草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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能力の分岐点

2008年05月04日 21時58分25秒 | 
 6年生の時点で, 割合を理解できない子がたくさんいる。「割合がわかる」という子もたとえば「100円の20%は何円?」というベタな問いに答えられる程度をもって「割合がわかる」という子がかなりいる。いままでは中学受験とは一切無関係であった子たちが, 公立中高一貫校をめざすようになった。そしてそうした子の多くがこのレベルで喘いでいるのが現実だと思う。竹の会では割合を真にマスターさせるためにその指導にこだわってきた。そして多くの悩める小学生を救ってきたと思う。が私のひととおりの指導を受けてもそれでもなお理解できないという子もいたわけである。
 東大附属の割合がらみの問題は実は基本的なものである。が私立でも公立でも「落ちる」子はこの程度の問題で白紙答案を出す。試しに今年小6になったばかりの2人に解かせてみるといとも簡単に解いてしまった。ところが入試も押しつまったある時期にこの過去問を解かせた小6たちの中には私が実力十分と見越していた子でさえも失敗している。そしてこのレベルの問題に失敗する子は本番でもやはり失敗する。その意味で合格を占う問題といえる。
 それは次のような問題である。
「車Aは1リットルあたり17.0km, 車Bは31.0km進む。また, 車Aは1km進むごとに排出される二酸化炭素の量は, 136.0g, 車Bは74.9gである。車Aと車Bのエンジンはちがうものである。
 (1) 263.5km離れたところに行くのに, 車Aと車Bとでは必要となるガソリンの差は何リットルになるか。
(2) 80キロメートル走るときの車Aと車Bの排出する二酸化炭素の量を求めなさい。

 式を書き答えの単位はキログラムとし, 小数第2位を四捨五入して小数第1位まで求めなさい。」

 東大附属平成19年の問題である。
 1あたりをクリアしていない子はこの程度の問題も白紙であった。そして慶応レベルの問題を解いたこともある子でも誤答したりする。単なるミスでは片付けられない何かを物語っている。途端にフリーズするのはなぜか。問題性はすでに受験前にあった。

 本番に弱い。これは長い間受験指導をしてきて幾度となく経験してきたことである。プレッシャーに弱いというのは, 一流のプロでも言われることだから増してや凡人をやである。テニスの錦織選手は「勝ちたい」と思ったときから勝てなくなったらしい。ゴルフでもこの1打で優勝というときのパットはプレッシャーに負けることが多い。見事プレッシャーをはねのければ奇跡の勝利ということになる。試験直前の2か月は心に魔物が棲む。「受かりたい」と思ったときから, それは強迫観念となり, 心を縛る。無心を阻む。佐伯泰英の「密命」で強力な敵と対した主人公が「雑念を捨てよ。奇嶽(敵キャラ)の凶刃に斃(たお)されるぞ」と考える。そこで主人公の金杉は何も思わないのではなく, 1つのことを想い描く。目を閉じて「円月を描く」。そのことをのみに心を集中させる。勝つという意識を消し去り, 澄み渡った円月を想い浮かべる。しかし高揚つまりは心のたかまりから円月は映らない。強敵に対したときの心の有り様が実によく描かれている。
 明鏡止水という言葉がある。汚職事件の政治家が自分の境地を語るのによく誤用する四字熟語である。孔子はいう。「あらゆる事物は, たとえば生と死でさえも, 根元においてはひとつなのだ。この真理を体得した王駘(おうたい)にとっては,  足一本失うのも, 土くれを捨てるのもなんの変わりもない。かれの心境はいわば静止した水のようなものだ。流れる水は鏡にならぬが, 静止した水はいっさいの姿を映しだすことができる」と。一切の運命を受け入れる悟りの境地に達し, 他人の迷いを映し出す鏡のような存在になった人間を, 「明鏡止水」にたとえたものである(岩波ジュニア新書「四字熟語」より)。
 剣の道から悟りの道へ。高僧の悟り。「悟り」とは人間の究極の心のありようなのであろうか。それにしても凡人に悟りをまで求めるのは無理な話である。世の中には悟りとは程遠い方ばかりだ。
 「呪」という言葉は, 心が縛られるのをよく表したことばである。オウム事件では多くの信者がいわゆるマインドコントロールされた。強迫観念とはちがう心の一面であるが, 心が縛られるという意味では同じだろう。人はこの呪から逃れることができない。そのために苦しみもがく。いずれも強大な敵に対したときの人間の心のありようだ。逃げる, 回避するというのは賢明な選択かもしれない。不登校というのは心の崩壊を回避する止むを得ない選択ともいえる。当面の強大な敵とどう対するか。入試でつぶれる子どももいる。耐えきれなくて押しつぶされるこどももいる。明鏡止水というわけにはなかなかいかない。凡人の私はさてどうしたものか。
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