星空のバラード

窓を開け星空を見詰めてみても
帰る故郷はもう見えない

XMind起動エラー対策

2009-06-28 22:48:44 | Weblog
今までなかったことですが、先週OSをリーインストールした後、XMindは正しく起動できなくなりました(汗)

まさに「JVM terminated. Exit code=-1」のエラーでした。

OSはWindows XPのSP3で、XMindはオープンソースとProと両方とも調子が悪かったですから、
仕方なくPortableバージョンを使ったりして、例のxmind.iniというファイル
-vmargs
-Xms128m
-Xmx512m
の三行を消してから使ってきました。
ただ、その三行はメモリコントロールなので、いつか問題になる恐れがないとは言えません…

その後、Googleグループでこのエラーの新しい解決策を見つけました。
たぶん今まで一番適切な対策だと思います。
http://groups.google.com/group/xmind/browse_thread/thread/ed9b1a456f8ed9df?hl=ja#

消去ではなく、もともと一番下の「-XX:MaxPermSize=256m」を三行上に移せば良いそうです。
つまり、
-XX:MaxPermSize=256m
-vmargs
-Xms128m
-Xmx512m
というふうに変えればOKです。
やってみたら確実でした。

XMind日本語の誤訳~マップスタイルから新シート作成?

2009-06-05 16:48:15 | Weblog
XMindは、バージョン3.0.1からメニューが多国言語対応になっています。
しかし、日本語の場合、誤訳がありました。【申し訳ございませぬm(_ _)mby訳者】

その中で、どうしても許されない一つはこれです。
まずはメニューから 「挿入」の下から二行目、ショットカットは「Ctrl+Alt+T」にあたる
「マップスタイルに基づいて新しいシートを作成します」というところです。

もともと英語版ではそれが「New Sheet From Topic」なので、マップスタイルなんかに関係ないんですね。
このフィーチャーは、一つのトピックから、新しいシートを作成するの意味です。
XMind 3は、一つのファイルの中で複数のシートを分けて、編集・管理することができます。
普段はめったに使わないだろうと思いますが、
例えば、サブトピック(ブランチ)が増えると、マップが見づらくなったり、データーが重くなったりするかもしれません。
そうなった時には、一つのサブトピックから新だなシートをつくり分けて、
またたくさんの内容を増やすこともできてとても便利だと思います。

□のC、□のMでシート間でジャンプできます。
ほかのマインドマップソフトの「トピック間のハイパーリンク」みたいな感じです。

ただし、新しいシートが生成する時点から、二つのシートに対する編集は、それぞれ独立となります。
つまり、このサブトピックは新シートの中心トピックになって、
その下でサブトピックを添えても、元のシートでは表示しなく、
元のシートのサブトピックにサブサブトピックを添えても、新シートでも表示しないんですね。
あと、Shareにアップする際も、一枚のシートしかアップできないんですが、
プレゼンテーションにはけっこう使いそうな気がします。

XMindでマインドマッピングしませんか

2009-05-18 14:09:11 | Weblog
XMindとはECLIPSEで開発されたオープンソースのマインドマッピングソフトです。

マインドマップのほかに、プロジェクト管理、組織図、フィッシュボーンなど複数なマップ構造も提供されています。
組み合わせ自由、MS-Officeとの連携もなかなか便利です。

OSはWindows、Mac、Linux対応。
USBにダウンロードしてからどこのパソコンに挿せば働く携帯パックもあります。
3.0.1からはメニューは英語、日本語、中国語(繁体と簡体)、ドイツ語と五種類で、入力はほとんど無制限の多国言語バージョンになっています。
(ちなみに、日本語化の仕事に携わっております。m(_ _)m)

まあ、世間にはマインドマップなら手描きであるべきという流れもあるかもしれませんが、
このXMindは、ただ自分を喜ばせるためのものだけではなくて、人にも見せるものです。
だから、キレイに描けば良いではないですか!
エクスポートとインポート、プレゼンテーション、音声メモなどいろんな機能が満載。
なにより、XMindShareで、他人が描いたサンプルを見たり、
もっと多くの人と情報やデーターを共有したり、コミュニケーションすることも簡単にできます。

