S.E裏千家茶道教室 お茶のひと時

つれづれなるままにパソコンに向かいて
心にうつりゆく茶道教室の話題を書きつくれば。。。。

雲悠々水潺々(くもゆうゆうみずせんせん)at ”三五夜”

2024-08-14 00:00:00 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

 

お席に掛けられていた軸:雲悠々水潺々(くもゆうゆうみずせんせん)・・・奈良金峯山、ご住職の字。

意味は:雲はゆうゆうとたなびき、水はさらさらと流れている

夏の自然を詠んだ禅語。

8月12日、奈良の”三五夜”のお席へ出かけた。

鶯が鳴き、青葉が綺麗な今年の6月、金毛院のお席でご一緒させて貰った、江上さんが、以前こちらでお席を持たれたと知り

是非、寄せて貰いたいと思い、申し込んでいた次第。

ここで、最初のミステイク。

15時のお席をしっかり、5時のお席と思い込んでいた。

ご亭主の電話で、間違いを知る。しかし、ラッキーな事に5時のお席に入れて貰える事が出来た(^^♪。

当日はお盆の休み前で、京都駅の近くの道は車、車、又車で、私の車もなかなか八条口には進まない。

気持ちは焦る、今度この4時の特急に乗らないとえらい事になる~~~・・・あぁあ~なんとか近鉄に乗れた(^^♪。

4:35分、無事、奈良駅到着。

しかし・・・ここで2回目のミステイク。

近鉄奈良駅より、三五夜さん迄は結構かかる事が分かる。

マップでは近くに感じたけれど・・・・。

おまけに近鉄奈良界隈は観光客が一杯。

段差で転びそうななったけど、持ちこたえ、西日を浴びながら駆け足で歩き、何度か電話して、5時前ようやくたどり着いた。

あぁ~~良かった。しかし・・汗が止まらない( ;∀;)

5時お席入り。汗の中、最初に食事を頂く。

食事の後は葛切り。

お菓子の後は濃茶。

銘は:楽寿の昔。美味しかった。

後、薄茶は点て出しで頂く。

点前座で点てて貰えなかったのは残念だったけれど・・・・。

もう一つ残念だったのは、風炉が電熱だった事。

しかし、二服も頂き、7時前に失礼する。

最終章で大変な困難が待っていた。

一週間前に医者に診てもらい、関節炎と言われた右足の付け根、もも辺りが痛くてビッコにしか歩けない。

何とかJR奈良駅迄は歩いたけれど、一時間後降り立った京都駅から山陰線迄はもう大変。

痛い~~。

奈良で急いで歩いた付け、長い間の正座、それとも転びそうになった付けが出たのでしょうか?!

ドキドキ、暑い暑い、いたいいたいの一日となった。

これからは、もう少し自分のする事は考えてみないと・・・と少し反省。

 

 


飛流直下三千尺

2024-08-05 15:46:53 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

飛流直下三千尺(ひりゅうちょっかさんぜんじゃく)

李白の詩の一節で”飛ぶ様に激しく流れる水は三千尺の下へ落ちる様”

なんとも涼しい!!

地球沸騰、燃える様な日々の昨今。

外出を控え、ク-ラを効かし、TVでパリオリンピック観戦が一番のところ・・・・。

しかし・・・娘&幼い孫達が帰京で、長期滞在、そんな時間は殆んど無し( ;∀;)。

某一日、子守を任され、二人を上賀茂神社へ水遊びに連れてゆく。

木陰あり、水の音、水面を吹いて届く風は爽やか(^^♪。

暫し、自然の涼に触れた一日になった。


御手洗井 (at 京都市中京区烏丸通)

2024-07-18 16:07:55 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

7月16日、恒例の京都玉林院のお席に寄せて貰った。

待合で”どうぞお水を”・・・と言われた。

待合でお水を勧められるのは、初めてで、”どこのお水ですか?”と聞けば、”御手洗井のお水”との事。

丁度同じお席でお待ちの方が、”ここです”・・・と教えてくださった。

そこが、祇園祭の間だけ汲む事が出来る御手洗井。

丁度、烏丸の蛸薬師と錦の間、烏丸通りに面している。

京都に長年住みながら、知らなかった・・・・。

お席では、ご亭主が”今朝5時に井戸に行き、汲んで来ました”・・・と仰った。

このお水を飲むと、健康で長生きが出来ると言う。

ありがとうございます<m(__)m><m(__)m>。嬉しい限り!!

