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方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~

2024年05月20日 | 映画・テレビ・動画

イエスの方舟事件

 

 

“ハーレム教団”と呼ばれたイエスの方舟の現在に迫ったドキュメンタリー全国公開

 

「日の丸~寺山修司40年目の挑発~」の佐井大紀が手がけた映画「方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~」が、
7月6日より東京・ポレポレ東中野ほか全国で順次公開されることが決定した。

「TBSドキュメンタリー映画祭2024」で上映された本作は、
1980年に東京・国分寺から10人の女性が突如姿を消したと報道されたことで話題になった謎の集団“イエスの方舟”の正体に迫ったドキュメンタリー。
彼女たちを連れ去ったとされる集団の主催者・千石剛賢は、2年2カ月の逃避行の末に不起訴となり、
事件には一応の終止符が打たれた。
映画では、千石亡き現在も続く共同生活を通して、世間が持つパブリックイメージとは別の彼女たちの生き方が映し出される。


佐井は「TBSに残された貴重なフィルムと、私がこの目で見た彼女たちの現在。
そこから浮かび上がる真実は、シスターフッドか? それとも狂気か?
鑑賞後もあなたは、“ハーレム教団”と呼びますか?」とコメントしている。

 

主宰者の千石剛賢(せんごく たけよし、1923年7月12日 - 2001年12月11日)

が開催していた聖書勉強会が母体となった集団である。
千石は、1923年(大正12年)に兵庫県加西市の富裕な農家に生まれ、
1943年(昭和18年)、20歳で海軍に入隊。
終戦後は自営業である刃物工場の経営に失敗し、てきや、レストラン支配人など職を転々としながら教会に通い始める。
常に何かに飢え、何かに怒っていた。20代は喧嘩に明け暮れる毎日だった。
自分自身の気の短い性格に、いつかは傷害事件を起こしたりして最後は死刑になるのではないかとおびえていた。
夫人と再婚後の1952年、大阪で聖書研究会に参加する。
1960年にはその研究会会員10名とで東京都国分寺市に移動して
「極東キリスト集会」を主宰し共同生活に入る。
これが「イエスの方舟」の起源である。

 

1975年頃、会の名称を「イエスの方舟」と改めた。またこの頃から、家庭には居場所がないと感じていた信者が千石の活動に共感し、
家庭を捨てて共同生活を始めるようになる。信者の多くは若い独身女性だったが、男性や既婚女性も含まれていた。
その後、千石の体調が悪化したことと満足な布教活動ができなくなったことを理由に、
1978年から千石は信者26人と共に全国を転々としはじめる。

信者の家族は捜索願を出すとともに、マスコミにも千石を告発し、協力を依頼した。
まずこれに反応したのが、婦人公論誌である。
1980年に「千石イエスよ、わが娘を返せ」というタイトルで家族の手記を掲載し、
千石を邪教の主宰者と糾弾した。
次いで、産経新聞も反イエスの方舟キャンペーンを張り、
そのほか多くのマスコミも、「千石ハーレム」「現代の神隠し」といった表現で同調する報道が続いた。
1980年2月21日の衆議院予算委員会で民社党衆議院議員神田厚が「狂信的」団体として取り上げた。
これに対して、当時の国家公安委員長であった後藤田正晴の発言によって警察が本格的に動き始め、
イエスの方舟はカルト教団として、全国的に知られることになる。
このころイエスの方舟の娘たちからマスコミに手紙が届いている。
が、ほとんどのマスコミは千石が無理やり書かせたものだとして、無視した。
このような世論の中でもサンデー毎日誌のみはイエスの方舟を偏りなく評価し、冷静な報道を続けた。
当時の編集長である鳥井守幸がその中心人物であった。
便箋20枚に書かれた手紙の行間に漂っている真面目さ、一途さに、
これまでの方舟のイメージが根底から覆るかもしれないと背筋にぞっとする戦慄を覚えたという。
他のマスコミからは「方舟の宣伝誌」などと批判されたが、姿勢に変化はなかった。

1980年6月17日、イエスの方舟たちはサンデー毎日の水面下での招きにより飛行機で上京する。
羽田に降り立った娘たちを見たとき、鳥井は彼女らがあまりに普通のお嬢さんであることに驚いた。
6月18日に千石は密かに熱海の出版社(製本会社)の社員寮に一時移動し、サンデー毎日記者と対面した。
サンデー毎日は千石を匿うとともに、高木一を弁護士として依頼し、
「千石イエス独占会見記」を掲載した。
他のマスコミは一斉に反発した。事態はマスコミ戦争に発展した。
こうしたなかの7月2日、千石に逮捕状が出る。
名誉毀損、暴力行為などの容疑で5人に対して全国に指名手配がなされた。
ところが、このことが新聞報道された7月3日午後6時50分、
千石は持病の心臓病から狭心症を発症し緊急入院して、娘たちがマスコミの前に姿を現し会見を行った。
このとき乱れたセックスがあったのではないかとの記者の質問に対し、
娘らは「夫婦という関係以外では、(性的関係は)全くありません」と毅然と答えた。
また、捜索願が出されている娘たちに関しては、親元へ帰された。
実際に身柄を拘束されたのは韓国籍の1人で、外国人登録法違反で罰金8000円で釈放された。
千石は半月後に出頭した。
彼への取調べは、任意調査にとどまり、
書類送検されたものの翌年、容疑事実は無いとして不起訴処分の決定が下された。

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