「原爆投下しょうがない」 久間防衛相が講演

2007年06月29日 | news
「原爆投下しょうがない」 久間防衛相が講演
(06/30 13:37)
 久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大で講演し、先の大戦での米国の原爆投下について「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べた。
 米国が旧ソ連の日本への参戦を食い止めるため原爆を投下した側面があるとの見方を示し「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」と指摘。
 また「勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけない」と述べた。
長崎新聞ホームページ
http://www.nagasaki-np.co.jp/f24/CN20070630/ma2007063001000274.shtml



広島の被爆者らに怒り、ため息 久間発言
'07/6/30
 久間章生防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言した三十日、被爆地広島では被爆者を中心に「核戦争を肯定するのか」「被爆の苦しみを理解していない」など怒りの声が渦巻いた。
 「かつて米国でぶつけられたのと同じ言葉を被爆国日本の大臣から聞くなんて理解できないし、本当に悲しい」。一九六二年以来、米国に被爆体験を伝える旅を繰り返している松原美代子さん(74)=広島市南区=は「二度と繰り返してはならない、と分かってもらうために語り続けてきたのに…」と声を震わせた。
 広島県被団協の坪井直理事長(82)は「原爆で何十万人も殺されたのに、人の命を何と考えているのか。核戦争を肯定しているとしか考えられず、まったく許し難い」。もう一つの県被団協金子一士理事長(81)も「米国の言い分そのままで、許せない暴言。いまも後障害に苦しむ被爆者の思いをまったく理解していない。核兵器を持ちたい本音があるのではないか」と怒りをあらわにした。

 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会の森滝春子共同代表(68)は「核武装も仕方がないとの世論を誘導しようという政権の意図があるのではないか」と警戒。従軍慰安婦問題をめぐり米下院外交委員会が日本政府に謝罪を求める決議をしたのに絡め、広島修道大の岡本三夫名誉教授(74)は「私たちも恨んでいない、と米国に伝える駆け引きにも思える」と指摘する。
 秋葉忠利広島市長は「被爆者の気持ちを踏みにじる暴言であり、強い憤りを覚える」、広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長は「被爆地の訴えに真摯に耳を傾けるよう求める」と、それぞれ発言の撤回を求めるコメントを出した。
中国新聞ニュース
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200706300352.html

news archives 原爆投下は「日本の植民地支配から解放」とのアジアの声が根強い…資料館展示見直しに中韓の委員を起用へ

久間防衛相は創価・半島利権のコーディネーター|きち@石根
http://ameblo.jp/disclo/entry-10038323348.html



久間 章生
日韓トンネル研究会の顧問を務める。
パチンコチェーンストア協会の政治アドバイザーである

昭和61年まで「闇社会の帝王」と呼ばれた許永中被告(商法の特別背任罪などで公判中)の関係企業の1つ「大阪国際フェリー」の代表取締役を務めていたことで有名。
許永中の口癖
「俺は同じ民族の奴としか、本当に大切な仕事はしねぇ」



暴力団組長と記念撮影 久間氏が防衛庁長官当時
http://piza.2ch.net/giin/kako/991/991934849.html

11 名前: ZAKZAK 投稿日: 2001/06/08(金) 17:07
小泉自民激震!久間氏が暴力団と記念撮影

 小泉自民党に大激震-。同党の久間章生政調会長代理(60)=長崎2区=が橋本内閣の防衛庁長官だった平成9年10月、日本の国防を指揮する防衛庁長官室で暴力団関係者や右翼団体幹部と記念写真を撮っていたことが分かった。「聖域なき構造改革」を掲げる小泉純一郎首相だが、政治家と暴力団のゆがんだ関係も改革する必要がありそうだ。


 これは8日発売の写真週刊誌「フライデー」が報じた。夕刊フジも緊急入手した写真を見ると、日章旗と防衛庁長官旗に挟まれた大きな机には「国務大臣 防衛庁長官 久間章生」との名札。久間氏は黒光する皮張りのイスに座り、その背後を、屈強そうな男性4人が囲んでいる=写真。