個性的なお席で、ご亭主は薄茶の後、椅子に座り、シェイカーで冷茶を作り振舞われた。

和やかなお席で、お話も進み、御手洗井を教えてくださった方は、蓬莱堂のご亭主で、蓬莱堂さんでもその日はお席があるとの事。

すぐその気になる私は、玉林院の後、新京極にあるお店へ行き、お茶を頂く事にした。

早く着いたので、近くにある”OMO cafe”でランチ。

私好みのお店だった(^^♪

そして、蓬莱堂さんのお席へ。

京都はやはり奥行が半端ではない。

お店の奥に茶室があり、お庭、腰掛待合まである。

連客の中には、アフリカのシリアからのカップルもおられ、お運びは男の外人さん。

それから~~~

この目で見たいと言う衝動にかられ、新京極から、大丸経由、烏丸にある御手洗井へ。

ようやく辿り着いた!!

あぁ~良く歩いた。

水深70メ-トルからお水は出ているそうで、それだけでも、京都はやはり歴史がある。

井戸の後は、冬にタケノコをお母さんの為に探したと言う、親孝行の孟宗山の粽を買い、帰路へ。

朝から着物であちこち歩き回り、暑い~~足は棒、玄界灘だった!!

 

 

 

 

 

 

 


アフタヌーンティー at Six Senses Kyoto

2024-07-18 15:41:35 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

お茶のメンバーよりお誘いを受け、久し振りにアフタヌーンティーに行く。

お茶は3時半より。少し早い目に着いたのでロビ-で篠笛&クリスタルから発するブユ~~ンと言う不思議な音楽を聴く。

なんだか癒される。

後で知ったのだけど、篠笛奏者は佐藤和也氏。

そして、カフェへ。

ここのホテルのコンセプトはオーガニック。

そんな気のせいか、美味しい。

下の段は近江牛&鱧のお寿司。トウモロコシのフリッター。

上の段は甘い系。シソで包んだ道明寺、和菓子もあり。

スコ-ンは餅粉入りで、甘酒&味噌餡で頂く。

もちもちして美味しい。

他のアフタヌーンティーは殆んどが甘い物。

しかし、こちらはミックスで全て美味しく頂ける。

特に気に入ったのが色々なお茶。

和紅茶も美味しかった。中でもほうじ茶、知覧茶は上級クラス。

お茶の後は、何十年ぶり?、バ-でお酒迄頂いた。

誘ってくださったTさん、カフェで知り合いになったOさん、そして私。

三人でお酒を飲みながら、ワイワイと

久しぶりの命の洗濯だった~~。


紫陽花茶会(於:京都、カフェ”風陶”)

2024-06-24 16:21:42 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

今年は梅雨入りが遅いとの事、又茶会迄は暑い日々が続きで、紫陽花はどうだろうかと気にしていたけれど

・・・・・カフエ”風陶”の周りは紫陽花が爛漫!!

前夜のすごい雨は嬉しくも午前は上がり、おまけに・・・・きれいな声の鶯達がバックコーラスで茶会を盛り上げてくれる。

お点前は昨年に続き“立礼”。亭主役はTさん、半東はDさんにお願いした。

お客様は、S.E裏千家茶道教室のメンバ-、友人、他で13名の方が参加。

主菓子、干菓子でおもてなしで、皆和気あいあいでひと時を楽しんで頂いた。

お茶席終了後は、カフエの二階でカレ-セットを頂く。

美味しいカレー、飲み物&手作りのクッキーも頂き、Oさん手作りのお皿もお土産に頂戴し、

私も参加の皆さんも、とても楽しい満足の茶会だった。

お世話になったカフエの皆さん、点前、半東、参加の皆さんもありがとうございました。


正午の茶事(於:金毛院)

2024-06-01 17:23:35 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

5/26日、京都金毛院で正午の茶事のお誘いを受けており出かけた。

丁度、前日は日本中風雨に襲われで、とても心配したけれど、当日は打って変わっての晴天!!

