。
 要は、そんな「闇の勢力」に支配された格闘技イベントを、社会の公器であるフジテレビが放送して構わないのかというのが論調だったと思われるが、PRIDE側は事実無根であり、記事はねつ造であると主張。
 フジとの契約が切れても、イベントは継続させる、絶対に潰さないと、急きょ開かれた公開記者会見の場で宣言した。

 筆者自身、この報道がどこまで真実なのかはよくわからない。ただ、榊原氏の会見での発言に接するかぎり、疑惑をかけられるような「黒い関わり」は少なからずあるのだろうという印象は受けた。事実無根だと力強く宣言はしたが、実際には「信じてください」と言っているだけで、それ以上の具体的な反論をしているわけではないからだ。
 ただ、だからといって、「週刊現代」の主張を筆者が支持しているのかというと、そうでもない。木を見て森を見ずというか、彼らは大きな問題を指摘しているようで、結果的に見れば、ただPRIDEをスケープゴートにして、それによって雑誌の部数を伸ばそうとしているだけのように思われる。
 彼らの主張は「正しい」のかもしれないが、その正しい主張が証明されたところで、格闘技界なりこの世の中の状況がいま以上に良くなるとは思えない。だとしたら「利用しているだけじゃないか」ということだ。

 じつはここ最近、この問題に妙にシンクロしていると感じるが、筆者はこの種の「闇の勢力」に関して書かれた本を何冊か読んできた。
 前にブログで紹介した副島隆彦氏の著作もそうだし、中丸薫氏とかベンジャミン・フルフォード氏などの著作もそうだ。彼らの発言を陰謀史観などと揶揄する向きもあるが、筆者は必ずしもそうは感じていない。すべての発言に同意できているわけではないにしても、「木」の話に終始している「週刊現代」(というより一般マスコミ)に比べれば、「森」全体のすがたを読者に提示し、「どうするべきか」の私見を述べている点で非常に「生産的」だという印象がある。

 たとえば中丸氏と元公安調査庁の菅沼光弘氏との対談(「この国を支配/管理する者たち」徳間書店)で、菅沼氏の発言になるが、次のようなくだりがある。

 「……小泉改革の名のもと、今までずっとやってきたことは、裏社会の話で言えば、山口組に対しての攻撃だったわけです。……野中(広務)さんは関西の山口組と関連があるといわれていた。小泉さんはどうしてその資金源まで断つことができたのであろうか。これはひとえに、暴力団稲川会の支援があったのではないか。小泉さん一家は祖父の代から稲川一家と関係があったといわれる」


 さらに、

 「稲川会で注目すべきは、アメリカの裏社会との関係です。……稲川会2代目の石井進会長の時代、ブッシュ・ファミリー、とくに今のブッシュ大統領のおじさんと親交があった。ある右翼の会長が、全国の事務所に、ブッシュ元大統領と2人きりで撮っている写真をかけていました。何でこんな写真が撮れるのか。撮影当時は現職のアメリカ大統領です。……要するに、ヤクザの世界からいえば、ブッシュ・ファミリーは稲川会と癒着している」

 つまり、暴力団、ヤクザ、反社会勢力(榊原氏の言葉)……言い方はどうであれ、こうした「闇の勢力」は、おそらく我々が思っている以上に社会に浸透している。そう考えたほうがいいのではないかということ。
 先のフルフォード氏は、「日本の社会構造は、政・官・財・ヤクザ」の癒着によって成り立っているといった趣旨の発言をしたうえで、それは同時に「必要悪」の側面があったという指摘もしている。
 たとえばバーのママさんが一人で店を経営できるのは、その「シマ」のヤクザが顔を利かせてくれているからだ。彼らは、警察などでは保護できない水商売の女性たちを「守る」ことで、みかじめ料(用心棒代)をもらう。言ってみれば、裏社会の警備会社のような役割、機能も果たしている。
 こうした「必要悪」が現に存在しているならば、いっそのこと、ヤクザも法人化して、合法組織として表に出てきたらどうかと、劇画「サンクチュアリ」さながらの提言をフルフォード氏はしていたが、要は悪をただ悪と決めつけ、排除したところで何も現実は変わらないということだ。その種の「正義」のほうが、かえってたちが悪いと筆者は思う。

 これは筆者の想像ではあるが、格闘技に限らず、何かイベントを立ち上げ、それがビックビジネスを生み出す興行へと成長していく過程で、「闇の勢力」との関わりはある程度避けられない、日本にかぎらず世の中(世界)全体が、そうした「社会構造」になっているように思われる。
 その構造の一端を槍玉に挙げて、バッシングするのは簡単だ。しかし、社会構造全体に目をむけない限り、繰り返すが、たまたま明るみになったものだけがスケープゴートにされ、それで終わってしまう。芸能人と、それをタニマチとして支える暴力団の関係などにしても、昔からよくささやかれている。
 しかし、それを「悪」と見なして一つ一つ糾弾したとして、結果的にはタレント(才能)の芽が摘まれるだけのものにしかならなかったら、かえってマイナスにすぎないことをしていることになる。

 簡単に何とかなる話ではないと思うが、しかし、善悪の単純な価値判断で、その場で見つけた「悪」をたたき、それで「善」を主張したとしても、「悪」は決してなくならない。かえって、より深い闇の中に「悪」は潜在していく。表からは見えない場所に、もっと巧妙に隠れてしまう。
 たとえば榊原氏にしても、断ち切れないダークな側面は持っているかもしれない。ある種、確信犯で「事実無根」と主張しているのかもしれない。しかし、それを彼がダークだからという論調で責めてしまえば、格闘技ビジネスに関わっていく過程で彼が抱え込まざるを得なかった闇の部分は、決して見えてはこない。良く言えば、彼の「覚悟」の部分も見えはしない。
 