 同紙によると、この中には、関西地域を拠点とする広域暴力団関係者や右翼団体幹部、当時現役組長を務めていた人物などが含まれているという。


 久間氏といえば、昭和61年まで「闇社会の帝王」と呼ばれた許永中被告(商法の特別背任罪などで公判中)の関係企業の1つ「大阪国際フェリー」の代表取締役を務めていたことで有名。一昨年11月には、地元長崎の秘書宅に散弾銃が撃ち込まれる事件が起きている。


 これまでも自民党と闇社会をめぐる事件は数多いが、防衛庁長官室で現役長官が暴力団関係者と記念撮影するなど、あってはならない話。構造改革というの新鮮なイメージを持つ小泉自民党にはダメージになるのでは。


 久間事務所では「暴力団関係者とは知らなかった。そういう方々とは付き合いもない。1年10カ月ほどの在任期間中、地元後援者や陳情団など1万人前後の人々が長官室を訪れ、記念写真も数千枚は撮っている。代表者や紹介者は把握しているが、それ以外の人々は現実問題として確認できない。ただ、結果として長官室でそういう方々と写真を撮ってしまったことは反省しなければならない」と話している。

ZAKZAK





党首討論、防衛相発言めぐり論戦

 安倍総理と民主党・小沢代表の党首討論が、民間団体の主催により国会の外で行われ、アメリカによる広島・長崎への原爆投下に、久間防衛大臣が理解を示したとも受け取れる発言したことを巡って論戦となりました。 「(久間防衛相の発言は)国務大臣として非常に不見識な、不適当な発言だと考えておりますけれども」(民主党 小沢一郎 代表)

 「(久間氏には)防衛大臣としても、核の廃絶について、これからも大いに力を発揮して頂かなければならないと思うわけでありますが、国民の皆さまに誤解を与えるような発言については、厳に慎んでいかなければならないと」(安倍首相)

 「原爆の投下、まさに無差別爆撃の最たるものであります。(原爆投下について)謝罪を求めると、そういう考えで、アメリカといろいろな機会に話し合うべき」(民主党 小沢代表)

 「アメリカに『謝罪をせよ』と言うことにエネルギーを費やすよりも、私たちは核の廃絶を目指して努力をしていく、それに全力を挙げることが私たちの責務ではないか」(安倍首相)

 安倍総理はこう述べた上で、北朝鮮が核実験を行っている中、アメリカの核による抑止力を必要としているのも現実だと強調しました。(01日19:41)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20070701/20070701-00000029-jnn-pol.html





久間防衛相:発言に被爆地から怒りの声 一方で複雑さも
 原爆投下を「しょうがないなと思っている」と語った久間章生防衛相の発言に、長崎、広島の被爆地から30日、怒りの声が上がった。一方で、元長崎市長の本島等さん(85)は「日本の戦争責任をもう一度考えるきっかけを与えてくれた」と一定の理解を示し、原爆投下の総括ができていない被爆地の複雑さものぞかせた。
 爆心地から1.4キロの地点で被爆した「長崎の証言の会」の内田伯代表委員(77)は「広島、長崎で高熱地獄の中で死んでいった25万人の死をやむを得なかったと言えるのか。人間の尊厳を真正面から壊すような発言だ」と反発。「被爆者や遺族は米国へのおん念
を持って生きてきた。その米国をなぜ擁護しなければいけないのか」と怒りをあらわにした。
 被爆者の元長崎大学長、土山秀夫さん(82)は「まさか、長崎選出の国会議員の発言なのかと耳を疑った。2発目の原爆投下だった長崎は、さらに不必要な投下であったはず。歴史への勉強不足であり、無知そのもの」と憤り、「発言における責任を取るべきだ」と久間氏に辞任を求めた。
 一方で、79~95年に長崎市長を務めた本島さんは「今の時期になぜ、こういう発言をしたのか分からない」と疑問を呈したうえで、「被爆地では今も被害だけを強調する傾向がある。原因があるから結果がある。日本が戦争を始めなければ原爆投下はなかった」と話す。本島さんは日本の加害を問い続け、市長落選後は「原爆投下は仕方なかった」と繰り返してきた。
 原爆投下を巡っては、昭和天皇が75年10月の記者会見で広島への投下について「遺憾に思っている。戦争中のことなので、広島市民には気の毒なことであるが、やむを得なかった」と発言。本島さんは「当然の認識で僕も同感。久間さんの発言も同じで、原爆の肯定だ、容認だと批判するのはおかしい。天皇陛下も原爆容認論だと批判するのか」とも指摘した。【横田信行、柳瀬成一郎】
毎日新聞 2007年6月30日 23時17分
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20070701k0000m010128000c.html



