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【韓国】「ゴミ溜めになった釜山・広安里の白浜」

2008年08月10日 | 支那朝鮮関連
【韓国】「ゴミ溜めになった釜山・広安里の白浜」(写真)[08/10]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1218303738/

(写真)

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9日、eスポーツプロリーグ2008の決勝戦が行われた釜山(プサン)・広安里(クァンアンリ)海水浴場の白浜で、観覧客と避暑客の捨てたゴミがあふれて失われた市民意識を表している。

ソース:NAVER/釜山=聯合ニュース(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0002214551

大韓民国は海をゴミ捨て場と考える国







「韓国といたちごっこ」 大量の違法漁具、香住

 日本海の水産資源保護のため、山口県沖で韓国の違法漁具の回収を行っていた兵庫県但馬漁協香住本所所属の漁船5隻が9日、香美町香住区若松の香住漁港西港に帰港した。回収した大量の漁具を前に、漁船員らは「一向になくならない。韓国漁船とのいたちごっこだ」と憤りをあらわにした。
写真山口県沖で回収した違法漁具を陸揚げする乗組員ら=9日、香美町香住区若松、香住漁港西港

 日本側が底引き網漁を休漁している六-八月にかけて、日本の排他的経済水域(EEZ)で韓国漁船が違法に漁具を設置するケースが頻発。このため水産庁から事業委託を受けた全国底引網漁業連合会が主体となり、毎年この時期に撤去作業に乗り出している。

 今回は香住漁港を二日朝に出発し、山口県沖水深約百八十-三百五十メートルの日本海で作業を実施した。帰港した漁船からはバイかごや刺し網、ロープなどが次々と陸揚げされ、乗組員らが横付けしたトラックの荷台へと積み込んでいった。

 共進丸(九五トン、十人乗り込み)の福本吉彦船長(47)によると、回収した漁具には、カニやバイ、エビなどがかかっていたという。但馬漁協の吉岡修一組合長は「いつまでこのような仕事を続けなければならないのか。何年たてば断ち切れるのか。漁具が設置され、漁場が狭くなっている」と強い口調で話していた。

http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1218338586/-100

日本の経済水域海底から大量の韓国密漁漁具








【在日】 日本唯一の強制徴用記念館「丹波マンガン記念館」来年末に閉館~韓国政府が援助してくれたら・・・[08/11]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1218461866/-100

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(ソウル=聨合ニュース)日帝強制占領期間の徴用を記憶する唯一の歴史記念館で、京都市の外郭、京北区に位置する「丹波マンガン記念館」が財政難で結局、来年末に門を閉めることになった。

この記念館は1989年当時、強制徴用2世イ・ジョンホさんが「徴用の辛い歴史をそのまま埋もれさせてはならない」と一生集めた財産をはたいて建立し、彼が1995年に亡くなると息子のヨンシク(48)さんが受け継いで孤軍奮闘しながら守って来た。

ヨンシクさんの祖父は釜山に住んで日本に連れて行かれ、マンガン鉱山に生涯を埋めたし、父親も同じ鉱山で働いて塵肺症で世を去った。日本人フリーランサー作家である片山通夫さんは最近、記念館でイ・ヨンシクさんをインタビューした後、11日その内容を聨合ニュースに電子メールで知らせて来た。

彼はサハリンに強制徴用された韓人たちの生活を写真に収めて展示するかと思えば「サハリン」という本を発行した。片山さんによればイさんは「北朝鮮拉致問題が日本社会で大きな問題になった後、小・中学校課外学習で来ていた見学もほとんどなくなるなど、毎年600万円(5千642万ウォン)以上の赤字になった。これ以上たまらなくて2009年12月末、門を閉めることに決めた」と語った。

記念館は300mの坑道と展示、強制労働者の生活ぶりを再現した宿所、労働者の証言などを紹介した資料館などがある。盛時には年間2万人がこちらを訪れたが周辺の道路の事情が変わって交通量が激減し、訪問者が3千人ほどにがたっと落ちた。2002年には非営利団体法人化、基金誘致などを試みたが結局、取締役会は閉館することに最終決定した。

