竹島研究室

竹島問題を研究する。

韓国側の動向(8/10):[独島海中爆弾..「60年痛み」 そのまま]

2008-08-11 01:38:28 | 韓国側の動向
●[独島海中爆弾..「60年痛み」 そのまま]
 1948年・1952年米軍爆撃推定爆弾発見
 「米軍の独島爆撃、日本が誘導」 主張も

 「独島爆撃事件をご存じですか?」独島の前の海で 60年前、原形そのままの姿をおさめた砲弾が最近聯合ニュース写真部水中取材チームカメラに相次いで撮影され、「領有権」問題と結び付けられ漁民数十人の命を奪いとった独島の悲しい歴史が今更ながら注目を引いている。

 独島領有権主張を入れた日本中学教科解説書の発刊で全国が独島の話で沸き立っているが、実は今も 60年前独島が爆撃されたという事実を記憶する人は多くない。

 聯合ニュースは先月独島の東島船着場の扇岩裏手(24日)と東島~西島の間の燭台岩周辺の海(25日) の下で 1948年 6月米軍の独島爆撃当時使われた重さ450㎏の AN-M-65 不発弾と推定される 2個の爆弾をカメラにおさめた。

 去年 8月にも西島地下で長さ 40cm、直径 20cm 規模の爆弾が発見されたことがある。しかし破片ではない完全な形態の爆弾が発見されることはありがちなことではないということが専門家たちの意見だ。

 独島地下と海中で眠っているこの爆弾はたいてい 1948年 6月8日独島上空であった米軍空軍部隊爆撃の跡をいきいきと証明している。

 その日東島と西島周辺の海で平和に操業中だった韓国漁民たちは米軍に爆撃されて最小 10人余り、最大数百人死んだと伝わっている。

 彼らは主に鬱陵島と江原道から船に乗ってきて独島水域で漁業とわかめ採取に夢中になっている途中、理由も分からないまま、米軍飛行機から投下された爆弾と機関銃射撃で犠牲になったのだ。

 当時米軍と韓国警察は爆撃で漁民 14人が死んで漁船 11隻が沈んだと発表した。

 しかし1948年月刊「新天地」7月号にはこの爆撃事件の死亡者が 16人(重傷 3人、沈沒船舶 23隻)と報道され、 1952年鬱陵島・独島学術調査団は死亡者を 30人と集計した。

 特に「青い鬱陵独島飾る会」と韓国外国語大独島問題研究会は 1995年生存者 3人の証言を総合して 150~320人の死亡者が発生したと推算したりした。

 罪のない漁民たちの命を奪いとられた独島爆撃に対して米軍側は「B29 爆撃機が高度爆撃演習をしている際に漁船を岩と間違って分かって演習弾を投下したことが判明した」と解き明かした。

 しかし生存者たちは「太極旗と手を振るとか海へ跳びこんで逃げるても爆撃が続いた」と証言した。

 1952年 9月には人命被害はなかったが鬱陵島・独島学術調査団 36人の独島訪問の頃にも数回米軍機が独島周辺を爆撃する事件が再発した。

 これは 1947年 9月連合国最高司令部命令である SCAPIN 第1778号によって独島が米軍の爆撃演習地に指定されたことによるのだ。

 しかし問題は米軍が日本にだけ爆撃演習計画を前もって知らせて独島を生活基盤にした韓国漁民たちには知らせなかったという点だったということが独島問題専門家である東北アジア歴史財団ホン・ソングン(洪聖根)研究委員の説明だ。

 独島が米軍の爆撃演習地に指定されたことは独島領有権を確保するための日本の介入のためだったという主張もある。

 1952年 7月日米合同委員会で独島を駐日米軍の空軍訓練区域として指定することに合意してから翌年 3月独島を訓練区域から除いたという事実が日本介入説の根拠となっている。

 日米合同委員会協議対象が「日本国内施設または区域」だったので、日本が独島を米軍の訓練区域として提供してから解除される時、返してもらう形で領有権の根拠を用意しようと思ったという解釈だ。

 ホン委員は「日本は今も日米合同委員会で独島を射撃演習場指定から除いた点を領有権主張の力強い根拠として使っている」とし「情況上米軍が独島を爆撃場として使うように日本が誘導したとみられる」と指摘した。

 1952年 2次独島爆撃がよりによって鬱陵島・独島学術調査団の独島訪問日に合わせて進行したという点も釈然としないことだ。

 ホン委員は「偶然だと見るには通り過ぎるように出港日付と時間をよく合わせたことだという疑心が起こる」と皮肉った。

 1948年独島爆撃に参加した前職米空軍将校Jon Gibsonの「作戦地域に船舶があったがその船舶は麻薬輸送船だったし、島を隠れ場所として使っているという話を後で聞いた」という証言内容も日本介入説を裏付ける。

 日本が米軍の爆撃演習場指定を通じて独島領有権を主張しようと「独島に麻薬運搬船がある」という誤った情報を提供した可能性を推論することができるのだ。

 麻薬関連証言はアメリカ人教師Mark Lovmoによる「1948年 6月 8日独島爆撃事件に対する深層的研究」という題目の論文で紹介されている。

 しかし当時の爆撃で死んだ被害者遺族と生存者たちは「豚一匹の値段」の賠償金だけ受けとって胸の中に事件を埋めてしまったうえにこれ以上の生存者もなくて真実糾明が易しくない状況だ。

 「青い鬱陵独島飾る会」イ・イェギュン前会長は「生存者に会って賠償がまともにならない理由を聞いて見たら「どうしてそんなことを今分かろうとするのか」と言葉を憚った。米軍政時代だったのであらゆる圧力を受けたようだ」と言って切なさを示した。

jihopark@yna.co.kr
hysup@yna.co.kr
(独島ソウル=聯合ニュース) パク・ジホ イム・ヒョンソプ記者
2008.08.10 09:01:29 入力

http://news.mk.co.kr/newsRead.php?sc=30000022&cm=%EC%82%AC%ED%9A%8C%20%EC%A3%BC%EC%9A%94%EA%B8%B0%EC%82%AC&year=2008&no=494945&selFlag=&relatedcode=&wonNo=&sID=300

http://article.joins.com/article/article.asp?ctg=12&Total_ID=3254436<写真>



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