久間発言と昭和天皇発言

昭和天皇は一九七五年(昭和五十年)九月、アメリカを訪問した。その旅から帰ったあと、天皇はテレビカメラも入った記者会見(十月三十一日)をおこなった。その会見では、広島への原爆投下についての質問がおこなわれ、天皇は次のように語った。(『朝日新聞』一九七五年十一月一日付)

 この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています。
http://tech.heteml.jp/2007/07/post_1002.html



「エー、原子爆弾が、エー、投下されたことに対しては、エー、エー、
遺憾には思ってますが、エー、こういう戦争中であることですから、
どうも、エー、広島市、市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことであると私は思ってます。」
(二分三十秒くらいから)

(日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」1975年10月31日)
http://www.youtube.com/watch?v=4b6VuxlBUYI


久間・本島発言と同列に論じる愚
http://ameblo.jp/disclo/entry-10038534726.html


久間発言とソ連の対日参戦と原爆投下について
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/212814




防衛相辞任ー原爆投下から目をそらすな

 米国による広島、長崎への原爆投下について、「しょうがない」と講演で述べた久間章生防衛相が辞任を表明した。
 原爆投下を容認するかのような発言は、被爆者の痛みを踏みにじり、日本の「核廃絶」の姿勢を揺るがすものだった。辞任は当然である。
 当初、久間氏は発言を訂正しないと言い、安倍首相も問題視しない姿勢をとった。ところが、被爆地の怒りがやまず、世論調査でも内閣支持率の低下が止まらない。参院選が戦えないという与党内の批判で追い込まれたのが実情だろう。
 悲惨な被爆体験は戦後日本の原点にかかわるものだ。それなのに、政治の感度は鈍かったとしかいいようがない。
 久間氏は辞任するが、これで一件落着したわけではない。久間発言は無思慮ではあるが、そういう物言いを生み出す土壌があると思わざるをえないからだ。
 それは、米国の原爆投下に対し、日本の政府が厳しく批判せず、国民の動きも十分でなかったことだ。
 広島と長崎に原爆が投下された直後の45年8月10日、政府は国際法違反として米国に抗議した。終戦後の同年9月には、のちに首相になる鳩山一郎が戦争犯罪と批判した。この発言を掲載した朝日新聞は占領軍により発行停止になった。戦犯を裁いた東京裁判でも、日本側は原爆投下を違法と主張した。
 原爆投下を糾弾する動きはここで止まる。政府が黙ってしまったのは、平和条約で、米国などの連合国への請求権を放棄したことが大きいだろう。法的にものを言うすべを失ったということだ。
 だが、それだけではあるまい。日本は米国に無謀な戦争を仕掛けて、敗れた。しかも、敗色が濃厚になっても、戦争をやめなかった。そんな負い目が戦後の日本にあったからではないか。
 久間氏の発言は、こうした心理がうっかり漏れたということだろう。
 しかし、戦争ならばどんな手段でも許されるということではないはずだ。原爆は破壊力がけた外れに大きいだけでなく、生き延びても後遺症を残す兵器である。その非人道的な性格については、いくら批判してもしきれないほどだ。
 原爆投下が間違っていたと米国を説得するのは並大抵ではない。米国人の多くは原爆投下によって戦争終結が早まったと信じている。米政府は謝罪したことはないし、現職の大統領が広島や長崎を訪れたこともない。
 だが、戦後50年に米国で開かれた原爆をめぐる展示では大論争があった。米国にも原爆投下に批判的な声がある。
 マクナマラ元米国防長官は、自らが携わった原爆を含む日本への無差別爆撃について「勝ったから許されるのか。私も戦争犯罪を行ったんだ」と語った。
 原爆投下が誤りであり、原爆の被害が悲惨なことを、日本から粘り強く発信し、米国に伝えていく。そのことの大切さを久間発言で改めて痛感する。
http://www.asahi.com/paper/editorial20070704.html





