内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

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Policy Essayist

国際シリーズ チベット問題の根源と今後の動向 (その1)

2012-03-31 | Weblog
国際シリーズ チベット問題の根源と今後の動向 (その1)
 4年前の2008年3月10日、チベット自治区の首府ラサで僧侶などによる北京オリンピックの開催国中国に対する抗議デモは、治安警察との衝突からで暴動に発展し、中国治安警察の鎮圧活動の過程で、死者18人(中国側発表)を含む多数の死傷者と900人を越える逮捕者を出した。
 そして本年7月27日から開催されるロンドン・オリンピックを前にしてチベットにおいて緊張感が高まっている。2008年のチベット内外での抗議活動は北京オリンピックのボイコットには繋がらなかったが、今回中国政府は抗議活動などを警戒し、ラサへの外国人記者の訪問、取材の制限など情報統制や治安維持活動を強化している。
それは今年が4年に1度のオリンピックの年だからではない。3月10日は、高度な自治を求めるダライ・ラマ14世が1959年に中国人民軍に追われ、チベットを脱出する際に「臨時政府」の樹立を宣言した日であり、北インドのダラムサラで亡命政府が樹立された月に当たるからである。亡命政府発足30周年に当たる1989年3月にもラサで抗議行動が暴動に発展し、中国治安当局による弾圧活動が行われている。国際世論にチベットの自治・独立を訴えるために北京でオリンピックの際と同様、ロンドン・オリンピックの年に大きな抗議行動に発展する可能性がある。
 それではチベット問題の歴史的背景、根源は何か、そして今後展望は開けるるのだろうか。
 1、 中国政府の主張の根拠 ―「17か条取り決め」-
 中国は、チベット自治区は「中国の一部」という主張を繰り返すであろう。その根拠として、1951年に署名された「17か条取り決め」を引き合いに出そう。
毛沢東主席の下で中国人民軍が1950年にチベット地域に侵攻し、蒋介石総統下の国民党勢力の影響を排除し、同地域を制圧した。米国は、共産主義の拡大阻止の観点から国民党を支持していた。その後、チベットは北京に代表を派遣し、1951年5月23日、中国代表との間で「中央人民政府とチベット地方政府のチベット平和解放の方法に関する取り決め」(通称「17か条取り決め」)に署名している。
「17か条取り決め」においては、「チベット人民は中華人民共和国の祖国大家庭に復帰」すると共に、「人民解放軍が進駐し、国防を固め」、通商貿易関係など「すべての渉外事務」は「中央政府」が処理するとしている。他方、チベットは「中央人民政府の統一的指導の下で、民族区域自治を実行する権利」があり、「ダライ・ラマの固有の地位と職権も変更しない」など、チベットの「自治」と「チベットの政治制度」の維持、「ダライ・ラマの固有の地位と職権」などが規定されており、一定の自治を想定していたことが読み取れる。しかし、清朝時代に導入された第2の宗教首領の「パンチェン・オルドニ」についても「固有の地位と職権は維持する」旨規定されており、旧来の制度に沿って「職権」を2人の宗教首領で分担するように規定されている。
ここに中国政府がチベット自治区は「中国の一部」と主張する根拠がある。
 2、清朝時代に遡るチベット問題 (その2に掲載)
(2012.3.10.)(Copy Right Reserved.)(不許無断転載)

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