韓国の日本文化侵略

2006年06月23日 | 支那朝鮮関連
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韓国の日本文化侵略


■転送歓迎■ No.1150 ■ H18.06.23 ■ 8,405 部 ■■■■■■■

 日本のマスコミでは、中国・韓国への批判はタブーのようで、
日本・日本人が被っている被害について、日本で殆ど知られて
おりません。テレビ・新聞での非難は、殆どお目にかかった事
がありません。しかし、ベストセラーとなった「嫌韓流」等一
部書籍にて、少しずつではありますが、日本が受けている文化
侵略が知られる様になって来ております。

 今、多くの日本文化が韓国起源のものとして、世界中に発信
されています。空手・剣道・居合道・柔道・合気道・武士道・
サムライ・盆栽・錦鯉・折り紙・ソメイヨシノ・寿司・お花・
茶道等々。韓国お得意のインターネットで、日本人が知らない
所で、世界中に宣伝工作が為されている訳です。日本が侵略を
受けているのは、竹島だけではないのです。

 著作権侵害も凄まじく、アニメ・漫画・ゲーム機・お菓子等
でオリジナルそのままに名前を変えただけという代物を、平気
で韓国国内で多数販売されています。それを韓国で訴えた日本
企業が、あっさり敗訴という信じられない事例もあがっていま
す。

「嘘も100回言えば真実となる」という格言がありますが、日
本人が知らない所で、いや、知っていても大人し過ぎて、何ら
反論しないせいで、世界ではそれが真実として定着していく現
実があります。

 上記内容は、知ってる人は知ってる内容である為、あまり詳
しくは述べませんが、今回は、その中でも空手について是非と
もお知らせしたいと考えます。

 韓国の国技として、2000年の歴史を有すると言われるテコン
ドーが、実は日本の空手だという事をどれだけの人が知ってい
るでしょうか? オリンピック種目にまで採用され、韓国の警
察・軍の必須科目にもなっているテコンドーですが、実は日本
の空手が名前を変えただけのものなのです。

 この事を初めて知ったのは、今から13年位前でしょうか・・
・世界最大の武道団体である極真会館を創始した大山倍達氏
(朝鮮名:崔永宜)の著書「21世紀への道」(118ページ)で
の指摘を読んだ時でしょうか。その時は、いくら世界一の空手
家が言う事でも、そんな馬鹿な・・・ととても信じる事が出来
ませんでした。しかし、その後に多くの書を読み、それは十分
有り得ると確信する様になりました。実際、これは韓国人すら
認めている事実でもあるのです。有名なところでは、「親日派
のための弁明」で有名な金完?(キムワンソプ)氏もその著作
で明言しています。(親日派のための弁明2 250ページ)テコ
ンドーの創始者である崔泓熙氏は、船越義珍の松涛館空手を学
んでテコンドーを創始したとはっきり認めています。アメリカ
での普及も、当初はコリアン・カラテの名称だったといいます。

 前述の大山倍達氏の指摘では、創始者崔泓熙氏(韓国陸軍の
将軍でもある)は日本留学中に、松涛館空手を修業し、帰国後
猛虎部隊を編成し、空手を指導しました。

 当時の李承晩大統領が閲兵に臨んだ際、何という武術かと問
われ、日本で学んだものと答えたところ、大いに気分が害され
たそうです。李承晩大統領は、強烈な反日家として有名です。
「日本の自衛隊が韓国へ来るというなら、私は北朝鮮の金日成
主席と手を取って 日本を攻める」と発言した事さえある人物
です。そこで、大領領への配慮から、いくつかの変遷を経て、
テコンドーと命名されたとの事です。大山倍達氏は、同書の中
で、テコンドー初代会長・2代目会長と一緒に記念撮影までし
たものを載せています。