イさんは「記念館運営の経済的な難しさはいつもそうだったから慣れて大変ではなかったが、マンガン鉱山で働いた朝鮮人たちを見下して無視する日本人たちの行動は堪えられないほど、苦しかった。20年間記念館を守って来たのは、後世に強制徴用の歴史を知らせるためだ。」と明らかにした。

イさんは日本人ジャーナリスト田中宇さんが「朝鮮人がマンガン鉱山で働いてお金を蓄えて帰国した」とか「お金儲けをしたから日本人を恨まない」と言うなどおびただしい嘘を「マンガンパラダイス」という本で出版したことに憤慨して「マンガンで暮して来た朝鮮人と」という映像を製作したこともある。

「私の墓は記念館になるはずだから、私が死んだら遺骨は東海(日本海)に振り撤きなさい」という父親の遺言を奉じて13年間、記念館を守って来た彼は「限(訳注:恨の間違いか)とやせ我慢で今日まで続けてきた。」と述べた。

会館後、マンガン鉱山の歴史関連本の筆を執るという彼は「もし財政支援があったら、記念館運営を続けるのか」ときくと「お父さんが残された意志もあい、私の意志でもある。韓国政府が国内に記念館や資料官を作ることも良いが、日本に残っている資料館を守り、ひいては歴史博物館などを作ることを望む」と希望した。

ソース:(韓国語)日本唯一の「強制徴用記念館」来年末閉館
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LS2D&mid=sec&sid1=103&sid2=245&oid=001&aid=0002216194

関連サイト:丹波マンガン記念館
http://www6.ocn.ne.jp/~tanbamn/


19 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/08/11(月) 22:46:15 ID:7CVJGPLW
これって確か、強制連行された朝鮮人の証言を得ようとして調べてみたら
何十人にインタビューしても誰一人、強制的に連れて来られたという人が
いなかったってヤツだよね

記念館作った本人も実は、強制連行された朝鮮人がいるって話しは
又聞きでしか聞いたことが無かったとかいう


32 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/08/11(月) 22:54:52 ID:lJX7GsNg
マンガンぱらだいす は田中宇が左斜め上に飛んでいく前の名作

http://tanakanews.com/i11.htm

ちなみにこの本は実は野中の泣き所を明確に示していることで有名

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4833130815
>「京都府の丹波町の下山と、日吉町の胡麻に、山陰線の高い鉄橋がある。
あれを爆破しに行くことを計画して爆弾も用意した。
だが、どういう理由か忘れてしまったが、結局やめることになった。
本当にやっとったら皆、死刑じゃ。
自民党の国会議員のNも当時はバリバリの共産主義者だった。
彼は園部の細胞(組織)のキャップをしていたので、
一緒に細胞会議をしたこともある。今じゃバリバリの自民党だもんね。」

というわけで野中君のおかげで廃刊処分と。


60 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2008/08/11(月) 23:19:08 ID:P9yiUpHe
>>1


田中宇(たなか さかい)
現職 (1961- )、評論家、元・共同通信記者、元・MSNジャーナル記者(1997-99)
スタンス 反日度★★★:親北度☆☆☆
主な業績
かなり強烈な反米主義者。ブッシュ政権を極右と言い切る。
アメリカが完全なる悪という前提から見ているので、イラクや北朝鮮を見る目も歪んでいる。
処女作はマンガン鉱山で働いていた在日朝鮮人のドキュメンタリー。
差別と酷使を期待して在日に取材したのに、そんな話はまったく出なかったという。

http://kamomiya.ddo.jp/C01d.html




「マンガンぱらだいす」について

 1995年9月に名古屋の出版社、風媒社(ふうばいしゃ)から出版しました。読売新聞と産経新聞に掲載された以下の書評をお読みください。
 最近では、地元の関西をのぞき、もう書店ではあまり置かれていないようです。全国の図書館には、けっこう入っているようです。お読みになりたい方は、お近くの図書館で探してみてください。(なければ図書館で購入してもらうのがいいと思います)

