日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

靖国神社

2007-07-10 | 世界地理
靖国神社を見下ろす法政大学

九段の母
 作詩:石松秋二
 作曲:能代八郎
 1934年(昭和9年)
 
1 上野駅から    九段まで
  かってしらない  じれったさ
  杖をたよりに   一日がかり
  せがれきたぞや  会いにきた
2 空をつくよな   大鳥居
  こんな立派な   おやしろに
  神とまつられ   もったいなさよ
  母は泣けます   うれしさに
3 両手あわせて   ひざまづき
  おがむはずみの  お念仏
  はっと気づいて  うろたえました
  せがれゆるせよ  田舎もの
4 鳶が鷹の子    うんだよで
  いまじゃ果報が  身にあまる
  金鵄勲章が    みせたいばかり
  逢いに来たぞや  九段坂

靖国神社の参拝は二礼二拍手一礼である。息子を戦死させた老母が田舎から靖国神社参拝に来たが、参拝方法を間違えて、お念仏の「南無阿弥陀仏」をくり返して唱えたのであろう。
この歌詞が不適切であるとして、3番を歌わないことがある。
4番の歌詞中の金鵄勲章とは1890年制定の軍人軍属への終身年金付きの勲章である。1946年に廃止されるまでに、108,652人に与えられた。

靖国神社の住所は東京都千代田区九段3丁目1番1号。戦争関係者が九段と言えば、靖国神社のことである。
靖国神社を睥睨するように、背後にそびえ立つ高層ビルは法政大学市ヶ谷校舎である。1960年代の高度経済成長期、法政大学経済学部はマルクス経済学の中心であった。
1970年代にマルクス主義者であることを自慢した左翼勢力が衰退すると、全国の主要大学がマルクス経済学から近代経済学に大変身をした。マル経学者が近経を教える離れ業を、マル経学者は簡単にやってのけた。
法政大学はマル経を守り通した。しかし、学問的にはマル経が面白くても、学生の就職面を考えれば、近経の方が有利であった。定年退官のマル経学者の後任には近経学者が就任し、法政大学は少しずつマル経を切り捨て、近経ばかりの並みの大学になってしまった。
その法政大学が靖国神社を見下ろしている。法政大学がマル経の牙城であったならば、多分、校舎の高層化に建築許可は下りなかったであろう。(2006.12)




最新の画像もっと見る