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サイカチは刃褐(さいかち)ーサイカチの語源について

2007年09月17日 10時36分41秒 | いろんな疑問について考える
サイカチは刃褐(さいかち)
-サイカチの語源について-

 『動物のフォークロア-「遠野物語」と動物』(遠野物語研究所 2002年)という本を読んでいて、いくつか興味深い記述に出会った。
 そのなかのひとつが、「サイというのは刃物です。」(第2講 日本人の動物観-その構図と民俗 野本寛一)というくだりだった。では「カチ」とは何か。『岩波古語辞典』を引いたら「濃い紺色」とあった。サイカチは「濃い紺色をした刃物」。この数年抱いていた疑問が一気に氷解した瞬間だった。
 サイカチの木は当地ではあまり多くはないが、筆者の行動圏では存在感のある木が2本ある。6月ごろ咲く花は、細かく、うす黄色の目立たない花だが、秋になると20~30センチもある大きな莢ができて、熟すと青黒い褐色になり、それがゆがんで波打つ姿はかなり目立つ。
 従来、サイカチの語源については、たとえば『原色牧野植物大図鑑』(北隆館)では「和名は古名西海子(さいかいし)の転化」としてある。『山渓ハンディ図鑑4 樹に咲く花 離弁花2』では、「名前の由来」として「漢薬名の皀角子、または古名の西海子がなまったもの」となっていて、これらは『大言海』から引いているらしい。その『大言海』では「さいかくし―さいかいし―さいかち」と転化したと説明している。
 たいていの本は『大言海』の説を引いて、それで済ませている。『語源辞典 植物編』(吉田金彦 東京堂出版 2001年)では、
『大言海』には「皀角子(サウカクシ)、サイカイシ、サイカチと転じたる語」として皀は黒、角は莢(さや)、子(し)は実だと解しているが、角子(かくし)→カチの変化に無理がある。
として、異を唱え、代わりに
若葉が食用になることを考えると、備荒食品として考える余地がある。若葉を野菜(さい)として救荒食の糧(かて)とし糅飯(かてめし)などに使ったことから、サイカチ(皀莢)はサイカテ(菜糧)の変ではなかろうか
との説を提出している。
 一理あるが、サイ―カチのままで単純明快な説明が成り立つと思うと、もはや吉田説もこじつけのように見える。
 サイカチの語源は、「熟すと『紫褐色になる刃の形をした実』のなる木」でいいのではないか。