手入れの行き届いた庭の苔も青々、腰掛待合の側には可憐な紫陽花。

晴天を覆い被さる様な立派な青楓、時々吹く柔らかい春風・・・全て爽やか!!

おまけに鶯まで綺麗な大きな声で歓迎してくれた。

11時席入りで、露地を伝いおもむろに四畳半の茶席へ。

いつも大寄せで座らせてもらっている茶席だけれど、茶事となると何か格別の気分になる。

連客の方々は皆さん東京から。何故だか私一人近場の京都。

後で知ったのだけど、正客は”肥後古流”のAさん。

すごい博識の方で、席中のお話も深い~~~。

”肥後古流”の創始者は細川三斎。

三斎はご存知の様に、30代半ばより、丹波の国より熊本の方に居を移している。

お点前は拝見した事がないけれど、きっと利休の茶の心が伝わっている事と思う。

ご亭主を始め、連客の方もお茶に対する知識が深く、私はお尋ねすることばかりで・・・・( ;∀;)。

お道具も安土桃山時代の物、江戸時代の物と、歴史を潜り抜けて来た物が殆んど。

お茶はやはり歴史を刻んで来たんだなぁ~~と改めて実感。

約4時間余りの充実した時間を過ごした一日だった。

 

*いろいろ写真を撮りたかったけれど、正式な茶事でご法度

こちらの写真は、お席に入る迄の庭の紫陽花。


雨安居(うあんご)

2024-05-22 19:50:02 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

雨安居とは・・・お釈迦様の教えに、芽吹いた草や、土から出てきた虫を踏まずに済むように僧が一室に籠り修行する事。

綺麗な意味のある言葉。

ある雑誌に載っておりで、初めて知った。

最近は草木、物に対しても、心を持って接するべきと感じている。

やはり、シニアになったから思うのかも知れない。

亡くなった母には霊感があり、もし子供がやむを得ず道端で用を足すときは、「今から用を足しますので神様退いて下さい」と言わなければいけないと言った事があった。

神は私達の身の回りにはいつもいらっしゃるのかも知れない。

雨安居も同様、全ての自然には感謝が大切。

今週のお茶席のお菓子は・・・「落とし文」

上用粉+餅粉で作る。中は黄身餡。美味しいです!

「落とし文」とは・・・昆虫が産卵の時に作る丸まった葉っぱが、平安時代、想う人の近くに落とした恋文の巻紙の形に似ているから。

こちらも綺麗な日本語!

お菓子からもこんな言葉を知り、お茶はやはり楽しい。

 

 

 


葛飾北斎&歌川広重

2024-05-06 14:00:52 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

ゴ-ルデンweeknの真っ只中の5/2、兼ねてから行きたかった”葛飾北斎&歌川広重”展に行ってきた。

京阪淀屋橋で下車。

下車したとたん、小腹が空いたので、近くのカフェに入り、モーニング。

お腹も膨れ、良い天気、展示の香雪美術品迄川沿いを歩く。

歩道は整備されており、綺麗なバラたちが咲き誇っている。

美術館到着。

祝日ではないので、すぐ会場に入れると思っていたけれど・・・・何と~~長蛇の列。

会場入りまで約30分並んだ。

人数制限のおかげか、会場内はそんなにごった返してはいない。

しかし・・・・絵は版画で、A3位?おまけに眼鏡を持って行くのを忘れた!!

大失敗!!

新聞には有名な”神奈川沖浪裏”の絵が載っており、何となく大きな絵と思ってしまっていた。

(新聞より)実際は青の色遣いが素晴らしい!

