この日記は、震災後に書き綴った日記です。
この未曾有の大地震と大津波を体験し、日々のボランティア活動で人生観が変わったそうです。
★ 4月27日 [ゆりあげ小学校にて写真や流出物の整理]
今日のユリアゲ小学校には、競輪選手関係13人集合!功さん、貴光さん、雅春、加美山、長田、大泉さん、和宏、かをりちゃん、植村さん、寺林、恵一、道佳さん皆ありがとう!かなり作業進みました!感謝!
そしてキセキも。。。
嫁さんの親友がユリアゲで子供とともに流されて亡くなりました。
今日作業中にふと手に持った一枚。まさに嫁さんの親友のものでした。結婚式のときに撮ったウエデイングドレスを着た写真。。とてもきれいな写真でした。おもわず泣きそうでした。何万枚もあるなかでの発見。
きっとユリアゲ小学校に来て写真見つけれた人の気持ちって、今日味わった気持ちなんだろうと思ったら、さらにやる気がでました。。選手のキビキビとした働きぶりにも感動。。。選手いいぞ!すばらしい。
そして名取市役所から来ていただいている方は、なんと亡くなった親友の旦那さんの同僚。。一緒に確認して間違いなく親友の写真と確認。同僚なので
夕方に市役所に帰ってすぐに渡してくれました。旦那さんもすぐに電話くれました。旦那さんはよく、テレビで取り上げられている名取の市役所職員で、震災の
後、息子、嫁さんが見つからない中でも日々復興に向けて働き、仕事が終わったら息子と嫁さん探しと、日々走り続けています。もちろん今も。
残念ながら息子も嫁さんも遺体で発見されたのですが、今日いまも、しっかり名取市役所で復興の仕事。。そりゃあ悲しいに決まってる。。でも前だけ向いて走ってます。俺もがんばる!
★5月4日の日記 [今の気持ち]
先週は一週間、午前練習、午後ゆりあげ小学校、夜練習の毎日でした。
俺自身の中では最近 、「やれることをしよう」って言葉は正直好きではありません。あくまで俺だけ限定でね。
自衛隊の人が言っていた。「いま無理しないでいつ無理すんだ」って言葉に共感して、最初は自分も「やれることをしよう」って、思っていましたが、
「今は無理してでもやるときだ!」って思っています。なにも「やれることをしよう」って思っている人も素晴らしいんです!ですが、俺の場合は、自由業で時
間もあるし、(2ヶ月レースなし笑)自衛隊の人と、同じぐらい体力もあるから、無理できるし動ける。。。復興するまでは、俺は無理する!!
実際震災の後のほうが練習量は増えたしね。練習の苦しみなんて、今回の被災者たちの苦しみに比べたら、全然苦しくないですしね。
でも選手っていい男ばっかだ。。。ちょっとメールすれば、30人以上の選手きてくれたし。感謝感謝。選手ありがとう!がんばっぺ!
★6月4日 [なぜいまになったのか?]
6/12日に、ついに支部でのボランティア活動が開始します。なぜ三ヶ月も過ぎてしまったのか、考えさせられます。。 福島さんたちはいち早く選手会で復興活動開始しているというのに。。。正直イラダチが。。。。。。今は緊急事態なんですよ。。。。。
12日は閖上小学校の津波がきた一階を綺麗にしたいです!明日から校長先生や教頭先生などと会い打ち合わせして、備品準備、ボランティアセンターに登録して8日からレースだから7日までに終わらせて、11日にレース終わってすぐ閖上小学校!やるぜ!!
★6月12日 「小学校の掃除!」
ただいまー!いま終了して帰宅しました。、3月11日からほぼ手付かずの閖上小学校の1階を選手40人でがっちり清掃してきました。半分できれば100点と思っていましたが、なんと、ほぼ全部終了。
相当量のヘドロと物。ぜーんぶ外に運び出して高圧洗浄機で洗い、モップでこすり、雑巾がけして、仲間は今回も真剣に活動してくれました。
正直感動するほどの、仲間の動きでした。先輩、同級生、後輩。本当にありがとうございました。最高だ!みんな!
