話題の新刊「解放前後史の再認識」

2006年05月08日 | 支那朝鮮関連
ソウル発人&風
第41回 話題の新刊「解放前後史の再認識」

<写真1>教保文庫光化門店。いつもお客さんが多い

 「評判になっている『解放前後史の再認識』、小生も読みたく存じます」

 用事があって1週間ほど帰国していた。昨日(17日)ソウルに戻ってきたら、知り合いのT先生からファクスが届いていた。T先生は僕が尊敬するコリアウォッチャーの大先輩である。話題の新刊などがあると、時々こうして「注文」が来る。

 早速、自宅から徒歩数分の大型書店「教保文庫」に行き、注文の本を購入してきた。ヒェーッ! 驚いた。なんと2分冊だ。合わせると1473ページという大分量である。「広辞苑」よりも分厚いかもしれないな。

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 「解放前後史の再認識」(チェクセサン・刊)。2巻で6万1000ウォン。日本円で約7000円。値段も高いが、売れ行きも驚異的である。

 2月10日に第1刷(4000部)が出て、翌日には第2刷(2000部)を刷り、すでに第3刷を刷っている……と新聞各紙が報じた。教保文庫では刊行直後の2月第1週、週間ベストセラー(人文部門)で堂々の第1位、総合順位でも10位に食い込んだ。

 売り場に行ってみると、中年の男性らが手にとって真剣な表情で品定めをしている。カウンターの上にも横積みしてある。カウンターの裏に回ると、数十冊が山積みになっていた。この勢いだと、やがて総合順位でも1位になりそうな気配だ。

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<写真2>話題のベストセラー「解放前後史の再認識」全2巻

 どんな本なのか? 

 単純明快にいえば、1979年10月に発刊され、その後の韓国社会に大きな影響を与えた論文集「解放前後史の認識」(全6巻、ハンギル社)の論調に、全面的な批判を加えた論文集だ。だから題名が「再認識」なのだ。左翼民族主義史観の「認識」に対して、「再認識」はニューライト+脱民族主義の観点に立つ、といえばいいだろうか。

 「認識」(韓国では「解前史」と略称される)は、僕がソウルの延世大学に留学した1980年代中盤、学生運動に励む若者たちにとってはバイブルみたいな本だった。下宿で、大学院生が見せてくれたのを覚えている。

 日本でいえば「都市の論理」、あるいは黒田寛一の本か? いやいや、その影響度はもっと深刻だった。その出版から約4半世紀が経過し、挑戦的に登場した「再認識」は、ソウル大学の朴枝香(西洋史)、李栄薫(経済史)、延世大学の金哲(国文学)、成均館大学の金一栄(政治学)という新保守派の論客4人の教授が編集を務めた。

 「最近発表された論文の中から代表的なものを厳選し」、加筆修正を加えた論文29篇が収められている。その中には、北朝鮮研究の木村光彦・青山学院大学教授ら日本人研究者3人の論文もある。

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 朝鮮日報(2月11日の日本語版)は「認識」と「再認識」の歴史観の違いを、次のように指摘する。

    「認識」           「再認識」

 観点  一国社会主義的観点      比較史的観点
 歴史観 民族至上主義         脱民族主義
     民衆革命必要論        脱イデオロギー
     左翼偏向運動史        実証主義
 植民地 親日対反日、愛国対売国    複雑で多面的な裏面を探求
 分断  李承晩大統領と米軍政に責任  スターリンの世界戦略に起因
 李承晩 分断の先頭に立った      韓米防衛条約など評価


 どう? 面白そうでしょう。保守派の新聞らしく「再認識」の立場に沿った分類になっているが、それでも両書の違いは一目瞭然である。

<写真3>「解放前後史の認識」も再出版されている(写真右)

 韓国では今後、来年末の大統領選挙を控えて、左右両派の国家観と歴史観が激突する「思想戦」に突入する気配が濃厚だ。「再認識」の発刊は、そのファンファーレになるのだろうか。

 「認識」の歴史観は、日本でも、いわゆる「岩波文化人」らに大きな影響を与えてきた。「再認識」による問題提起は、日韓の近現代史をどう見るかという問題意識とも連動している。論文を毎日、一編ずつでも読んでいけば、日本人にも大いに勉強になるはずだ(一緒に誰か、読書会でもやりませんか?)。