一応、富嶽36景を見る。

どれも素晴らしかった。重ね重ね眼鏡を持参しなかった事が悔やまれた。

鉄斎は確か90歳すこし過ぎ迄生きた。

会場内には、80歳の鉄斎が、みすぼらしい家で畳に寝そべり絵を描いている模型があった。

どこの国の芸術家も、死んだ後有名になり価値が付く傾向にあるが、鉄斎もその中の一人かもしれない。

広重の絵も素晴らしかったけれど、私は鉄斎派。

新札1000円の裏は鉄斎の”神奈川沖浪裏”の絵”との事。

 


愉英雨(ゆえいう)

2024-04-29 13:38:29 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

春に降る雨を”愉英雨(ゆえいう)”と言う。”英”は花の事。

春の雨は花達を喜ばし、美しく咲かせる。なんと素敵な日本語!!

そして”愉英雨”が→”花笑う”言うこちらも素敵な日本語につながって行く。

写真の御宅は、妙心寺北門の向かい側で、隣の人間国宝でまどかさんも訪れている。

丁度龍安寺の教室へ行く道中にあり、あまりにも綺麗にされておりパチリとさせて貰った。

下の写真は、4月の四ケ伝のお稽古用に準備した練り切り、ちぎり餅、水菓子のトマト。

練り切りは好評でした!

 

年々歳々花相似 歳々年々人同(ねんねんさいさい花あいにたり さいさいねんねん人おなじからず)

花は何時になっても変わらないけれど、人は歳を重ね変わって行く・・・という禅語。

歳を重ね変わって行くだけでなく、人は色々な事情で変わって行くとも捉えられる。

お茶のお稽古に通っておられたお二人が、今月で辞められる。

それぞれの事情で仕方がないけれど、お茶に対して造しを深められる事を期待していただけに・・・・・

昨日は、”行ノ行台子”のお稽古をした。

去ってゆく方は仕方がない。求められる方には、期待に添う様努力を重ねたいと思う。


織部の菩提寺、”興聖寺”

2024-04-15 18:18:12 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

桜も散り始めた4月13日、TVで枝垂桜を紹介していた”興聖寺”に寄せて貰う。

桜の咲き始めた頃は、娘と孫が滞在しており毎日がバタバタ。

何とか鴨川の桜を見ただけだったので、ようやく一人で桜狩り。

この処の上昇気候で、散ったかもと・・・心配していたけれど、何とか満開の桜に出会えた。

おまけに普賢桜も同時に鑑賞で嬉しい限り。

 

こちらのお寺は別名織部寺とも呼ばれ、織部の菩提寺であり、織部好みの茶室”雲了庵”もある。

最近、台目席が気になっており、丁度この茶室も三畳台目で感動してパチリ~~。

何気なくネットを見ていたら、藪ノ内家燕庵の間取りが出ており、この雲了庵と同じ。

燕庵は織部から譲り受けた茶室との事。納得!

こちらのお寺には苦い過去がある。

何年か前、本を頼りに何気なく織部忌に寄せて貰い、なんだか最後まで居座り、確かお献茶迄見せて貰った気がする。

おまけに水菓子のお土産まで頂いてしまった。

本来ならば、藪ノ内家に大いに関係のある方々の参列だったと思う。

面目ございません<m(__)m>

*古田織部は利休に茶を習い、徳川秀忠へ茶の指南をしたが、大阪の陣では内通していたと一族は死を賜り、本人は73歳で自刃した。初代藪ノ内の嫁が織部の妹である。

昨日の茶席は藤村庸軒の娘婿(久寿美疎庵)の茶杓が出たり、本日は道安の弟子、壁塗土斎の茶杓だった。

茶碗は、安土桃山時代の斑唐津。びっくり~~(*_*)。

お茶は本当、歴史が詰まっている。ささやかな茶席料でこんな歴史にある物を拝見出来なんとも贅沢です!!