論文を書くこと、読書メモを描くとこ、あらゆるプロジェクトを設計することに使いそうだと考えられます。
興味ある方は一度、使ってみませんか。
ダウンロードはこちら↓
xmind downloads

土地

2008-10-12 17:49:06 | Weblog
 いつの間にか、第n回の農村土地改革が始まりました。九月上海にいる間に全然聞いたことはありませんが(これはそもそも無関心だからというべき)、先週からネットでいろんなニュースや評論を読んで、やっと時の重要性が少し分かりました。
 簡単に言えば、農村においてこれまでの土地所有制が変わります!1978年改革開放以来行われたのは「家庭聯産承包責任制」(生産量リンク農家請負責任制)なのですが、一応土地の所有権は集体(村か生産隊か昔から受け継いだ概念)にありますが、もう30年という当時決められた年限を超えましたから、当たり前のように請負年限を70年に延長することになりました。ところが、今度は請負人からまた別の人間か会社かに貸し出すことができます。この故に、新しい「土地流転」制度が実際の「土地私有制」と捉えられています。
 既に韓国のメディアに「第三次土地改革」と呼ばれましたが、ただ今某組織に遠く離れた私はまだ何も指示をもらっていません。高校まで大学まで勉強した内容とさっぱり切られたぐらい衝撃的な感じもしますが、よく考えれば、確かに政策が成立の以前から存在している現象です。今の社会現実に合わせて政策を定めるのは当たり前でしょうが、○○主義理想からまた一歩後退したじゃないかと考えたら、撃沈されてしまうかもしれませんね。
 ○○主義から絶えずに転向するのはしようがない現実で、かえって正しい唯一の道とされていますが(ちょっと不気味)、政策を考えることを法学部に任せます。ここで記録したいのは、今回のきっかけで、歴史の中の土地問題をもう一度見直そうと呼びかける中国史学者たちの言論です。政府とぴったり歩調を合わせた清華大学秦暉教授は、①過去において私有制が土地合併、社会危機~農民戦争まで繋がることを否定して、②資本国家も土地徴用権を持つことと主張して、土地流転を賛成すると同時、国家の上位的な権利を認めています。①については、これからの実証的な研究成果を待たねばなりません。②については、一つ思い出したのは最近中国のネットにはやっている成田空港の衛星写真で、中国では、土地徴用拒否の人・家庭は「釘子戸」と呼ばれているので、三里塚は日本の釘子戸として、知られる(尊敬の意味)ようになりました。
 これからはどう展開するのですか。さっぱり分かりません。自分の興味関心は一度も土地にあったことはありません。しかし、やっぱりここに来てから、土地の話も聞かせてもらったので、少し敏感になりました。とにかく今学期のS講義もまじめに聞きま~す。と言っても、農村の部分はもう終わりましたね

私の夢

2008-09-01 11:50:18 | Weblog
 中国では、今日は小学(=小学校)と中学(=中学校・高校)の始業日です。入学したのは1989年のこの日なので、もう19年も経ちました。

 この19年間、先生に「私の夢」をタイトルにして作文書かせられたことが何回もあるでしょうか。もう覚えていません。あの時、何を書いてしまったのかも覚えていません。だって、一度もちゃんとした夢なんかを持ったことはありませんから。書いたのは、うそばっかりにすぎません。

 院試の時にも、聞かれました。日本語を教えると答えました。その時本気に考えたかもしれませんが、そのうち変わったりまたウソになってもおかしくない=こいつのことですから。実際、F大の院試に同じような問題に大学に迷惑をかけずに自力で就職すると答えたようです。(試験官にうちの専門が就職しかねるから覚悟してるって聞かれた以上…)