 また、同じく前述の金完?(キムワンソプ)氏の説明では、
1960年代から韓国を統治した朴正熙(パクチョンヒ)大統領の
時代に、テコンドーなる名称が一般化・普及化したと言います。
日本風文化清算の旗幟のもと、大々的な反日キャンペーンを行
い、多くの日本用語が国籍不明の用語に変換されたと指摘しま
す。その代表例が空手であり、それがテコンドーとなり、なん
と2000年の歴史を有する国技にまでなってしまった訳です。元
々、朝鮮半島には「テッキョン」という伝統武術があるそうで
すが、それに関連付けての命名だったとも言われます。テコン
ドーの正確な起源というのであれば、李承晩大統領の誤解に便
乗した崔泓熙氏の恥知らずの行動が最初と言うべきであり、歴
史は数十年と言ったところでしょう。

 1945年まで日本であった朝鮮半島では、当然ながら空手が普
及していました。日本敗戦時、朝鮮には空手の6大道場(演武
館・松武館・武徳館・青涛館・章武館・智道館)がありました
が、1950年臨時首都釜山で大韓空手道協会を発足させます。し
かし、同団体は紆余曲折を経て、何と1965年には大韓テコンド
協会に大変身を遂げてしまいます。館長の一部も、この恥知ら
ずの動きに反発し、離脱したり、崔泓熙氏を追放したりとした
そうですが、1971年金雲龍(キムウンヨン)氏が会長に就任す
ると、その強力な政治力で大勢が決したとの事です。ソルトレ
ークシティ冬季オリンピックの際のスキャンダルや、国内での
汚職で有名な人物との事です。

 そして今や、世界で3800万人もの修練生を持つと言われるテ
コンドーとなってしまっています。最大勢力で2000万人の門下
生を有するWTF世界テコンド協会。追放された崔泓熙氏が、カ
ナダで普及させたITF国際テコンド連盟。6大道場の館長の1人
武徳館の黄?(ファンギ)氏が離脱して創始した世界唐手道協
会。

 実は全て日本の空手なのです・・・

 日本の伝統・文化が世界に広く普及するのは、ある意味望ま
しい事なのかもしれませんが、韓国ではこれらの恥知らずの文
化侵略を行い、最近では、空手の起源がテコンドーにあるとま
で世界中で宣言しているのです。日本人の知らない所で・・・
国益を死守すべき政治家の方々には、是非とも考えて頂きたい
内容です。歴史的事実など二の次であり、感情剥き出しでひた
すら大声で喚き続ける事によって、

 日本人が反論しない事をいい事に、事実とされてしまうので
す。日本海を東海にしようとする運動も同根ではないでしょう
か?

 日韓友好と文化侵略を黙認する事は全く別の筈です。個人で
いくら悲憤慷慨しても何ら効力がありません。是非とも心ある
政治家の皆様には、この文化侵略を阻止して頂きたいと願いま
す。

 宜しくお願い致します。

http://www.melma.com/backnumber_256_3240157/

「しょう油は韓国が元祖」世界進出計画
李ゾンウ 国技院 副院長 過去’ショッキング 告白ー!空手 真似した 創始期 テコンドー










折り紙って韓国のものなの?
04.03.05 05:37:56 YASU

どなたか折り紙の歴史に詳しい方、教えていただけませんか?私は子供のころから折り紙って、日本人が考えた固有の文化だと信じてきましたけど違うんでしょうか?

こんな質問をするのにはわけがあります。

私は今アメリカ南部のある町で駐在員の夫と暮らしています。こちらにすむ日本人の奥さんたちと協力して、微力ながらも日本文化を紹介する手助けができれば と思い、この辺りの学校や文化イベントをまわっては折り紙の折り方を教えるボランティアーをここ数年ほど続けているのです。アメリカ人にも人気があり、い つも人がたくさん集まってくれます。

ところが、最近はやはりこちらにすむ韓国人女性のグループが、やはり同じように無償で折り紙を教える活動をしているらしく、それ自体はいいのですが、彼女 たちは『折り紙はもともと韓国(朝鮮国)で作り出されたもので、侵略時代に日本人が自分達の文化のように世界に広めた』という風に、子供達に教えていると いうんです。『いったい、どちらが正しいの?』と知り合いの小学校の先生にも質問されてしまいました。