★5月17日 [石巻にて選手とガレキ撤去]
今日は朝7時から、石巻に出発!なんと選手22人集合!
まず着いて、工場の清掃、運ぶ作業チームと一般の家チームの2グループにわけて活動。
若手10人は工場、ミドルチームは家!自分は若手と工場へ、工場はハンバーグ工場で魚の死骸がいっぱいで匂いがすごかったです。ですが、若手のバリバリな動きで、たくさんの重い荷物の移動も2時間かからないで終了!若手すごいぜ!
すぐに、一般の家チームと合流。弁当食べてすぐ、海のすぐ近くのガレージの中の大きな荷物運び出しグループ5人と家の片付け17人チームに分かれ作業開始!
家は諸事情で3月11日から今日まで手付かずの家で、どっぷり津波に1階が漬かった家なので相当量のヘドロでした、荷物を22人でひたすら、運び出し使えるものと使えないものに分けて運び出し。高圧洗浄機で、物、家を洗浄!1階のものはほぼ運び出して終了でした!
自分はガレージ担当!ガレージは海が目の前で、相当の被害で中もぐちゃぐちゃ。。でもパワーに物を言わせて終了!すぐに家に戻り活動!そしてすべての作業が終わり終了!
そして家の持ち主が、ご飯をご馳走したいとの申しいれがあり、相当遠慮しましたが、もう準備しているとのことで、断りきれず。ご飯をごちそうになりました。お寿司!相当おいしかったです。みんな喜んで食べていました。ご馳走様でした!!
家には5時ころ到着。スコップ&手袋、長靴洗浄してさっき7時頃すべて終了!
選手22人の動きは相当テキパキ&パワフルで被災者の方々に喜んでもらえました。みんな真剣でした!一人手に怪我をしてしまいましたが、おおきな怪我もなく終了できました。
本当に感謝です!今日の作業は終わったけど、石巻はまだまだやることがあります。行ってわかります!まだまだやんぞ!!!
明後日から青森だし、明日は役員の仕事&マッサージで調整してがんばる!疲れてはいるが、気力だな。どうにでもなる!
また少しですが復興に近づいたかな。
本当に選手。。最高だ!ありがとう!
★最後に。
まず震災後、人生観が変わりました。生きていられることへの感謝。そして人に優しくできるようになったと思ってます。
母が以前言っていたことがあります。
「人は、一度でも死を意識しなくてはならない病気や状態を経験した人は、人にやさしくなれる」
自分も津波で大勢の犠牲者が出た場所によく釣りに行ってました。釣りに行っていたら、もしかしたら生きていなかったのかもしれません。
嫁さんの親友は子供とともに津波で流されました。よく家にも遊びに来ていました。本当に悲しかったです。自分たちにできる事はなんなのか?と 震災直後から、復興に向けて、考え走り続けていました。
しかし、支部単位での活動については色々障害があり。。。。。震災後から3 ヶ月以上経ち、支部での活動は6月12日になってしまいました。
なぜそんなに遅くなってしまったのかと、今でも思います。
人は生きていれば何でもできると思い ます。
だから今回のような未曾有の緊急状態のときは、通常の時の決まりや形式にとらわれない、即行動!というのが大事だと思いました。あれこれ考える前に実行に移す!。
それが、緊急事態のときに大事なのではと。。。。。
震災直後は、
「今は無理をするとき!いま無理しないでいつ無理すんだ?」と自分に言い聞かせて、沿岸部へ行っていました。
仲間の選手は、支部の活動ではない、自分の個人的な活動に賛同してくれて3月、4月、5月と何度も集まってくれて、そしてものすごい真 剣にがんばってくれました。
本当に仲間、選手に感謝です。
真剣に必死にガレキなど運ぶ姿に感動すらしました。まだ まだ、やらなくてはいけないことがあります。みんな一丸となって、復興に向か い続けます。
最後に全国の競輪選手、競輪関係者様の温かい支援感謝してます。
皆さんから頂いた気持ちのこもった支援金を無駄にすることなく、復興に役立てていきたいです。
ありがとうございました!
宮城支部 勇敢な選手