 これまでの人生は、高校卒業の時、親友に書いたメッセだけの通りに展開してきました。しかし、それも夢ではありません。とにかく現実逃避、恋愛逃避、人間逃避…のやり放題でした(笑)。他人には役立つ仕事をするべきだと教わったからでしょうか、この難問を「他人」に投げてしまったと近年、や~と分かりました。

 えーと、また暗い内容になりました。最近よく怖い夢を見てました。幸いに、夢だけで、現実にはなりません。ですから、夢なんか、美しく綺麗に作られても、意味あるのかと昔からずっと考えていました。考えすぎです。

 夢はあまり好きではないですが、その反対、承諾(=自ら言い出したこと)を重んずるのです。親友へのメッセは自分で書いたものなので、ばかばかしくても、まさか現実になりました。

 こんな綺麗な九月に、また大好きな札幌に離れなければならないのです。爽やかな秋と分かれて、すべての生き物が枯れるほどカオスに入りこみます。私の夢は、実家の近くの大学の近く(=実家の近くあせあせ)に可愛い喫茶店を経営すること。きつねのグッズがいっぱい飾れて、本棚に日本語の絵本と小説があります。週に一回、2本の映画を上映させます。えーと、著作権保護違反になるかもしれません。みなさん、内緒にしてくださいませんか?

 私の夢は、世界を変えることです。

ザ・マジックアワー

2008-08-28 21:52:10 | Weblog
割りと小さなシアターに観ました。みんなと一緒に笑いました。

豪華なキャスト
素晴らしい脚本と演技

(映画とあまり関係ない話ですが…)
ロードショーの前からも、今ドイツにいる親友にみろうと命令されました。私より日本映画の情報をよく知っている彼女も、来月中秋節の頃上海・合肥に帰省するそうです。
何年ぶりの再会…
ドラマ・アニメ関係のグッズが求められて、私もようやく人に必要と思われて嬉しいです(…気持ち悪くなります…)

昨日の夜まで泣きましたが、今日はまた笑える自分に、少し自信が持つようになりました。ほんとは子供並みの行儀ですが…

スポーツは国境なし

2008-08-24 16:22:40 | Weblog
さっき、ボクシング男子48キロの決勝は鄒市明さんが優勝しました。これで、中国代表団が金メダル50枚を獲得しました。20年前、初めて見たソウル五輪は5枚だけでしたから、10倍という信じられない成績に対して、すごいとしか言葉はありません。選手たち、コーチたち、そしてご家族たち…おめでとうございます。お疲れ様でした。

 正直に言えば、先週までは50枚を思っていませんでした。もともとそんなたくさん取らなくても、素晴らしい試合やパフォーマンスを見せてくれれば十分ですし(個人としては飛び込みは一番の楽しみと思います)。でも、好き嫌いなんかにもかかわらず、この日はやってきました。

 鄒市明さんが金メダルを手にして、カメラに「これは中国人のものだ」と喜んで泣いた画面を見た瞬間、半分冗談の気持ちで「お~い、ご自分のものだよ」と言いたかったが、すぐ「よいじゃないか」と悟りました。確かに「挙国体制」よりカナダ、オーストラリアなど先進国のような選手はキャラを持ちながらスポーツを練習して、オリンピックに参加するほうがもっと相応しいと思われますが、体制の優劣によって選手たちの努力、そして気持ちを評価するわけはありません。北京五輪を通じて、変わっていく中国が覗けまして、その行方を楽しみにする同時、そのスタートと経由も無意味ではありません。

 今の中国はもう金メダルに自信を求める必要はないと、よく言われています。そして、オリンピックに求められることは、自信のほかに、喜び、楽しみ、愛情、寛容…もっとたくさんあるはずです。1990年代よく罵倒された「海外軍団」がようやく認められる傾向も見られます。(選手にはまだ厳しいですが)アメリカ女子バレーボール、オーストラリア飛び込み、シンガポールバドミントンなどに「敵を助け」にいった中国人コーチたちには熱い拍手が送られました。勿論助けに来た日本人韓国人…コーチたちにも。その事実だけを国民に伝えたのは(残念ながら?)よく「思想統制」と批評された中国中央テレビも最も積極的な姿勢を見せています。