 じつは問題は、この「覚悟」の部分の有無だと筆者は思う。物事を成し遂げるのに必要な意志は、時に「悪」をも飲み込むことで成り立つ面もある。
 彼を失脚させたところで、またべつの誰かを「表の顔」にすえて、より見えにくい形で同質のことが繰り返される。そのたびに浄化を叫んだところで、それではいくら正義があっても足りなくなるだけの話だ。
 それよりももう少しニュートラルな地点で、きちんと榊原氏なり、DSEなり、PRIDEなりを「評価」してみる。今回の会見では、正直そこまで見えてはこなかったが、もしすべてを背負い込んだ確信犯的な意志が、これから先、氏から感じとれる機会があれば、暴力団との関わりがあろうとなかろうと、筆者は「支持」したいと思う。具体的に言えば、会場に足を運ぶ。

 逆に言えば、そのような意志までは筆者は感じとることができなかった。だからどんなにいいカードを並べられても、「テレビで見られないから会場に行こう(そうやってPRIDEを助けよう」という気持ちにはなれない。
 もちろんこれは筆者個人の感覚であって、実際にはそのような思いに駆られて、会場に足を運ぶ人は相当数になると考えられる。しかしそれはPRIDEというブランドへの期待であって、主催者側への評価とはイコールでないことだ。
 お節介ながら、榊原代表なり、同じように槍玉に挙げられているフジテレビのプロデューサーなり、彼らがもしこの業界で生き残っていきたいと欲するなら、ブランドの力に頼らず、そのブランド作りに関わってきた「覚悟」を何らかの形で世間に(ファンに)伝えるしかないと思う。
 そうしていると榊原氏などは言うかもしれないが、少なくともまだまだ届いてはいない。感覚的な言い方しかできないが、ファンはリングの上の「真剣勝負」に心を動かされ、世間も関心を寄せてきた。大変なことではあるが、これと同レベルのものを伝えていかないと、ファンの心は動かない。PRIDE(誇り、自尊心)という名前の看板を掲げている以上、ハードルが高くなるのは仕方ないことだ。筆者自身も常々肝に銘じていることではあるが、人の心を動かす(感動させる)ことは容易なことではない。

 以上が筆者の「PRIDEに対する思い」ということになるが、現代社会に生きている以上、これに加えて、次のような見方も必要かもしれない。

 この先、フジテレビがPRIDEから撤退し、場合によってはペーパービューを提供していたスカイパーフェクTVも後に続くとなると、PRIDEも経営が成り立たなくなり、思いのほかあっさりと崩壊してしまう可能性はある。しかしその一方で、「お金になるおいしい格闘技コンテンツ」が易々と解体されていくのを、ビジネスに携わる人間がこのまま放っておくと考えるのもおかしな話だ。
 日本の企業が暴力団に対するマイナスイメージで支援を躊躇するとしても、外資はどうか? イベントが解体されてしまえば、利益が生まれる新しいイベントを再度作り直さないとならない。そんな面倒なことをするよりは、いまあるものを助けたほうがコストはかからないという考え方もある。

 たとえば、一連のプロ野球の球団合併騒動のなかで、ダイエーがソフトバンクになり、オリックスが阪急を吸収、楽天が誕生した。その反面、巨人(読売グループ)の力はかなり弱体化してしまった。
 先の副島氏によれば、ソフトバンクも、オリックスも、楽天も、外資(ユダヤ金融資本)に強い結びつきがあり、その意味では、「外資に日本の人気スポーツビジネスが事実上乗っ取られた」という見方ができるという(→こちらを参照)。楽天と球団設立を争ったライブドア(堀江貴文氏)の背後にも、「ハゲタカファンド」と揶揄される外資の存在があったことは、一般にもよく指摘されるところだ。
 こうした外資が、PRIDEをねらう。ありえる話だ。そうなると、フジテレビはニッポン放送株の一件に引き続き、会社の大事な財産をまたも奪われてしまうことになる。そこを考えたら、今回の判断も批判にさらされる可能性はあるだろう。もう少し違ったやり方もできたかもしれない。そんなあたりのことも、これから考えていく必要が出てくるかもしれない。

 いずれにせよ、巨大な利権の生まれるところに、必ず「悪」の影はある。しかし、その「悪」を排除しようとすると、「善」の部分も一緒に削ぎ落とされてしまう。となれば、排除することは「善」なのか、「悪」なのか? 善悪の感覚に立っている限り、最後の答えは見えなくなる。見えないままに、目先の現実に飛びついても、結局は誰かに利用されるだけだ。
 そうではなく、この難しい問いかけに一つ一つ直面しながら、一人一人が、よりやわらかな、物事の本質が見抜ける賢さ、バランス感覚を養っていくことが大事だと筆者は思う。その感覚で生きていくことで、善でも悪でもない、二つの統合されたものの実体が見えてくる。

 先に触れた「覚悟」の話も、そんな意識の統合の過程で、より深く理解できるようになってくることではないだろうか。
 PRIDEが「世界最高峰の真剣勝負」を提供してきたと言うなら、提供してきた側であるDSEも、ヒョードルやノゲイラが見せてきてくれたようなものを見せてほしいと思う。世間がどう非難しようと、きちんと伝わるものがあれば人は動くし、作り上げたモノは残っていく。