今日 16:30~ UX新潟テレビ21で…
《新潟の偉人》八十里越・会津街道物語 越後と会津とを継ぐ共助の道
維新の動乱期、共助によって苦難の歴史を越えた長岡と会津-
それは2つの道・2人の人物でつながっていた・・・。
『今でしょ!』でおなじみの林修先生がその真実に迫る。
これは… 企画展『八十里越物語展~未来へ継ぐ共助の道~』 とタイアップした番組のようだ。
去年2月、長岡の国営越後丘陵公園へ行ったとき…
旦那の希望で… <河井継之助記念館> に寄った。 その日のブログに、こう書いている。
私にとっては・・今朝、長岡へ行くにあたって調べて知った・・初めて聞く名前。
新潟では? 長岡では? 会津でも? いや、日本で? 有名な幕末の人だそうで。
「西の坂本竜馬・・東の河井継之助」と言われるそうで。
『つぐのすけ』が正しいのだろうけど・・長岡の人は、『つぎのすけ』と呼ぶそうで。
北越戊辰戦争・・ってところで、新発田藩がこの戦争に加わらなかったという話とリンク。
長岡から会津へ・・八十里越えという道もあるそうで・・
傷を負った継之助は、八十里越えで会津へ逃げ・・会津の塩沢で亡くなったそうで。
その途中にある、『人面』とか『葎谷』とかは・・R290で栃尾へ行く途中で見かける地名。
記念館の展示を、じっくり読みながらまわり・・この人のことが、おぼろげに分かったところ。
これからも、興味をもって知っていきたいと思った。
これまで・・新発田藩の溝口家のことや、良寛や・・新潟へ来て、初めて知ったことばかりだけれど・・
長岡藩のことも・・知らないことばかり! 高田藩のことも、全く知らないし。(汗)
そうそう・・司馬遼太郎の 『 峠 』 も、読んでみたいし。
ってことで… 河井継之助や八十里越えが気になっていたし…
会津街道は… 今で言えば、国道49号線。
マピオンにも… (会津から見れば)越後街道、(越後から見れば)若松街道… と表記されている。
でも、当時は… 会津若松から… 三川を通って… 赤谷を通って… 新発田へでる道… が会津街道。
つまり、会津藩と新発田藩を結ぶ道… 新発田の清水園のボランティアガイドさんの説明にも出てきたし…
度々流れていた、この番組の案内を見て… とても楽しみだった。
林先生は… この河井継之助を尊敬しているそうで… また歴史も大好きだそうで…
番組の中での話が興味深かった。
番組自体… なかなか奥の深い内容で… ここで逐一説明などできないので…
ぜひ全国放送してもらいたいし… もう一度見たい… と思うほど。
思ったことのうち… いくつか…
『八重の桜』 を見ればよかったかな… ってこと。
きっと、つながりが出てきていたかも。 あるいは… 戊辰戦争のことをもっと知れたかも。
八十里越えを歩くイベントがあるそうで… 全行程を踏破するのは、なかなか大変らしい。
戊辰戦争で会津藩が敗れたとき… 将来の会津のために、若い武士2人は残したいと越後でかくまってもらった。
そのうちの一人が… 後に、東大総長になった… 山川健次郎で…
かくまったのが… 今、私が住んでいる新潟市北区… 葛塚の… 遠藤七郎という庄屋。
葛塚ってだけでも、びっくりなのに… その遠藤七郎の銅像が、葛塚の開市神社にあるそうで。(ほか開市神社)
テレビに映る神社にびっくり… あの、柱に埋め込まれている時計のある場所!
へえ~~~
鶴岡から山形への < 六十里越街道 > にも… きっと興味深い話があるのだろうなあ。