 [これは面白いです。小学生の時、そのジャーナリスト兼キャストに憧れたことが昨日のようです。途中彼らも時代遅れのおっさんにすぎないと思ったこともありますが、やはり大人をなめにしてはいけません。普段見えなくても、穏やかな水面下、すごい知恵と力が流れています]

 外国人コーチに感謝する気持ちを含めて作られたCMが流されています。その画面には、「金メダルは帰属あり、スポーツは国境なし」というセリフが飾れています。国の名誉、人民の希望を24年ほど考えた後、ようやくもっとたくさんのことが考えられるようになりそうです。それを、50枚の金メダルを獲得した後だけで言えるセリフではないと望んでいます。

ps:この日記が一度誤操作で消去したことがあり、最初に書きたかった内容に少し離れてしまい、仕方がありません。そして、その暫くの間、もう一枚が増えましたOrzロンドンは金メダル保衛戦にならないようにお祈りします。

日本のマスコミめ

2008-08-19 01:21:22 | Weblog
ウソばっかりの記事。うちの大学の電子掲示板に、劉翔くんを褒めるほど応援する人は圧倒的に多いです!

棄権の英雄・劉翔に容赦なし、ネット上には「この脱走兵め」(読売新聞) - goo ニュース

缶は「カン」ではない

2008-08-09 11:46:24 | Weblog
五輪開会式NHKの解説はCCTVのよりも画面に合っていると思いますが
一つだけ、気になるところがありました

「缶」という古代の楽器がありました。その字の読み方は「かん」ではなくて、「ほとぎ」だと思います。(Goo辞書には楽器の意味はありませんが、形についての説明はあっています)

それは日本語の「缶」はCanの当て字「罐」と同じで、中国語の「缶」ではないですから。「罐」の中国語読みはGuan4で、「缶」はFou3です。音読みフのほうがもっと近いでしょう。
古代の楽器というより、もともと容器の一種ですから、それはほとぎですね。(勿論缶「かん」も容器ですけど^^)実は昨日の太鼓の形でもありませんけど、花瓶みたいかもしれません。
小学校の国語に、「藺相如が秦王に缶を叩かせた」の物語がありました。その戦国時代の楽器ですね。

聖火をつけた人々

2008-08-09 01:20:43 | Weblog
許海峰さん、初めてオリンピック金メダルをとった選手、私と同じ安徽出身。

李小双さん、双子のお兄さんと二人とも体操選手、中学校時代の公認イケメン選手、歌も上手

高敏さん、飛び込みの女皇様、私には初めてのオリンピックに関する記憶です。1988年の夏、黒白のテレビの前に、一生懸命彼女に応援しました。
.
.
.
そして最後は李寧さん。点火式はともかく、AddidasとNikeとは怒るかもしれません…

素晴らしかった、開会式は
さすがに張芸謀さん
もともと期待していなかった私も完全に、感動しました。

一番気にいたのは、足跡の花火です!
なんか、「今すぐ北京に行きたい~」と思うようになったほどです。

今回のオリンピックは、生中継は各国国境以内に限定されるので、日本にいると中国のネットメディアは使えないです。ですから、NHKでしかみられません。中国チームの試合は一部は残念で見られません。でも、日本にいるのはまだましかもしれません。オーストラリアにいる友人によると、向こうのアナウンサは殆どの時間は沈黙だったそうです。でもNHKは谷村さんを誘って、CCTVよりも良いかもしれない解説をしました。さすがに一衣帯水。でも最後の通訳は中国語より早すぎました。別にいいですが^^

顧みると、1990年アジア大会の後から、今日の開会式はもう考えられ始めたと言えるでしょうか。勿論こんな具体的な形ではありませんが。例えばたくさんの人により、一つの巨大な図案になるという発想。

