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Más vale prevenir que lamentar.

都塚古墳説明会

2014年08月18日 | 明日香村を訪ねて

都塚古墳説明会

 

16日に都塚古墳の説明会に行ってきました。西日野発5時47分の始発に乗り、鳥羽行き急行・上本町行き快速急行を乗り継ぎ、大和八木からは普通電車で奈良平野を南下。8時頃に橿原神宮前に到着しました。

 

バス乗り場に行くとすでに列ができていて、全員乗れるのか不安になっていると、臨時バスがきて、ギュウギュウ詰めで約50人を乗せて発車。私も「直通で早く着くから乗りませんか?」と言われたのですが、すいているバスで座って行きたかったので、8時41分初の明日香村周遊「かめバス」に乗車、10人ほどを乗せて発車しました。

 

先頭の席で、甘樫の丘や大和三山の一つの畝傍山など明日香村の景色を堪能しながら説明会場最寄りの停留所の「石舞台」に到着。看板に従って10分ほど歩くと、行列の最後尾に到着、古墳があるところなど全く見えません。

 

ここで自分の認識が甘かったことに気がつきました。係員に話を聞くと、もう人出は千人を超えていて、古墳にたどり着くまでには1時間ほどかかるのではないかとのことでした。そうです。直通の臨時バスに乗るべきだったのです。ああ~自分の行動に悪態をつきながら、仕方なく最後尾に並びました。

 

まさか、こんなことになっているとは・・・・後で聞いた話ですが、前日までに関西のTV各局が「奈良にピラミッド?!」と盛んにニュースを流したために今日は5000人ぐらいくるのではないかとの話・・・・しばらく並んでいると、係員の方が説明に来てくれました。「10時から始める予定だったのですがたくさんの人が早朝から詰めかけたので、40分繰り上げて説明を始めました。あまり立ち止まらないように流れるように見学をしてもらいますので、しばらくお待ちください。結構年齢層が高いので気分が悪くなる方がでてくると思います。そのときは列の前の方の人に伝言で伝えてもらってください。係員が救急車を呼びますので、」 とのこと。

 

「こんなに集まって今日中に全員見れるの?」との質問に、明日香村の職員が、「今日1日で全員に見ていただき、必ず終わらせます。明日は休みたいので」と答えていました。

 

奈良県警が出動し、TV各局や新聞各社が行列の横を次々に通り過ぎていきます。空き地には簡易テントでの売店が登場、上空ではヘリコプターが旋回しています。しばらくすると、少しずつ列が動き始めました。古墳は高台にあります。真っ先に降りてきた方が、私の前にいる方の知り合いらしく、「何時からならんでたんですか?」と聞くと「6時40分」!!いや~やはり気合が違います。しかし説明が始まるまで2時間半ほど待ったわけです。私の前の方も「それやったら俺たちの方が所要時間は少ないよな~」

 

年配のご夫婦が目につきましたが、親子連れも多く、いろんな会話が耳に入ってきます。おかげでけっこう楽しめ、前日の「曇り」の予想が外れ炎天下の中ではありましたが、飽きることなく、待つこと約40分、10時頃にパンフレット配布のテントに到着しました。

 

パンフレットを貰い、学芸員の説明を聞きながら順次見学、石の並びがあまりに乱雑で形もバラバラだったので、係員の方に質問すると、時代とともに雨風に侵食されてこうなったわけではない」とのこと、さらに「6世紀後半は前方後円墳のような大型古墳の時代が終わり、少々時間が経ってしまっている。技術の伝承がうまくいかなかったのではないか」との説明でした。それにしても有力者の墓、権力を誇示するためだったらもう少し丁寧に作ったら・・・と思いましたが、もしかしたら、遠くから見せるためで、近くには近寄れなかったのかも?

 

石室のところにくると、朝日新聞の記者が撮影中、少々待つと、いよいよ私の番、1人10秒ほどしか見れません。1.5メートル程の距離です。もちろん触れることはできませんでしたが、やはり近くで見るとすごい質感!!「どこの石なんですか?」と聞くと「二上山の凝灰岩」との答え、石棺の大きさは約2.2メートル×1.5メートルで高さ約1メートル。凝灰岩の密度を1.5とすると重量は4トン近くにもなります。蓋も2トンぐらいはある計算。二上山は大阪府との境にあります。距離は直線でも15キロを越えます。まともな道路さえない時代、「いったいどうやって運んだんでしょう?」と質問すると「さあね~~」

 

続いて、墳丘のほうへ、な、なんとキウイがたわわに実っています。そういえばさっきも古墳の裾部にあるビニールハウスの中には農機具がありました。ここは個人の所有地なのです。桜井や橿原などこの地方にはそこらじゅうに古墳や遺跡があります。前方後円墳が段々畑になっていたり、古墳の裾部が民家の庭になっていて洗濯物が干してあったりするのです。

 

約30分ほどで見学を終えました。道の脇ではマスコミの方がパソコンを使って映像や記事を送信したり、アナウンサーが見学者に質問をしたりする風景がみられます。地元の方たちは農道が人で埋まり、車での移動もままならない感じで、顔をしかめて通っていきます。私もその情景を少し高台に登って写真に撮りました。

 

石舞台の停留所に向かって坂道を降りていくと、行列の長さは倍ほどになっていました。もう10時半を少し回っています。最後尾の方が古墳にたどり着くのはたぶんお昼頃、わたしより見通しの悪い方もたくさんおられたわけで、これでは古墳にたどり着くまでにあきらめる方も相当数おられるのではないかと思いました。とても小さい子ども連れや高齢者の方々では厳しい感じがしました。毎日新聞の記事では4100人の来場者とのことでしたが、もっと多くの方がこの地を訪れたのではないでしょうか。

 

時間が少々あったので、3回目になる石舞台も見学して帰路につきました。臨時の直通バスで橿原神宮前駅へ、あべの橋行きの電車の乗って叔母宅へ向かいました。

 

<都塚古墳>現地説明会に4100人 古代ロマンに浸る

毎日新聞 8月16日(土)20時5分配信

 特異なピラミッド形の方墳と判明した都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半ごろ、奈良県明日香村)の現地説明会が16日開かれ、考古学ファンら約4100人が古代ロマンに浸った。

【誰が何のために? 都塚古墳を熱心に見学する人達】

 基壇の上に4段以上の段状墳丘が築かれ、一辺約40メートルと大王(天皇)陵に匹敵する大型方墳。石室の中には巨大な家形石棺があることで知られ、蘇我馬子の父・稲目の墓という説もある。

 有名な石舞台古墳近くにありながら、これまで注目されなかった都塚古墳。埋葬から約1400年ぶりの世間の関心に、謎の被葬者もとても感激している?【矢追健介】

 

 

古代のピラミッドにファンら列 奈良、都塚古墳で説明会  (共同通信ヘリ画像)

https://www.youtube.com/watch?v=-qvyagYZ_aM


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