★bk1には、著者を感涙させる素晴らしい書評を書いて下さる方がいました。ありがとうございます。

●読売新聞の書評

(95年10月15日全国版。データベースで検索)

「マンガンぱらだいす」田中宇著
 意外な明るさ、鉱山の朝鮮人
 95.10.15 東京読売朝刊9頁 書評面(全950字)

 変化球みたいな題だけれど中身は率直でおもしろかった。乾電池や鉄鋼の材料にするマンガンの鉱山で働いてきた在日朝鮮人たちの生活史の一端を書いている。
 おもしろかったのは、著者が手の内を正直にみせながら書き進めているのと、もう一つは、著者にまつわりついていた通念のようなものをつぎつぎと振り払っていくことである。そういえば、こちらも著者と同じように振り払わされてしまったところがある。
 このノンフィクションの舞台はあの大きな栗(くり)が有名な丹波だ。丹波は日本きってのマンガンの採掘地だった。輸入品に押され昭和四十年代には閉山したが、昭和の初めからここで働いてきた人のほとんどは、出稼ぎに来たりそのまま住み着いたりした朝鮮人たちだという。マンガンは、戦中はドイツのUボートの電池をはじめ多くの軍需品に使われ、戦後は復興・高度成長の素材でもあった。
 差別され酷使された彼らの話を集め、加害者としての日本人の立場を問いなおそう??著者は張りきって取材をはじめたのに、ふさわしい話はさっぱりみつからず行きづまってしまう。「朝鮮人=強制連行=悲惨」とか「朝鮮人=日本人への恨み」といった式が思うように成りたたないのである。ところが、録音を聞きなおしてみて著者は気がついた。
 地底で肺臓を粉塵(ふんじん)まみれにしながらマンガン掘りに生きた隣国の人たちの話には、式こそ当てはまらなくても、独特のしたたかさ、おおらかさ、光の部分と影の部分、があるじゃないか。その人間くささは「現代に生まれた私たち」が失っているものだ。その生きざまを書いてみたら。
 取材を重ねると、「戦中の朝鮮人=苦労ばかり」という「常識」もまた覆る。死に等しい炭鉱への徴用から逃れるため、まだましなマンガン掘りをした時代もあったし、日本の小役人を接待してうまくやった人もいた。
 そうかといってこの本は彼らの生きざまの寄せ集めに終わってはいない。彼らのひょうひょうとした語り口や達観や知恵や素(す)っ頓狂(とんきょう)なエピソードには、たしかに「悲惨」や「恨」はみえない。でも、みえないからかえって、私には、日本が隣国に対しておこなった権柄尽くが強調されてくるのである。(風媒社、一七八〇円)
評者・田辺 一雄
 ◇田中宇 一九六一年東京都生まれ。繊維メーカーを経て共同通信勤務。


●産経新聞の書評

(95年11月9日の全国版。データベースで検索)

