たまごの晩餐Ver.3

たまごの徒然なる日記です。3回目の引っ越しをしました。

障がい者の母を持ち・・・

2016-10-07 20:55:47 | Weblog

最近、母が某スーパーマーケット(というかディスカウントというか、24時間なんでもそろうお店)にパートに出始めた。

身体障がい者枠での雇用だった。

母は生まれつき弱視であまりよく見えない。

と言っても、あまりにも普通に生活をしているので、幼い時は特に意識していなかった。

大学生くらいの時に突然「お母さん、身体障がい者手帳、もらったよ」と言われひどく驚いたのを覚えている。

普段から、慣れていることは難なくこなす母であるが、さすがに外でのパート、しかも初めてのこととなると苦労が多い。

まず細かいものはあまり見えないし、見るのに時間がかかるのであまり手早くはできない。

と言っても、慣れるまでの話であるが。

パート先でもできることとできないことははっきり伝え、野菜コーナーの裏方で野菜をカットする仕事に従事することになったらしい。

働き始めたばっかりなので多分スピードは遅いのだろうが、優しい野菜コーナー担当の若者社員さんと個性的なパートの他のおばちゃんたちと何とか続けていた。

10月に入って、どこかからもう一人おじさん社員さんがやってきたらしい。

おじさん社員さんはわが母に数々のひどい仕打ちをしてくれた。

「このおばさん使えん」みたいなニュアンスのことをかなり言ってきたみたいだ。

しまいには、他のパートのおばちゃんに見張りをさせていたらしい。

思うに、そのおじさんも見張りをしていたに違いない。

母はおじさんの顔をみると体が動かなくなってくるほどの症状が出て、急きょパートを辞めることになった。

 

相模原の事件はこの夏の話だ。

「優生思想」がどうのこうの、なんて話はニュースの特集なんかでよく見かける。

そんな時勢もあってなのか、県の障がい者ナントカ課に相談に行ったとところ、すぐに対応してくれたそうだ。

おそらく某スーパーマーケットには公的介入がなされるであろう。

私自身はほぼ普通に暮らしてきた母に育てられ、従妹も一部体が不自由であったがやっぱり普通に接しており、そういう見方をする人の思考は全く理解できない。

仕事がら他人の思考のプロセスを紐解くことはよくするのだか、今後も理解できることはない。

唯一、救われたエピソードがあった。

仕事を紹介してくれたハローワークの担当の方に報告に行くと、「そんなところ辞めていい!」と言って一緒に泣いてくれたそうだ。

ああ、早く大分に帰って、孫育てをしてもらわねば、と深く思った夜であった。

たまご

まずは相手を探すところからですが・・・(涙)

 

 

 

 

 


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