「中国人に暴行受けた」 長野聖火リレー、日本人12人が被害申告

2008年05月22日 | news
5月21日23時6分配信 産経新聞
 4月26日に長野市で行われた北京五輪の聖火リレーで、「中国人に暴行を受けた」として日本人12人が長野県警に被害申告し、このうち7件の被害届が受理されたことが分かった。中国人も4人が被害申告し、2件の被害届が受理されたことが判明。21日の衆院外務委員会で警察庁の池田克彦警備局長が明らかにした。
 松原仁氏(民主)の質問に答えた。
 松原氏は、チベット支援を訴えた多数の日本人が警察官の目前で中国人に暴行を受けたと指摘し、「どこの国の警察か。中国側が殴っても見て見ぬふり。そういうことをやると警察の信頼感を失う」と批判。池田局長は「被害申告が出たものは鋭意捜査しているが、具体的な答弁は控えたい」と述べるにとどまった。
 松原氏は警察官も中国人に暴行を受けたとの目撃情報が多数あることについても質問。池田局長は「公務執行妨害に当たる事案はなかったと報告を受けている」と否定したが、警察官の被害実態を調査する考えを示した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080521-00000998-san-soci

長野聖火リレー その裏で起きていた出来事 中国人による事件が多発

見てみ見ぬふりの警察
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3129375

中国人元講師に無罪判決 静岡の語学学校理事長刺殺
日本語学校理事長刺殺 遺族が控訴求め嘆願書






長野の聖火リレーで逮捕されたタシィさん、釈放され会見
2008.5.17 00:43
写真釈放後始めて会見を行ったタシィ・ツゥリン氏。左は通訳を務めたペマ・ギャルポ氏=16日午後、東京・千代田区(小松洋撮影)
 長野市で先月26日に行われた北京五輪聖火リレーで、卓球日本代表の福原愛選手の列の前に飛び出し、威力業務妨害の現行犯で長野県警に逮捕された亡命チベット人2世で台北市在住の古物商、タシィ・ツゥリンさん(42)が16日釈放され、都内で産経新聞などのインタビューに応じた。
 タシィさんは胸の前で両手を合わせながら、「日本のみなさん、政府、警察にご迷惑をかけたことにおわびします」と謝罪。
 その上で、「日本の法律を犯さざるをえなかった理由があったことを分かってほしい」と訴えた。
 通訳としてチベット出身の政治学者、ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学大学院教授が同席。
 タシィさんは謝罪の言葉を述べた後、「チベットで何が起きたのか伝えなければならなかった。平和的に抵抗したことを“暴力的行為”だと誤解しないでほしい」と強調した。
 さらに、「チベットで亡くなった人々のことを考えるとじっとしていられなかった。聖火リレーという全世界の注目が集まる絶好の機会で、チベットの惨状をどうしても訴えたかった。初めから飛び出そうと決めていたわけでなく、気が付いたら行動を起こしていた」と当日の様子を話した。
 20日間の勾留で、逮捕前と比べて頬がこけており、「最初はここまで長くなるとは思わなかったが、捜査当局は法律に沿って質問している印象を受けた。最後には平和的な活動をしていたと納得してくれたと思う」と話し、勾留中に多くの日本人から励ましの手紙をもらったことも明かした。

福原選手の際に飛び出したことについては「どういう方か知らなかった」。後に、福原選手が中国の胡錦濤国家主席と卓球をしたことを知ったといい、「それはカルマ(業)かもしれない」と答えた。
 また、四川大地震について「生死をさまよっている人を助けることの方が五輪より重要だと思う。ただチベットに害を与えるのは中国政府であり、中国の人々には同じ人間として幸せになってほしい」と話した。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080517/chn0805170046000-n1.htm







