道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

狒々(ヒヒ)爺い

2014年01月01日 | 人文考察

幼稚園児から白寿の翁・媼まで、男女を問わず人は心の裡に好ましい異性の面影を宿しているものらしい。ゲーテが73歳で18歳の少女に結婚を申し込んだのは有名な話だ。

わが国では昔から、老人男性が若い性への恋情を露わにするのは恥の最たるものと捉えられ、敢えてそれを実行すれば、周りから「狒々(ヒヒ)爺い」と呼ばれ貶められた。まことに、老翁の純な?恋慕に思い遣りのない、寛容性に缺ける扱いである。それだけこの国には、権力を笠に着た「狒々爺い」が、跳梁跋扈していたのだろう。

狒々はその元中国人の想像の妖怪で、老いた猿が変化したものという。怪力をもち、山中に棲んで人間の女を攫うとされていた。つまり好色な老猿である。

人を見たときの笑い声が「ヒヒ」と聞こえるところから、その名が由来したようだ。漢字や儒教と共に、この妖怪は日本に渡って来た。

狒々はいつの間にか、巧みに日本の神社に入り込み、神威を傘に着て年に一度、妙齢の娘の居る氏子の家に白羽の矢を立て、生贄を要求する存在になった。娘の親たちはそれを神意と誤認し、逆らった場合の祟りを恐れ、泣く泣く娘を生贄に差し出した。洵に中国由来の狒々は、その性どこまでも、好色野卑な妖怪である。

江戸時代、社会が安定するに従い、武家・町方を問わず隠居身分の老人に「狒々爺い」が増えた。人間性への理解が至らない儒教道徳は、聖俗二元化を招く。修行時代には清新で実直の見本のような人物が、功成り名を遂げた途端に好色漢に成り下がる。それまで好色のコの字も見せなかった人物がそうなるから愕く。清廉のメッキが剥げ落ちるのである。

思うに「狒々爺い」は、儒学研鑽の反作用と言えるかもしれない。維新の功業を成し遂げた元勲たち幾人かの晩節の醜態が、好個の例である。松下村塾で吉田松陰の薫陶を受けた誰それ、某々である。

時代劇ドラマの中では、若い娘を手中にした悪徳好色老人が「ヒヒヒヒ」と喜悦を満面に浮かべ笑うシーンが定番である。悪役に狒々の笑い声を発せさせて、いやらしさを強調するのが、日本の時代劇の常套シーンになっている。この種のいやらしさの演出は、狒々のいない欧米の時代劇ドラマには全く見られないが、本家本元の中国や韓国の時代劇では、日本同様このシーンが甚だ多いようだ。まことに狒々という好色妖怪は、儒教文化の裏に潜む淫猥性の象徴と言ってよいかもしれない。

大体、猥褻のという読むことも書くこともできない難しい漢字が存在することからして、彼の国が猥褻の本家本元と見て間違いないだろう。猥褻は英語ではなんと訳されるのだろう?適語を知らない。性的に解放的な欧米人は猥褻という感情が希薄なのかもしれない?儒教によって性を抑圧させられた民族に、猥褻性は高いといえるのだろうか?


明治以来145年、欧米に倣って男女関係も当事者の年齢の懸隔を問題にしなくなったかに見える。それと共に狒々という想像の動物を知らない世代が多数派になった。年の差を意識せずに老いた男性と若い女性とが結婚する例も増えているようだ。狒々は昔日の魔性、おぞましさを失い、「狒々爺い」という語も死語になりつつある。「狒々爺い」が日本老人の憧れであった時代は、遠くなりつつある。

それはさておき、老人にはまだ相当時間がある某テレビ局の人気アナウンサーの笑い声が、時に「ヒヒヒヒ」と聞こえるのはいささか気に懸かる。ご本人は気づいていないのかもしれない。尤もフリーになった元アナウンサーの大御所にも、「へッへッへッ」と笑う癖のある人が居るから、綺麗な日本語を遣うプロ中のプロでも、笑い方は自己統制できないものらしい。笑い方は人格の指標と言えるかもしれない。

「アハハハ」は無邪気。母音でなくワやガを頭にもってくると「ワハハハ」「ガハハハ」で莫迦笑いや豪傑笑い。ムが付く「ムハハハ」は倨傲で、「ムフフフ」は喜悦が滲む。ウが付いて「ウヒヒヒ」となると野卑の極み。笑い声には人の本心が如実に表われるようだ。

自分の笑い方はどうか?人にどう聴こえているのか?よくよく吟味して笑わなければならない。


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