一つのワールド一つのドリーム。「地球に優しい」ということもこの夢の一部分でしょう。今日のニュースによると、最後の李寧さんを推進する動力は人力だそうです。(ほかのところで使われるエネルギーも知りたいですけど)

今日まで、どのぐらいの数の人々は貢献しているのでしょう。

靖国

2008-08-07 23:55:13 | Weblog
このドキュメンタリーは今札幌で公開されているのです。

以下は(不真面目な)感想です。

混乱。
寝てしまいました。

さて、もう少し詳しく書きます。

 まずこれは映画だと言いたくありません。光線は暗すぎ、画面は揺れすぎ、撮っていた人の目線はどのぐらいの高さだったのかとずっと考えていました。最初の30分は、とにかくさまざまなパフォーマンスが映されていますが、フォーカスが合わないかもしれないから、とても見辛かったです。

 そして、分かりにくさ。春に話題になった頃、マスコミはこの映画の客観性を褒めるためによく「実際この映画に解説や文字などはあまり入っていない」と強調したことを覚えています。しかし、一回観るとすぐ分かりましたが、それは客観性の保持というより…まったく分からないですよ。

 始まりのところ、靖国刀は今でも神社境内で作られているという説明がありました。しかし、映画の中の職人さんは(マスコミによって)神社の中にいる人ではありません。この人は誰か、お年はいくつか、どこに住んでいるか、いつから刀を作り始め、中断されたことないか、父も刀の職人か、地元に刀製造業は発達か、今日本中このような職人は何人?家族はどう思う?恐らくそのお爺さんの知人に徴兵された人もいたはずだろう…といろいろ問題が出てきます。しかし、一つも答えられませんでした。

 続いて、パフォーマンスの単調さ。靖国で行われるパフォーマンスというと、大体そういうもんだろうと思います。しかし、それは毎日毎日行われるわけではありません。単にそれだけを撮ると、靖国神社の素顔が描くことはできません。監督は一体ナニをダレに見せたかったかは分かりませんが、多分なんとなく知っている人にも、まったく知識を持っていない人にも満足をもらえないでしょう。中国人の観衆だったら、じゃなぜ私の日本人の友人、そんなに優しい女性も靖国に行ったのかと質問する可能性もあります。このような質問に対しては、平日澄みやかな青空の下に靜な境内のシーンは不可欠だと思います。実は、絵馬に明らかに中国人や韓国人が書いたお祈りも見られるし、じゃなぜ彼たちは平気にそこまで進んでいったのですか?「中国に戻れ」とは言われずに。
 この意味で、この映画はやはり一極的に偏っています。左か右かははっきりと言っていませんが、表に偏っています(裏はどう?)。

 勿論、個人としては興味津々に観た部分もあります。
 台湾から来た原住民の女性が神社の職員に詰問しているシーンです。最初はこのグループはどんな人かは(服の文字が見えないから)全然分からなかったですが、やっと中国語が流されました。彼女の気持ちはすごく伝えられると思います。ちなみに、現場の同時通訳の言葉遣いは彼女よりずっとずっと乱暴です(むしろもう通訳じゃねえよ)。

 お寺の住持さんのお話です。多分、これは一番の見所だと思います。でも、また下手な撮り方に負けました。大体撮影の人は、自分の関心だけを撮っていたでしょう。映画に何枚の賞状が出てきますが、すべての書面はカメラにカットされてしまいました。ゼミでK○先生がこの史料の省略された部分が見たいと言った時の気持ちは分かりました!500万画素のデジカメでも良く撮れるはずなのに...