ウラジオ在住・チェチュリンさん 四島返還をロシアに訴え 真の友好願い自費出版(05/16 08:12)
写真本を出版したチェチュリンさん
 ロシアで日本の中古車などの輸入販売を手がける会社社長アレクサンドル・チェチュリンさん(56)=ウラジオストク在住=が北方領土を日本の領土と認めて返還し、真の友好関係を築こうと訴えるロシア人向けの本を自費出版した。ロシア人が四島返還を訴える本を出版するのは珍しく、ロシア極東地域を中心に販売するという。
 チェチュリンさんは、一九九一年の旧ソ連崩壊をきっかけに歴史認識に疑問を持ち、二〇〇〇年から七年かけて仕事の傍ら、文献や専門家への聞き取りを重ね、四島が日本の領土であることを学んだ。「真実と正反対の認識をしているロシア国民に、正しい歴史を伝えたい」とペンをとったという。
 チェチュリンさんは「領土問題は政府が解決するもの」としながら、「国民が理解することが大事。この問題が解決しなければ、第二次世界大戦は終わらない」と主張。これまでハバロフスクの中学校やロシア外務省前で、北方領土の歴史を訴えるなど精力的に活動してきた。
 本は「千島列島 だれのものか」と題し、変型A5判、五十二ページで一万部を印刷。ロシア国民に広く読んでもらいたいと歴史や根拠などを簡潔にまとめた。地元のウラジオストクの人に読んでもらったが「真実を教えてくれてありがとう」と感謝の言葉が寄せられ文句を言う人は一人もいなかったという。
 北方四島周辺はカニをはじめとする水産資源の宝庫だが、チェチュリンさんは「もともと日本のものなのだから、それでも返還すべきだ」と断言。「領土問題の解決が、日ロ関係の新たなスタートになる」と理解を求めて活動を続けていくと話している。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/93034.php









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南機関とミャンマー
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            古澤 襄

2008.05.18 Sunday - 15:07 comments(0) trackbacks(0) by 古澤襄

四川大地震の被害は大きいが、中国は被害状況をオープンにする変化を
みせている。国際的な支援を求める一方で「四川を救おう」という愛国
心に呼びかけ、胡錦濤体制の求心力を高める狙いがあるという。北京オ
リンピックも予定通り行うようだ。

その中国に比してミャンマーの軍事政権は国際的な支援に背を向けてい
る。ミャンマーのサイクロン被害は実態が明らかでない。わずかに反政
府系の海外テレビで救出から放置された悲惨な村々の状況がかいまみえ
るだけである。

鎖国ともいうべきミャンマーの軍事政権だが、日本は戦前、戦中からビ
ルマ独立運動を支援してきている。日中戦争で重慶に立て籠った蒋介石
軍を支援するため、英米両国はビルマの”援蒋ルート”を作った。ビル
マとは英国領だったミャンマーの旧称。

”援蒋ルート”は、海路で軍事物資をビルマのラングーン(現在のヤン
ゴン)に運び、北部のラシオからトラックで雲南省昆明まで輸送する軍
事ルート。日本軍は山間部の道路を走るトラック部隊を目がけて、爆撃
機を出動させて空爆作戦を行っているが、あまり効果があがっていない。

1941(昭和16)年にビルマ南機関という特務機関が作られた。その目的は
英国領からの独立を図るモンゴル系のビルマ族を支援し「ビルマ独立
義勇軍」を建軍することにあった。

南機関の機関長は鈴木敬司陸軍大佐。当時のビルマの人口は1941年の国
勢調査によれば1600万人。民族別ではモンゴル系といわれるビルマ族が
1100万人、カレン族150万人、シャン族130万人、移住したインド人200万
人という構成。

この民族構成を現在のミャンマー行政区画と比較してみると面白い。ミ
ャンマーは7つの管区(タイン)と7つの州(ピーネー)に分かれる。
管区は、主にビルマ族が多く居住する地域の行政区分。州は、ビルマ族
以外の少数民族が多く居住する地域となっている。

カレン族はカレン州、シャン族はシャン州に固まっている。先住民であ
るカレン族は英国統治下ではビルマ族よりも優遇されたという。山岳民
族だが今では民族独立運動で「カレン民族解放軍」「カレン民族同盟」
で軍事政権と対立している。

英国の統治下では独立心が強いビルマ族は危険視されていたのであろう。
1941年のビルマ軍総数6209名のうち、大部分はカレン族などの少数民族
やインド出身のパンジャブ族が占め、ビルマ族の軍人は159名に過ぎない
というデータがある。(『ウィキペディア(Wikipedia)』)

