「在日団地」生活の秘録 東区 解体前に学者ら調査

2006年04月30日 | 支那朝鮮関連
浜松団地 西日本新聞2006.4.11(火)ネット上のソースなし

福岡市内で最も古い在日コリアン向け公営住宅。 1945年の終戦後、朝鮮半島に帰れなかった人たちの一部が、御笠川流域(同市)の水上住宅で生活。 国道3号延伸工事に伴う代替住宅として、59年に福岡県と市が建設した。 県と市は、公営住宅の改築目安(木造30年)の大幅の超過や、家々の幅が狭く消防車が進入できないことなどから建て替えを決定。 今秋完成を目指し、駐車場付きの14階建てマンション2棟を建設中。 長屋の一部は、建設用地として既に取り壊されている。

東区 解体前に学者ら調査
独自の学校、娯楽・・・「朝鮮そのもの」
半世紀、偏見の実態も

また、タクシーに乗って「金平団地」と行き先を告げると乗車拒否されたり、「団地に生きた犬が入ったら出てこない」「恐ろしいところ」と根拠のない日本人の差別新を浴びる中で団結が強まったことも紹介している。


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【国内】コリアン向け公営浜松団地 マンションに建て替え 築45年 在日生活の証人消える[05/19]
福岡市内三カ所にある在日コリアン向けの公営住宅としては最も古い「浜松団地」(通称・ 金平(かねひら)団地、同市東区馬出三丁目、二百二十戸)の取り壊し工事が本年度中に 始まる。四十五年前に建設され老朽化したのが理由だが、大戦中、強制連行されるなどし た在日コリアンたちの「古里」が消え、高層マンションに生まれ変わる。 浜松団地は一九五九年に福岡県と福岡市が建設した。約一万五千平方メートルの敷地に 木造二階の長屋式住宅三十一棟が並ぶ。 市建替整備課や当時の新聞などによると、終戦後、朝鮮半島へ引き揚げるため、博多港 に全国から多くのコリアンが集まった。だが、朝鮮戦争による半島情勢の悪化や、祖国で の生活基盤を失っていることなどから一部の人たちは帰国をあきらめ日本に残った。多く は御笠川流域(同市博多区)の水上住宅で生活。その後、国道3号延伸工事に伴い、水上 住宅を出て浜松団地などの代替住宅に移転した。 県と市は、公営住宅の改築目安(木造三十年)を大幅に過ぎたことや、家々の幅が狭く、消 防車が進入できないことなどから建て替えを決定。住民は一時、仮住宅に引っ越し、マンシ ョン完成後に再入居する。 マンションは駐車場付きの十四階建て二棟で、二〇〇七年三月末までの完成を目指してい る。総工費約四十六億円。 浜松団地町内会の金光培(キムグァンベ)・前会長(74)は「戦後の貧しい時代、同胞は身を 寄せ、食べ物を分け合って暮らした。建て替えられる団地のように、強く生きていきたい」と話 している。
詳しくは http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/news004.html

【国内】コリアン向け公営浜松団地 マンションに建て替え 築45年 在日生活の証人消える[05/19]
http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1084947806/

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