「誰も知らない」「ワンダフル・ライフ」の是枝裕和監督最新作。今回は「仇討ち」についての話です。時代劇です。
父の仇をうつため、信州から江戸にやってきた主人公。江戸の片隅の貧乏長屋に暮らしながら、仇をうつ機会をうかがうが、なかなか思い切れずにうだうだしている。長屋に暮らす、さまざまに個性的な人たちと交流し日々を暮らすうちに、主人公は、仇をうつことが果たして本当にいいことなのか、と思い始める。
その日暮らしが精一杯で、長屋の家賃にも事欠く毎日。仇討ちが成功すれば多額の報奨金が手に入り、長屋のみんなも救われるのだが、なかなか思い切れない。そんなある日、大家が長屋の取り壊しを決めてしまう。すみつづけるために多額のお金を工面しなければならなくなった主人公は、ついに一大決心をする・・・・・・・・というストーリー。
仇討ちをテーマにしてはいますが、シリアスではなく、笑いあり人情あり、で、むしろ落語に近いです。
コメディともいえるくらいの明るい、軽妙な映画なのですが、監督の過去の作品がシリアスなものが多かっただけに、真面目に真面目に映画と向き合ってしまいました。そこから感じたのは、「親から子へ(または未来へ)受け継いでゆくもの」と、「本当の強さとは?」という問いかけでした。ここでは、後者について、以下に。
舞台は仇討ちが賞賛されていた時代。赤穂浪士のように、仇討ちをやりとげた人たちは「立派だ」と賞賛をもって迎えられる。一方仇討ちから離脱した人は「臆病者」という烙印をおされる。
でも仇討ちすることを思い悩む主人公は、本当に「臆病者」なのだろうか?
たぶん世間はそういうのだろう。けれども、臆病者と言われそれでも生き続ける人たちは、本当に弱い人なのだろうか?
そうではない、とこの映画は言う。
確かに弱いから踏み切れないのかもしれない。優しすぎるから踏み切れないのかもしれない。やさしさは弱さを産むのかもしれない。でも本当にそうだろうか?本当にやさしさは弱さなのだろうか?
否。やさしさがあるから強くなれることだってある。剣の腕に自信がなくても、誰かを思い遣る気持ち、愛しいと想うやさしさは、その人を強く、美しくするのだ。
(うー、すごくクサイことかいてるけど、本当にそう思ったので思ったとおりに書く)
背を向けて逃げることだけを取り出してみれば、それは弱いことかもしれない。
けれど、その弱さを受け入れ、生き続ける力というのは、死に飛び込む勇ましさよりも強いと私は考える。
なぜなら、死に臨む勇気は一瞬で事足りてしまうが、生に臨む勇気は、それよりも永く、持ちつづけてゆかなくてはならないものだから。
この映画のラストシーン、「(自分の弱さを受け入れて、それでも)前をむいて生きてゆこうと決意したひと」が2人でてきます。彼らの笑顔や背中に、腕力ではない「本当の強さ」をはっきりと、みることができるのです。
さて
俳優についてですが、もう古田新太サイコー!いい味だしてます。
岡田准一も、みていくうちにだんだん役になじんでみえてきました。これも是枝マジックか。
最後にひとつ。台詞について。
「桜の花はどうしてあんなに潔く散ることが出来るのか、わかるかい?」
この問いかけへの、劇中での答えがすごく印象に残りました。みなさんはどうしてだとおもいます?
劇中で出された答えは、とても素敵な答えでした。「そっか!そうかもね!」と納得とともに元気をくれる言葉です。ぜひ劇場でお確かめを。
父の仇をうつため、信州から江戸にやってきた主人公。江戸の片隅の貧乏長屋に暮らしながら、仇をうつ機会をうかがうが、なかなか思い切れずにうだうだしている。長屋に暮らす、さまざまに個性的な人たちと交流し日々を暮らすうちに、主人公は、仇をうつことが果たして本当にいいことなのか、と思い始める。
その日暮らしが精一杯で、長屋の家賃にも事欠く毎日。仇討ちが成功すれば多額の報奨金が手に入り、長屋のみんなも救われるのだが、なかなか思い切れない。そんなある日、大家が長屋の取り壊しを決めてしまう。すみつづけるために多額のお金を工面しなければならなくなった主人公は、ついに一大決心をする・・・・・・・・というストーリー。
仇討ちをテーマにしてはいますが、シリアスではなく、笑いあり人情あり、で、むしろ落語に近いです。
コメディともいえるくらいの明るい、軽妙な映画なのですが、監督の過去の作品がシリアスなものが多かっただけに、真面目に真面目に映画と向き合ってしまいました。そこから感じたのは、「親から子へ(または未来へ)受け継いでゆくもの」と、「本当の強さとは?」という問いかけでした。ここでは、後者について、以下に。
舞台は仇討ちが賞賛されていた時代。赤穂浪士のように、仇討ちをやりとげた人たちは「立派だ」と賞賛をもって迎えられる。一方仇討ちから離脱した人は「臆病者」という烙印をおされる。
でも仇討ちすることを思い悩む主人公は、本当に「臆病者」なのだろうか?
たぶん世間はそういうのだろう。けれども、臆病者と言われそれでも生き続ける人たちは、本当に弱い人なのだろうか?
そうではない、とこの映画は言う。
確かに弱いから踏み切れないのかもしれない。優しすぎるから踏み切れないのかもしれない。やさしさは弱さを産むのかもしれない。でも本当にそうだろうか?本当にやさしさは弱さなのだろうか?
否。やさしさがあるから強くなれることだってある。剣の腕に自信がなくても、誰かを思い遣る気持ち、愛しいと想うやさしさは、その人を強く、美しくするのだ。
(うー、すごくクサイことかいてるけど、本当にそう思ったので思ったとおりに書く)
背を向けて逃げることだけを取り出してみれば、それは弱いことかもしれない。
けれど、その弱さを受け入れ、生き続ける力というのは、死に飛び込む勇ましさよりも強いと私は考える。
なぜなら、死に臨む勇気は一瞬で事足りてしまうが、生に臨む勇気は、それよりも永く、持ちつづけてゆかなくてはならないものだから。
この映画のラストシーン、「(自分の弱さを受け入れて、それでも)前をむいて生きてゆこうと決意したひと」が2人でてきます。彼らの笑顔や背中に、腕力ではない「本当の強さ」をはっきりと、みることができるのです。
さて
俳優についてですが、もう古田新太サイコー!いい味だしてます。
岡田准一も、みていくうちにだんだん役になじんでみえてきました。これも是枝マジックか。
最後にひとつ。台詞について。
「桜の花はどうしてあんなに潔く散ることが出来るのか、わかるかい?」
この問いかけへの、劇中での答えがすごく印象に残りました。みなさんはどうしてだとおもいます?
劇中で出された答えは、とても素敵な答えでした。「そっか!そうかもね!」と納得とともに元気をくれる言葉です。ぜひ劇場でお確かめを。
僕も是枝さんが好きです。
桜の台詞、ほんと良かったですね。
そこが自然と人間の違いだったりするんでしょうか。。。