②「サイ」とは何か
 まず、「さい」を『日本国語大辞典』で引いてみると、「①刀や小刀の類。けずったりそいだりするために用いる小刀。剣。→鋤持神(さいもちのかみ)(以下略)②鋤(すき)の類。播磨風土記-揖保「佐比(さひ)岡、佐比と名づくる所以(ゆゑ)は、(~略~)佐比(サヒ)を作りて祭りし処を、即ち佐比岡と号(なづ)く」。
だいぶ省略したが、「鋤持神」というのは『日本書紀』にでてくる神で、『古事記』では「佐比持の神」といい、これは鮫のことで、刃物を持った神、つまり鮫の殺傷力を象徴していると思われると、さきの『動物のフォークロア-「遠野物語」と動物』で野本氏は述べている。
 「サイ」が刃物だというのは初めて知った。ではなぜ刃物のことを「サイ」というのか。その語源については『日本国語大辞典』でも、いくつか説があって、はっきりしていない。そこまでは見当がつかないが、「サイ」が刃物である理由は「鞘」という言葉からさかのぼって考えられる。
 なぜ刃物の入れ物を「サヤ」というのか。それは「サイの屋」だから、と考えられる。「サイ―ヤ」がつまって「サヤ」。これについても、『日本国語大辞典』の「さや」のところには複数の語源説が紹介されており、①サヤ(狭屋)②サヤ(小屋)またはサヤ(障刃)③サヤ(刃室)④サヒヤ(鋤屋)、その他にもいくつか説をあげている。
 押したいのは、④サヒヤ(鋤屋)である。刃がさきにある、すでにある、それでは物騒だからサイの屋が必要になる。それがサヤになった。
 では、なぜ「屋」なのか。「屋」は「屋根」の「や」。「や」には重なるという意味がある。両方からあるいは四方から寄ってきて重なる。寄って重なったものが「屋」となって、中に大事なものが納まる。これは豆類の莢に通じる。両方から合わさって、中に豆を納める。だから莢と鞘は共通している。
 「や」についてもう少し考えてみると、「谷」を「や」という。これもあるいは同じではないか。山の尾根と尾根が寄ってきて、合わさるところに谷が出来る。やち、やつ、やとの「や」である。『常陸国風土記』の「夜刀の神」の住むところ。「夜刀」は「谷戸」、『風土記』(平凡社ライブラリー 吉野裕訳 2005年)の「常陸国風土記」の注に「夜刀は谷戸。現在関東東北方言にいうヤチ・ヤツで、谷間の入口の低湿地帯をいう」とある。最近、見直されている里山の谷津田もこれで、かならず中を小川が流れている。
ついでに言えば、小川のこの水の流れが「谷戸」の「戸」ではないだろうか。「谷間の入口」としているのは「と」とは川門(かわと)、水門(みと・みなと)など、川の入口、河口を意味するからだろうが、ほかに、水が流れている所をも意味すると、これも『日本国語大辞典』にある。瀬戸の「戸」である。
 以上、刃物を意味する「サイ」を「鞘」から逆にたどることで、「サイ」が刃物であることを確かめてみた。

③「カチ」とは何か
 「かち」はたとえば『岩波古語辞典』をひくと、「「褐」濃い紺色。近世では墨で下染した上へ藍をかけて染める。転じて「かちん」とも。」と説明している。また『日本国語大辞典』では、「濃い、藍(あい)色。藍色の、黒く見えるほど濃いもの。濃紺色」であり、ほぼ同じ色合いを説明している。さらに『色の日本史』(淡交社 長崎盛輝 昭和51年)から引用すると、

「褐」 紺を更に濃くした藍染の色をいい、後世では勝色、かちん色と呼んでいる。「かち」は藍を濃く染めるために被染物を搗(か)つ(つくこと)からきた名称であり、「褐」は借字である。この色に「褐」をあてたことについて、江戸時代の『貞丈雑記』に「かちん色といふは黒き色をいふ。古異国より褐布といふもの渡りけり。其色黒きが故に黒色をかち色ともかつ色ともいふ」とあるが、褐はもともと粗い黒ずんだ茶色の毛布のことであるから、藍色に関係のないものである。「搗つ」と同音のために借りたものである。褐色というのはその織物の色からきた茶色を指す。
 
として、何度もついて、濃くした藍染の色だという。色見本帳を見ると、実際、濃紺色というか青黒い色で、これがサイカチの実の色に近い。
 サイカチの実、つまり莢は紫がかった黒褐色で、中の種はこれも紫みをおびた褐色をしている。だからサイカチとは「かち」色をした刃物に似た莢をならせる木、となる。
 こんなに単純で、しかも実物をそのまま表現している語源でいいのだろうか。あるいは、なにかとんでもない間違いをしていないだろうか。かえって不安になるくらいだ。
 「さいかくし―さいかいし―さいかち」と転化したという、これまでの語源説は、「さい―かち」のもとの意味がすでに忘れられて、のちに入ってきた中国産のシナノサイカチの実からとる漢方薬である角刺(そうかくし)または角子に音の近いのを幸いに、由来のよりどころとしたのではないか。元の意味が忘れられたために、中国名に付会された語源説。サイカチはサイカチのままでじつはよかったのではないか。なお引用した本のとおりに使っているが、と皀は別字という。サイカチに用いるのは正しくはのほうらしい。

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