【書評】「マンガンぱらだいす」 田中宇著
 95.11.09

 京都府北部、いわゆる丹波地方の一角に、「丹波マンガン記念館」がある。
 マンガン坑夫だった李貞鎬(イ・ジョンホ)さんが、自分の人生を残そうと、平成元年に設立した。
 戦前、戦中にかけて、丹波のマンガン鉱山では、大勢の朝鮮人坑夫が働いていた。当時の日本人の横暴な朝鮮人支配を描くのに格好のモチーフであり、記念館はその入口になる。
 大手通信社の京都支局員だった著者は、マスコミの定石通りそう考え、取材を始めた。が、やがて行き詰まってしまう。
 日本の植民地支配がよいことであったはずはない。しかしまた、人間一人一人の人生が、ステロタイプの価値観だけで測られてよいはずもなかったのだ。著者は気を取り直し、彼らの個人史を描くことにした。その成果が本書である。
 元坑夫たちの苦労話からは、平和な時代の議論にはなじみにくい、もう一つの真実が浮かび上がってくる。
 昭和初期、まだ強制連行が始まる以前に、朝鮮半島から出稼ぎにやってきた坑夫。戦時中、徴兵逃れのため、国策事業の経営者となるべく、呉服屋の主人が買いあさっていたマンガン鉱山に、同じ理由で集まった在日朝鮮人たち。何よりも、誰もかれも、まず食うことに必死だったこと……。
 戦後は戦後で、すさまじい秘話も飛びだしてくる。丹波マンガンの集散地だった町に北朝鮮系の団体の支部が生まれ、日本共産党と組んで鉄道の爆破テロを計画。鉱山のダイナマイトが用意されたが、実行寸前で中止になった……云々。在日一世たちの、なんともたくましく、そしてしたたかであったことか。
 構成面やボリュームにやや欠ける点に不満が残った。さらに深く追究され、著者の中で温められた上で発表されるべきだったと思えるエピソードも少なくない。しかしながら、読後感は爽やかで、意外な発見に満ちたノンフィクションの秀作である。
(風媒社・一七八〇円)

評者・ ジャーナリスト 斎藤貴男

http://tanakanews.com/i11.htm




Amazon.co.jp: マンガンぱらだいす?鉱山に生きた朝鮮人たち: 田中 宇: 本

鉱山で働いた朝鮮人たちの実像に迫るルポルタージュ,
2007/10/17
By?それから - レビューをすべて見る
平成元年にオープンした京都市近郊の「丹波マンガン記念館」。ここは在日一世李貞鎬さんが館長を勤める手作りの記念館である。丹波地方にはかつて300以上のマンガン鉱山があり、戦前から朝鮮人工夫による採掘が行われてきた。戦時中は戦略物資ということでかなり優遇されたようである。戦後は朝鮮戦争と高度成長期に好景気に恵まれたが、海外マンガンの輸入増加にともない昭和40年代には閉山が相次ぎ、丹波で最後まで採掘を続けた李貞鎬さんが止めたのは昭和51年のことであった。

記念館がオープンすると「日本の戦争責任を考える市民グループ」など、いわゆる「良心派」の札所のような存在となってきた。著者も同様な視点からビデオ作品を作ろうとしたが、すぐにそのステレオタイプの見方が打ち砕かれて、朝鮮人の生きざま(余り良い表現ではないが)を伝える貴重なルポとなった。そこにはマンガン採掘の実際の姿やマンガンが駄目になった後の「ホルモン事業」など戦前・戦後を通じて逞しくしたたかな朝鮮人の生活が活写されている。それでも著者の朝鮮の人々を見る目は暖かく好感がもてる。
戦後になって朝鮮戦争の時期に北朝鮮を支持する人々による山陰線の鉄橋や米軍弾薬庫の爆破計画(未遂に終わったが)など秘話に属する話もある。また、敗戦後、朝鮮人に近づく日本人の革命家たちの群像や、当時、バリバリの共産主義者で後に自民党の国会議員になった人の話など興味深い証言もある。最近、本書が手に入れにくくなっているようなのが残念である。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4833130815


大半、自由意志で居住 戦時徴用は245人







【コラム】独り善がりな「コリアン・スタイル」

 これは、数年前にある外国の空港で遭遇した出来事だ。外国の航空会社の旅客機が滑走路から引き返し、飛行機に問題があるということで乗客を一度降ろすことになった。数時間たっても、航空会社側からは特に説明もなかった。その時、大きな声が上がったので振り返ってみると、数人の乗客が航空会社の社員らと争っていた。よく見てみると、韓国人だった。あちこちに散っていた韓国人が集まり、一人が「黙っていると損をする。騒ぐべきだ」と言った。さらに何人かが争いに加勢したことで、韓国人が集団でデモを起こしているようなありさまになった。筆者も、勇気がなくてデモができなかっただけで、頭にきていることに関しては彼らと変わらなかった。
 しかし周囲を見回してみると、ほかの乗客はいすに座ったりカバンを枕にして床に寝たりしたままで、この騒がしい見せ物を見守るばかりだった。そうやって待機中だった乗客が、いつの間にか半分以下に減っていたのに気付いたのは、ずっと後になってからだった。飛行機が離陸できなくなり、航空会社が乗客を呼んでホテルの宿泊券を渡していたわけだ。しばらくして見てみると、残っている乗客の大部分は韓国人だった。航空会社が、コリアンをことごとく後回しにしたらしかった。