あらためてこう尋ねられてみると、いつ頃、どこで、誰が折り紙を作り始めたのか、何も知らないことに気づかされました。慌てて私達も図書館などで調べてみ たのですが、意外と詳しい歴史ははっきり書かれていないのです。そこで折り紙の簡単な歴史を教えてくださる方、または分かりやすい解説本などをご存知の方 ぜひ、ご教示くだされば幸いです。

http://www.geocities.jp/bxninjin2004/data_room/14/cache/origami.htm





剣道・折り紙・盆栽・桜だけじゃない。韓国起源説
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/kigen.html


折り紙について
「社団法人 韓国折り紙協会」

紙榜(チバン)折りは、祖先崇拝儀式(祭祀=チェサ)と先祖供養儀式(茶礼=チャレ)を行なう子孫にとって、必須の礼儀でした。 紙榜折りは祖父から父親、父親から息子、そして息子から孫に伝えられてきました。 これは韓国の伝統民俗の一種であり、韓国の折り紙の起源と思われます。

また、居住様式から、韓国人がいかに紙を身近にして暮らしていたかが分かります。 韓国が紙と非常に親しい関係にあるのは、窓だけでなく壁紙を作るのにも紙を使っていたからです。 韓国は東北アジア3国のうち、もっとも紙と親しい関係にあります。 折り紙がいつ、どこで始まったかは定かではありません。

紙が発明されるやいなや、人々は紙を折り始めたと思われます。 中国の折り紙が3国のうちで最も古いと考えられています。 日本は高句麗時代に韓国の僧、曇徴から紙の作り方を学びました。 その後、日本人は質の良い紙を生産し、自分達で折り紙を発展させました。 日本は1797年に世界で初めて折り紙に関する本を出版しました。 現在、折り紙に関する本を作る専門出版社がたくさんあります。 また、折り紙を研究する団体もたくさんあります。 そして、彼らは外国語で研究を行なっているため、世界中で「Origami」として知られています。

韓国の折り紙は、小学校の教科書および教師のガイドブックの一部として書かれていたため、風習として存続してきました。 しかし、日本の植民地時代、日本は韓国の文化を全面的に抹殺しました。 このため、韓国の折り紙文化はこの時代、排斥されていました。 しかし、ついに長い沈黙を破り、折り紙文化は1989年3月の「韓国折り紙協会」の設立とともに復活しました。 創造的な紙の作品を出展するだけでなく、過去の伝統的な折り紙を発掘することも必要です。 このようにして、折り紙は大きく発展するはずです。
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/jupgie.htm




「韓国式折り紙、世界に伝えたい」

 「紙を門、壁、天井に貼る国は多いが、床にまで貼るのは韓国だけです」‐‐。

21日(現地時間)米国ニューヨークマンハッタンにあるイ・ヨンヒ韓服博物館で会った紙文化財団ノ・ヨンヘ理事長は、由緒ある韓国の紙文化をこのように説明した。

ノ理事長がニューヨークへ来たのは米国国内に韓国式紙文化を普及させるという念願をかなえるためだ。3年前、文化界の元老の1人が「韓国の独特で美しい紙文化を全世界に是非伝えてほしい」とし、韓服デザイナーであるイ・ヨンヒさんを紹介して「2人とも韓国の伝統文化に根ざした人であるから、力を合わせて働くといい」と話したという。そこでノ理事長はイさんの運営する韓服博物館内にニューヨーク紙文化教育院を設立し、この日開院式を行った。開院式の後、一般人たちのための折り紙特講が開かれ、50人余りが参加、その場で紙のヘリコプターと伝統衣装の装飾小物の作り方を学んだ。