 もう一つは集会を「妨害」した日本人青年に「中国に戻れ」と繰り返して怒鳴した中年男。事実に即って記録するのは勿論良い事ですが、長すぎではないかと感じられます。正直に、最後はその青年の「日本人です」だけが聞きたかったですが、その辺の音声は曖昧ですし、編集のアンバランスでもありますか。まあ、もしそれはドキュメンタリーのあり方だと言われれば、私は言葉を返しません。

 そして、例えこの映画は中国で上映されるとしたら、カメラがいきなり遊就館に移っても説明がついていないことはけしからんと思います。しかも、遊就館に展示されるのは、実物だけではなくて、文字もありますよ。漢字いっぱいあるから日本語が分からなくても、親しいと思わない中国人はいるわけはないと思います。そういう言葉遣いは、ただ戦争の結果と立場が変われば、まったく違う雰囲気違う効果になりますよ。靖国の「戦前と変わらない」という特徴は、ある意味で歴史教育にいい教科書を提供しているのではないでしょうか。しかし、出来上がった映画によっては、「靖国=刀=戦争=昔から変わらない」の繋がりは一番強く印象に残されています。靖国の今にとってのもっと豊な意味は見られません。大体パフォーマンス自体も過去より今の何かを目的として起こされたほうが多いと思いますが…

 多分監督は糸として職人さんのことを使おうとしたでしょうが、私ならそれを一番最初に全部使っちゃいます。なんとなく、靖国をめぐって展開されるパフォーマンスはその原初をだんだん離れてしまって、人々もそれを忘れてしまったような気がします。確かに刀は刀ですが、しかし、「靖国」という名称は、国に命を捧げる意味ではないでしょうか。その時代の人にとっては、その表現形式は戦争に赴くのですが、今ならきっと変わったでしょう。(今の教育は駄目と言った年寄りによって、彼の持つ靖国観は人殺すことと関係ないですね)

 最後、最後の10分ぐらいは完全なゴミタイムです。全体1時間に短縮して欲しいです。えーと、中国人の映画は張芸謀以外全部駄目と思う私ですから。

 以上、いろいろ文句を言いました。でももし時間が昨日に戻れば、やはり見に行きたくなります。1800円なら絶対損の気持ちになりますけど、私は1000円で観ましたから...かな?

PS:EDの字幕に文化庁助成と書いてありましたっけ?見付かりませんでした。

「心の中に身を隠す」

2008-07-23 02:21:47 | Weblog
タイトルは新渡戸さんが詠った漢詩だそうです。

この一ヶ月ぐらいはほとんど部屋に身を隠してた。
普段の話す相手は二人の上司しか居ません。
ですから、しゃべる能力は急遽↓...
上司たちは、前から「ここに来る人間なかなかいないんだ」と話してた。
でも、自分だけの世界に隠れることも、ある意味で、隠れられることは、なかなかすごいでしょう。

今日は、くずし字と2時間ぐらい戦った後、仕方なく飽きた。。。
ちょうどお昼の時間だから、大学祭をもう一回巡ってきた。
朝は雨だったので、観客はお昼から集まってきて、にぎやかだった。
食べたかったたこ焼きは安すぎるから、長~く並んでる。
待ちたくないから「春巻」「ちまき」「ごまボール」の店に行った。
(今入力してる時初めて分かった、ちまき=粽のこと。汗!)
そこのちまきとは、竹の葉で作った四角の箱に、海鮮ご飯を入れる蒸し物のようなものですが、
普通、端午節の定番は「粽子(そうし)」という4つの三角の側面を持つ奇妙な形になってるもち米を包んでる食べ物です。
海鮮ちまきの隣にあります。
「生煎」「麻球」「粽子」のセットは、いずれも昔の朝よく食べたものです。
知り合いサービスの値段でセットを買った。そして「春巻」と「ちまき」もご馳走になった~とても美味しかった~~~~~~予想以上美味しかった~~~粽子の形は少し崩れたが、それは、もともと難しいものです。

春秋時代、楚国の屈原大夫が王に上諫したが、王は全然聞いてくれなかった。屈原は悲しくて石を抱いて汨羅江(ミラこう=現在湖北省)に身を沈んだ。後世の人は彼を記念するため、毎年の端午節に、粽子を作って魚に江に投げる。今になっても全国で龍舟レースが行われます。