 がらんとした待合室に韓国人だけが残されていたその場面を、今でも忘れることができない。それが国際社会の中におけるわれわれコリアンの姿を意味している、という思いが、頭から離れない。なぜか、独島(日本名竹島)を巡る一件も狂牛病の一件も、この空港待合室の場面と重なって見える。

 1995年、韓国政府が「日本をしつけ直す」と称して独島について各種の超強硬措置を取るや、韓国の国民は歓呼した。その時、香港のある新聞社がアジア地域の企業人を対象に調査を行った結果、日本の立場を支持するという答えが60%を超えた。その理由は「韓国がもめ事を起こした」というものだった。韓国人は内輪で万歳を叫んだが、独島が韓・日間の紛争地域だと世界に広告を出す形になった。米国の地名委員会による独島の表記変更は、こうした広告が積もり積もった結果だ、ということもできる。韓国の歴代政権や政治家らは、後先考えず興奮する国民感情に迎合し、さらにはこれを利用し、日本のペースに巻き込まれる道をずっと歩いてきた。

 国際通貨基金(IMF)が2007年に行った調査では、日本が国際社会に占める国家位相は国内総生産(GDP)の2.24倍、対する韓国の国家位相はGDPの0.29倍だった。GDPは日本が韓国の4.5倍あるが、国家位相では35倍もの差が開いている、ということになる。米国地名委員会が独島の表記を日本に有利なように変えた根本的要因も、結局はこの国家位相の大変な差にある、というわけだ。
 日本の国家位相がGDPより2倍も高いのは、「ジャパニーズ・スタイル」を好ましいと思う世界人がそれだけ多く、韓国の国家位相がGDPほどでもなく、その3分の1にすぎないのは、「コリアン・スタイル」を嫌う世界人がそれだけ多い、ということを意味しているとみることもできる。米国国務省で韓国課長や日本課長を歴任したデビッド・ストローブ氏は最近、ある寄稿文で、「韓国の独島占有は維持される。しかし、韓国のデモ隊が日本の首相の写真に血を塗り、“独島は韓国領”と叫べば、韓国人のイメージはどうなるだろうか」と記した。コリアン・スタイルにどんな得があるのか、という問い掛けだ。

 国際社会は「米国産牛肉を食べると狂牛病にかかる」などとは思っていないのに、唯一韓国人だけは、国民の過半数がこれを信じている。子供たちが「死にそう」と泣きじゃくり、大規模なデモが連日起こっている。ある外国の経済人は「笑ってしまう」と語ったが、考えていることはそれ以上、というわけだ。

 韓国が国際社会の視線を無視し、自分たちのやり方で道をふさぎ、寝そべり、デモをし、大声を上げ、物を壊し、血書を書き、剃髪(ていはつ)や火あぶりの儀式を行いながら暮らしていくならば、国際社会が独島をどのように表記しようと関係ない、という覚悟も同じく持っておかなければならない。しかし、そういう人はいないだろう。

 2000年の間世界の中で最も辺境にあった韓国が、国際社会に乗り出しておよそ40年。その間にここまでくることができた。しかし、「内輪同士布団の中で万歳を叫ぶ」今のこの思考方式・行動様式では、ここまでが限界のようだ。ある日、空港の待合室に韓国人だけが残されていることに気付いた時は、先進国に上るはしごがすでに片付けられた後なのかもしれない。
楊相勲(ヤン・サンフン)論説委員
http://www.chosunonline.com/article/20080812000059

「空港デモ」国際的な醜態多い
http://www.chosunonline.com/article/20010801000010
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