すそ洗い 

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2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

「クリーブランド監禁事件」アリエル・カストロ

2019年11月15日 | 社会


2013年5月6日、クリーブランド市シーモア通り2207番地の家から助けを求めて叫ぶ女性の声に近所の住民が気づいた。若い女性が家から脱出しようともがいていたため、住民がドアを蹴破って助け出したところ、女性と幼女が出てきた。
女性は隣家から警察に電話し、16歳だった2003年4月21日の仕事帰りにヒスパニック系の男に誘拐され、監禁されていたと語り、他にも被害者がいると通報。警察が駆けつけ、52歳の男を逮捕した
同家から救出された他の2名の被害者も、長年行方不明になっていた女性とわかった。ひとりは、21歳の2002年8月23日に、もうひとりは14歳の2004年4月2日に同じ犯人によって誘拐され監禁されていた。
容疑者宅は、被害者たちの自宅から約5kmの位置にあり、行方不明時には容疑者自身が捜索のボランティアもしていた。



見つかった女性らの名前は、
アマンサ・ベリー(27)、
ジーナ・デジジャス(23)、
ミシェル・ナイト(32)。
彼女らをはじめて発見した隣人のチャールズ・ラムジー氏は、「一人の女性が、割れたドアの隙間から手を差し伸べ、悲鳴を上げながら、出てこようと、狂ったように振舞っているのを目にし、近づいてみたところ、泣きながら警察につれててほしいといわれた」と話した。ラムジー氏が門を開けると、この女性は、一人の小さい少女をつれて出てきては、その足で、隣の住宅に行って、911に電話をかけた。この女性がベリー氏だった。


警察が公開した録音ファイルには、彼女が極端に興奮した声で、「私はアマンサ・ベリーです。私は連れ去られ、10年間閉じ込められていました。今、抜け出したが、拉致犯が戻ってくる前に、早く助けてください。その家にはほかの女性もいます」と叫ぶ声が入っている。


ロイター通信は、ベリー氏が、「10年間ニュースに出てきた人だ」と明らかにし、監禁されている間、自分の失踪をメディアが大きく扱っていたことを知っていたものと見られると伝えた。通報を受けて駆けつけてきた警察は、ベリー氏が脱出した家で、デジジャスとナイト氏も見つけた。彼女らが監禁されていた住宅は、行方不明となった場所からわずか数マイルしか離れておらず、衝撃を与えている。


警察は、3人の女性を拉致監禁した容疑で、ヒスパニック系のアリエル・カストロ容疑者(52)や兄弟関係の50、54歳の男、3人をその場で逮捕した。カストロ容疑者の叔父は、彼が公立学校のバス運転手だったと話した。隣人らは、カストロ容疑者は隣人ともまったく変なところがないまま、付き合ってきたし、ギターもうまく弾く平凡な隣人だったと証言した。警察は、これらの兄弟らが、女性らを拉致した動機などについて取り調べている。


ベリー氏は、17歳の誕生日を翌日に控えていた03年4月21日、ファーストフード店のバーガーキングでの仕事を終え、帰宅していたところ行方不明となった。デジジャス氏は、14歳の04年4月2日、学校から帰る途中、いなくなった。ナイト氏は、21歳の02年8月23日、おいの自宅で最後に目撃されたあと、姿を見せなくなった。


幼いときに行く目不明となったベリーとデジジャス氏の物語は、これまで多く報道され、彼女らを探そうとする努力が続けられてきた。今年1月は、ある刑務所の囚人が、行方不明となったベリー氏の遺体について、うその埋葬情報を提供した容疑で、4年6ヶ月を言い渡されたこともある。


ナイト氏の行方不明は、メディアでは大きく取り扱わなかったという。警察は、彼女が家出した可能性に重みを置いていたからだ。彼女らの家族らはいままで、娘を探してさまよい、ベリー氏の母親は、娘がいなくなった衝撃で、06年、47歳で死亡した。


現在、3人の女性は、病院で健康診断を受けており、健康には大きな支障がないという。警察は、ベリー氏が連れて出てきた6歳の女の子が、誰の娘かは明らかにしていない。被害女性の一人が監禁された期間に出産したという見方も出てきており、衝撃を与えている。