ビルマ独立運動は1930年代から始まっているが、ラングーン大学の学生
が主体で、この中からタキン・オンサン(アウンサン)やウ・ヌーらが
出ている。

援蒋ルートの爆撃が効果をあげない実情から、日本の参謀本部はこの独
立運動に目をつけて、積極的な支援をすることになった。参謀本部付元
船舶課長の鈴木大佐が、その任に当たる。

偽名を使ってラングーンに潜入した鈴木大佐は帰国して大本営直属の特
務機関「南機関」を立ち上げ、バンコクに拠点を置いている。そのうえ
で独立運動派を密出国させて海南島などで軍事教練を施して武装蜂起の
準備をさせた。蜂起の時期は1941年夏。

しかし日本は対米英開戦に動きだした。ビルマ武装蜂起よりも「ビルマ
独立義勇軍」の設立が参謀本部の方針となり、鈴木大佐は義勇軍の司令
官となる。ビルマ人の募兵も開始された。この義勇軍がミャンマー軍事
政権の源流となっている。

日米開戦後、ビルマから英印軍を駆逐した第33師団はラングーンに入城
したが、すでに1万の兵力となっていた「ビルマ独立義勇軍」も続いて
入城、ラングーン市民の熱狂的な歓迎を受けている。

1943年に独立したビルマは、バー・モウ首班の下でアウンサンが国防大
臣、ビルマ国軍の司令官にはネ・ウィンが任命された。しかし日本の敗
色が濃くなるにつれて、アウンサンらが離反、ビルマ全土で蜂起してい
る。日本の統治下で果たした独立も連合軍の下で白紙に戻った。1947年
にアウンサンが暗殺。

1948年になってビルマはウ・ヌー首班の下で独立。しかし1962年にビル
マ国軍はクーデターを決行して、ネ・ウィン司令官が大統領に就任した。
ネ・ウィン軍事政権は「ビルマ式社会主義」を唱えて、議会制民主主義
を否定している。ネ・ウィンと南機関との関係は緊密で、2002年に死去
するまで続いている。

非暴力民主化運動指導者、1991年ノーベル平和賞受賞者のアウンサンス
ーチー女史は、アウンサン将軍の娘だが、軍事政権と対立して幽閉状態
に置かれている。

ビルマ族だがインドのデリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学
を学び、英国のオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジで哲
学、政治学、経済学の学士号を取得。

ロンドン大学の東洋アフリカ研究所(SOAS)で研究助手を務め、ニュー
ヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補となるなど華麗な経
歴で知られる。西欧化されたビルマ族といってよいだろう。

南機関の中にはスーチー女史の父・アウンサン将軍が英印連合軍と呼応
して軍事蜂起したことを快く思わない人もいる。ネ・ウィン人気ほどア
ウンサン人気がない。軍事蜂起の頃から英国の諜報機関と密接な関係が
できたという説が軍事政権の内部にも囁かれている。

スーチー女史の後押しをして民主化要求を前面に出す限り、軍事政権は
欧米の支援を拒絶するだろう。EUはようやくそのことに気がついた。

民主化要求はタナ上げにしてサイクロン被害の支援を働きかけるという。
現状では最善の判断だと思う。(元共同通信社常務理事)

杜父魚ブログの全記事・索引リスト(5月2日現在1814本)







靖国訪問禁止の通達は失効 政府答弁
2008.5.23 11:40
 政府は23日の閣議で、国公立学校が主催して靖国神社を訪問することを禁じた昭和24年の文部事務次官通達について「通達は失効している。授業の一環として、歴史や文化を学ぶために靖国神社を訪問してよい」との答弁書を決定した。
 平沼赳夫元経済産業相(無所属)の質問主意書に対する回答。
 答弁書などによると、20年に連合国軍総司令部(GHQ)が日本政府に示した覚書で、国家神道の強制や軍国主義の宣伝などを禁止。これを受け、国公立学校による靖国神社訪問や、礼拝目的の宗教施設訪問を禁じた通達を出したという。
 答弁書では、27年のサンフランシスコ講和条約発効で主権を回復したことにより、覚書が効力を失い、通達のうち靖国神社訪問を禁じた項目は失効したとしている。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/080523/edc0805231139000-n1.htm

小中学生は「靖国訪問禁止」“亡霊通達”今も


【中国】学校による靖国訪問禁止の失効は右翼勢力の影響、警戒を解いてはならぬ[05/23]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1211639474/-100

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