ノ理事長は伝統文化の中で折り紙の大切さを何度も言及した。また「折り紙は子供の頭脳啓発及びお年寄りたちの認知症予防にも大きく役に立つ」とも説明した。

韓国人たちの頭の中から紙文化に対する認識がほとんど消えた1989年には韓国折り紙協会を設立、20年近く運営してきた。ほかに韓国紙文化院、紙美術博物館も建設して韓国社会で折り紙という大事な遺産が消えないよう力を尽くしてきた。すると紙に対する韓国人たちの認識がよくなったので、世界へ目を向けるようになったという。「ニューヨークから出発、全世界に韓国式折り紙のすばらしさを知ってもらうのが夢」とし「近いうちにモスクワでも展示会を開く計画だ」と明らかにした。
2008.07.23 15:37:54
中央日報 Joins.com
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=102790&servcode=400§code=400









植民地期における韓紙の変容

朴 英狷

韓国の製紙史は、独自の発展と隣国との影響関係において展開されてきた。中国で発明された製紙技術が伝わって以来、朝鮮半島では風土に合った独自の製紙技術と紙文化を発展させて きた。
中略

2.韓紙の特徴

2.1 朝鮮後期の韓紙に関する記録

韓紙は中国の紙とは違って製紙原料として楮を使用しているために紙質の強靭さを特徴としている。大韓帝国(1897~1910)の末期にロシア大蔵省が編纂した『韓国誌』にも「韓国産の紙は樹木の繊維で漉くのでその原料において西洋とは異なり強靭性があるので縄や網を作るのに良い」と記されている。

一方、韓紙の強靭さに対する批判的な意見もある。朴趾源は『熱河日記』で次のように述べている。高麗紙は絵を描くのに適当でなく、とうれん搗練しない物は毛羽が多く立ち、打った物はあまりにも堅く尚筆が滑りやすいので墨を吸わない。紙は墨をよく吸い筆跡の様態をよく表せる物を貴重な物とするが、丈夫で破れない物はまだそこには至っていない物である。韓紙が強靭さを特徴としている理由は、その原料である楮の繊維の強さと韓紙独特の漉き方にある。
中略

漉き桁を揺り動かす「流し漉き」の技法を持つのは韓国と日本ぐらいである。日本では、用途に合わせて漉いた紙を何枚か重ね合わせて乾燥させることもあるが、普通は1枚だけで完全な紙とする。これに対して韓国では、紙は必ずといっていいほど紙を重ねて乾燥させる。それは漉きあがった紙の厚さが均等になりにくい漉き方をしているためであって、その紙の厚さを均等にするために紙を2枚も重ねて乾燥させ、1枚の完成した紙に仕上げるのである。こうして重ねると、繊維の絡んだ方向が較差するため、破れにくい紙になるのである。このような韓紙古来の強靭さと潤沢の特徴は、朝鮮後期の製紙業の衰退とともに次第に失われてきたが、韓紙の生命として長年にわたって維持されてきたものである。

しかし、その長い歴史も日本の植民地期の製紙政策により大きな転換点を向かえることになる。韓紙は当時日本ではやっていた改良抄紙法(紙漉き法)の導入によりその原料、漉き方、規格、さらには名称までが変わり、それまでの韓紙(朝鮮紙)の特徴はこの時期を境にかなり失われるのである。

当時の韓紙は、規格が一定でなく、原料として高い楮を使用したため単価が高く、別個に漉いた2枚の紙を張りつけて1枚にするという非経済的な漉き方であった。また、大抵は家庭の副業として行われていたため漉き方の未熟さによる紙面の粗さも指摘されていた。それでも朝鮮紙としての特徴をしっかり備えていた。しかし、朝鮮総督府は経済性を優先させるあまり、韓紙の伝統性や特徴を失わせ粗悪紙にしてしまうことになった。この時期に導入された日本式改良製紙術はその後全国に普及し、現在では伝統の漉き方より一般化している。

以下略

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/bugai/kokugen/tagen/tagenbunka/vol4/pak4.pdf

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