【2013年11月6日 AFP】
オハイオ州クリーブランドにあった「恐怖の家」では裸のまま鎖につながれていた──アリエル・カストロ(Ariel Castro)元受刑者の自宅で11年間にわたって監禁されていたミシェル・ナイト(Michelle Knight)さんがインタビューに応じ、涙がこぼれ落ちるのをこらえながら語った。
 カストロ元受刑者によって監禁され、繰り返し性的暴行を受けていた被害者のインタビューが公開されたのは、2013年5月6日に3人が解放・保護されて以来、初めてとなる。
ナイトさんは2002年、20歳のときに路上で元受刑者に誘拐された。それから約1年後に当時16歳のアマンダ・ベリー(Amanda Berry)さん、2004年に当時14歳のジョージーナ・デヘスース(Georgina DeJesus)さんが誘拐・監禁された。
 被害者として唯一、カストロ元受刑者の裁判で証言したナイトさんは、3人の中で最もひどい虐待を受けていたことが伝えられている。裁判所の文書では、妊娠5か月だったナイトさんが流産するよう、カストロ元受刑者が暴力を振るい、絶食を強いた様子が明らかにされている。
 ナイトさんがインタビューで語ったところによると、最初に妊娠した際、ナイトさんはカストロ元受刑囚から腹部にバーベルを投げ付けられて流産した。しかし流産したことについては、あくまでナイトさんの責任であるとして責め立てられたという。
インタビューでは、苦痛で屈辱的なレイプをはじめ、激しい暴力や絶え間なく続いた脅迫についても語られた。
 ナイトさんは「毎日、泣いていました。そして、泣くと必ず怒鳴られました。あの家は、元受刑者の小さなおとぎ話の世界だったのです」と当時を振り返り、カストロ元受刑者が「泣く理由などないじゃないか。ここでは幸せでいるべきなんだ」と話していたことを明らかにした。
 カストロ元受刑者の家にはしばしば来客があった。しかしナイトさんは「汚れた、汚らしい靴下」を口に詰め込まれ、そのうえで粘着テープを張られたため、助けを呼べなかったという。
 また「自分が最初の被害者ではない」、「別の少女たちを誘拐しようとしている」と聞かされ、以前にも別の被害者が殺されているものと信じ込まされたことを明らかにした。
2人目の被害者であるベリーさんが連れ込まれた際、全裸だったナイトさんは恥ずかしいとの感情を覚えたという。シーツが1枚与えられていただけで、さらには年に1度しかシャワーを浴びることができずにいたためだ。カストロ元受刑者は「服はいらないだろう…ここにいる理由はたった1つなのだから」と話していたとされる。
 ナイトさんとベリーさんは別々の部屋に監禁され、同じ場所に2人きりになることはなかった。恐ろしくて、2人は互いを呼び合うこともできなかったという。ナイトさんはその後、地下から聞こえてきた叫び声から、3人目の被害者であるデヘスースさんの監禁を知ることになった。
ナイトさんは自分が経験した地獄の苦しみを味わう人がこれ以上増えないよう、カストロ元受刑者に「もう誘拐はしないで」と懇願したことを明らかにした。
監禁されている間に死にたいと思ったことはないのかとの質問には、誘拐された当時、まだ2歳だった息子のことを考えたら生きて帰らなければとの気持ちになったと答えたナイトさん。「死ぬのは簡単な逃げ道です。でも息子には、私が被害者ではなく勝者であり、生き残ったということ、息子を愛しているということを分かってほしかった。息子の愛のおかげで、私は耐え抜くことができたのです」
3人がカストロ元受刑者宅で監禁されていたことは、ベリーさんが玄関のドアを壊して近隣住民に助けを求めたことから明るみに出た。デヘスースさんとナイトさんが閉じ込められていた住宅2階の部屋は、窓に板が打ち付けられて薄暗かった。この部屋からは大量の鎖も見つかっている。
救出時、ベリーさんは監禁中に生まれた6歳の女児を連れていた。後日、カストロ元受刑者がこの女児の父親であることがDNA検査によって確認されている。
カストロ元受刑者は7月下旬、終身刑の受け入れと引き換えに死刑を回避する司法取引に応じ罪を認めた。しかしその約1か月後、刑務所内で首をつり死亡している状態で発見されている
(AFP 2013年11月6日 )




逮捕されたアリエル・カストロは、1960年生まれのスクールバス運転手で、逮捕当時52歳だった。近隣住民からはおおむね評判はよく、社交的で音楽好きだったと言われる。
両親はプエルトリコからの移民で、9人兄弟のひとりとして育った。1979年に地元の高校を卒業し、1980年代に結婚、1991年に地元の学校区のスクールバス運転手として働きはじめ、1992年に、12,000ドル(当時の平均レートで約152万円)で事件現場となった家を購入した。この家は、2階建てで寝室が4つ、広さ130m2の家で、地下室があった。1993年に妻への暴力で逮捕されたが、起訴されず釈放された。1996年に妻が4人の子供たちを連れて家を出たが、その後も妻への脅迫が続いたため、2005年に妻が家庭裁判所へ訴え、接見禁止処置が数か月間取られた。2012年には、度重なる就業不良(交通違反や、子供をバスに乗せたまま買い物や昼食を取ったり、など)で、解雇されていた。家は常に厳重に施錠されており、家族も容易に入ることはできなかった。
2013年5月8日、誘拐と強姦の容疑で逮捕された。800万ドル(約8億円)の保釈金が設定されている。容疑者は女性たちが妊娠するたびに腹を蹴るなどして暴行を加え、流産させたと言われており、加重殺人の罪でも訴追されると見られている。
2013年8月1日、暴行など977件の罪に問われていた裁判で、仮釈放なしの終身刑と禁錮1000年の刑を言い渡された。司法取引が行なわれ、死刑は回避された。
刑務所の独房に収容されていたが、2013年9月3日に首を吊り死亡しているのが見つかった

 
 
 




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