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 このコラムでは、日本の読者に「再認識」の全容を紹介する余裕はない。そこで責任編集者の1人、朴枝香・ソウル大教授の筆になる「はじめに」のさわりを、いくつか引用してみたい。なかなか、気合がこもった文章だ。

  *    *

 「最近の20年間、学界の不断の研究によって、『認識』の主張の誤りが修正されてきたにもかかわらず、その事実が一般大衆には知らされてこなかった」

 「2004年の初秋、『解放前後史の認識』を読んで『血が逆流する思いだった』と語った盧武鉉大統領の述懐に、新聞紙上で接した。韓国社会の歴史認識をこのまま放置しておくのは、歴史学者として“職務放棄”だと思った」

 「民族至上主義からは、苦難の韓国現代史を正しく認識し、過去から教訓を得ることはできない。わが民族はきわめて優秀なのに、他国のせいで国が滅び、植民支配と民族分断の悲劇を味わったと主張するのは、歴史から何も学ぶなと主張することに等しい」

 「民族至上主義のもう1つの問題点は、最近、韓国社会に横行している『我が民族同士で』という論理と関連した多くの様相によく表れている」

 「『認識』の歴史認識は、あまりにも偏向しており、バランス感覚を失っている」

<写真4>カウンターの後ろに山積みされている「解放前後史の再認識」

 「民主主義が何か、国民国家が何か、市民の権利と義務は何かを知らないまま、この国を作るために礎を築いた祖父や父親の世代を、われわれは暖かく理解したい」

  *    *

 このような観点から、収録された論文は、次のような構成だ。

 第1部 植民地時代の日常(6編)
 第2部 植民地時代の女性(3編)
 第3部 植民地時代の知識人(3篇)
 第4部 断絶と連続(4編)
 第5部 解放空間(4編)
 第6部 朝鮮戦争と韓米同盟(3篇)
 第7部 農地改革と農村社会(3篇)
 第8部 1950年代論(3編)
 第9部 責任編集4人の対談

  *    *

 「はじめに」に書かれた各論文のミニ紹介も、なかなか刺激的だ。そのさわりを少し……。

 「植民地時代の大衆は、一方では近代性がもたらす開放感と活気を満喫しつつ、他方では主体になれない植民地人として、無気力と絶望を同時に抱いていた」

 「上海の日本軍従軍慰安所を委託経営していた民間業者の民族別構成を見ると、少なくない朝鮮人業者が含まれていた」

 「植民地期のハングル普及運動は、朝鮮語学学会だけでなく、朝鮮総督府によっても推進されていた」

 「日帝が戦時に構築した統制経済体制も、北韓(北朝鮮)ではほとんど姿を変えないまま、そのまま継承された」

 「南北双方ともに、断絶より連続が、(植民地支配から)解放直後の歴史を支配した」

  *    *

 僕がすでに知っていた話もあるし、知らなかった話もある、第5部から第8部は、解放直後の左右対立を扱っており、韓国人には関心の高いところだ。第8部は李承晩元大統領への再評価論である。

 面白いのは、これだけ話題の研究書であるにもかかわらず、出版社側から2度にわたって、ドタキャンされたことだ。

 「すべての作業を一緒に進めてきた出版社はなんの具体的な理由を挙げないまま(作業を途中で放棄し)、また(別の出版社は)理解しがたい理由を挙げて、これ以上、作業はできないと通告してきた」

 3番目の「チェクセサン(本の世界)」社が出版を引き受けて、ようやく日の目を見たという。この話は現政権下の韓国では、その思想性によっては、言論・出版文化がいかに不自由な状態にあるかを、如実に表すエピソードでもある。

  *    *

 この本、少なくとも第1巻(日本語訳すると約500ページか?)くらいは、日本で出版する価値がありそうだけど、どうなんだろう。関心のある出版社がいるのかな。(2月18日)

 下川正晴(しもかわ・まさはる)


毎日新聞 2006年2月21日
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/news/20060221org00m030101000c.html



『解放前後史の再認識 1, 2』の刊行
http://www.k2.dion.ne.jp/~koreanya/07shiryo1/shiryo1-rekishi-060226KaihouZengoshinoSaininshiki.htm


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