硫黄島戦闘など記述を訂正 靖国神社の遊就館
2007年6月30日 19時31分
靖国神社の戦史博物館「遊就館」が、沖縄戦など太平洋戦争の展示パネルの一部戦史記述を訂正していたことが30日、分かった。硫黄島での戦闘で「米軍の統帥部は(米国の)国民の非難を浴び」と説明していたのを削除したり、沖縄戦では日米の戦死者数が書き加えられた。
 昨年から始めた見直し作業の一環で「日本にとっては追い込まれた末の自衛戦争だった」という歴史観は維持、見直しに当たった専門家は「基本的に歴史的事実の誤りを正したものだ」と説明している。
 25-27日に休館し改訂、28日から公開した。
 硫黄島作戦に関するパネルでは、米軍に甚大な損害が出たとの記述がされた後に「米軍の統帥部は国民の非難を浴び、講和の気運さえ生まれた」との説明があったが、具体的な裏付けがないため削除された。
 沖縄戦では「米軍の死傷者は6万6000名」「(沖縄)県民の犠牲も10万人を超え」と犠牲者数を明記。本土防空戦は日付や爆撃機数を訂正した。
(共同)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007063001000409.html





慰安婦で釈明求める書簡 オランダでも批判噴出か
2007年6月29日 09時18分
 【ブリュッセル29日共同】第2次大戦中の従軍慰安婦問題で、オランダ下院のフェルベート議長は28日、日本の国会議員らが、女性を慰安婦として強制的に動員した事実はなかったと反論する意見広告を米紙に掲載したことなどに関し、釈明を求める書簡を河野洋平衆院議長に送付した。下院報道官が共同通信に同日、明らかにした。 日本側の対応次第では、米下院外交委員会が公式謝罪を求める決議を可決したのに続き、欧州有数の「親日国」であるオランダでも批判が噴出する可能性がある。 日本占領下のインドネシアで慰安婦にされた国民がいるオランダでは、安倍晋三首相の3月の「(動員に)強制性を裏付けるものはなかった」との発言や意見広告を受け、バルケネンデ首相が「あまりにも不適切だ」と不快感を表明している。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007062901000147.html



ウィキペディア(Wikipedia)のオランダから

日本軍はオランダ軍人4万人と民間人9万人を捕虜にしたが、捕虜は自分達が東インド住民を懲罰するために設けた監獄に自ら入れられるという屈辱を味わった。
日本の敗戦後、オランダ軍はこれらの日本軍人をBC級戦犯として逮捕、拷問・処刑を行った(連合国中で最も多い226人の日本人を処刑)。無実の人がほとんどであり、オランダの単なる報復行為であった。
戦後もオランダでは反日感情が根強く、1971年の昭和天皇オランダ訪問の際に卵が投げつけられたり、手植えの苗を引き抜かれたりした。1986年にはベトリクス女王の訪日が国内世論の反発により中止され、
また1991年に来日した女王は宮中晩餐会で日本の戦争責任に言及する異例のスピーチを読み上げた。 この女王の態度には日本やインドネシアから批判の声が上がった。



<従軍慰安婦>謝罪要求採決見送り求め、自民議員が米に声明
6月29日19時47分配信?毎日新聞
 自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相)は29日、党本部で総会を開き、米下院外交委員会が従軍慰安婦問題で対日謝罪要求決議案を可決したのを受け、ぺロシ下院議長らに本会議での採決見送りを求める声明を送ることを決めた。同問題を再調査する党内機関を置くよう中川昭一政調会長に要請することも確認した。
 中山氏は毎日新聞に「決議案には事実誤認がある。きちっと反論しないと日本が認めたことになる」と語った。一方、塩崎恭久官房長官は29日の記者会見で「政治家としての行動」と述べ、政府として関知しない考えを示した。【平元英治】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070629-00000084-mai-pol



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