もっと前の朝代、王に無視された大臣たちは、自殺したものもいれば、山の奥に遁隠したものもいる。中国文学にも、隠者の歌がたくさん残っている。
ところが、山に身を隠すことは、実に易い。他人とつき合わせずに自分の心の穏やかを求める一方だ。言い換えれば、人間との接触が少しでもあれば、心が乱れられる。
この意味で、「市」(人の世)に身を隠すことは、もっと素敵な境でしょう。いくらぐらい周りが激変しても、多分自分も変わったりするとしても、精神の純粋が守れる(善とか)。
この場合、身が市に隠れるのではなく、本当は自分の心に隠れているでしょう。強い心があれば、自分の信念が守れる、というのは理想な境かもしれません。。。

話を戻しましょう。
それて、「北京糖葫芦」の前で、店員さんに捉まれた。
砂糖がなくなったから、買ってくれ~え、え、私でいいの?
生協に行ったら、1パックしか残っていない。大学祭って、生協も儲かるね~店に戻ったらまた知り合いサービスで試作2本をご馳走になった。

知り合いとか、全然知らない中国人たちでした。

嬉しかった。

夕方帰る時、ネパール雑貨店でバックを買った。本は一冊しか入れないぐらいのサイズで、少し足りない感。ネパール店といっても、ボスは日本人のおばさんらしい。「どこから来たんですか?」の問に対して、「中国」って答えたら、おばさんにすぐ店で手伝いしてる中国人男性を目の前に押された。そのお手伝いさんは、この春に来たばかりなので、まだ日本語が話せないって言ってた。
それを聞くと、少し感心してた。
言葉の壁を乗り越えて、活躍している彼に。
私は、もう、長い間にしゃべったことがないから、話せなくなった。

コミュニケーションは大事です。
言葉ではありません。

あの夏、いちばん静かな海

2008-07-23 02:15:38 | Weblog
一ヶ月前ある日、アメリカの友人から不意なメッセージが届きました。
 ――水原の夏、あなた、覚えていますか

 覚えていますか。2005年の夏でした。
 卒業式の翌朝、Lサイズのスーツケースを引いて初めて浦東空港国際出発ラインを越えました。
 スーツケースの中に入っているのは、インスタントラーメンでした。
 金持ち向けとよく言われる大学間国際交流の一環になったサマースクールに向かう貧乏学生の私。
 大学の専門は理系とまったく関係なし、というより、実は韓国なんか大嫌いの私。
 ただ一人ぽちの夏休みが怖かったから、どっかへ逃げようと思って申し込みをしました。
 同行する人には、朝鮮族の子もいるので6週間ずっと彼女に頼りました。

 覚えていますか。初めて登ったキャンパスの山。
 荷物を学生寮まで運ぶのは大変でした。しかもそれから毎日何回もあの山を登ったり降りたりしました。
 授業は言うまでもなく、寮には熱湯がないので、シャワーもキャンパス外のジムまでいかなくてはならなりません。
 そこで、ただで水泳もできます。
 毎日微笑んでいる受付嬢。
 筋肉を鍛えるためクロールとバターフライだけで必死に泳いでいる韓国人。
 殆ど毎日英語で声かけてくれた男。
 最後の日にアイスヨーグルトをご馳走してくれた中国人のお姉さんとお兄さん。
 そして、一階のFamilyMartでサンドビスケットを買って戻ります。

 覚えていますか。街中に満々と掲げられる太極旗。
 そして、旗に咲いている顔が大きなむくげの花。
 私は文化ショックを感じた時は滅多になかったのですが、韓国だから当たり前と思ったことが多かったのです。
 朝6時に工事をしに勝手に寝室に侵入した作業員。
 肩を抱いて店に誘おうとした声が大きなおばさん。
 あなたのデジカメはだめと言って、綺麗にとれらた写真をくれたホットドッグ店のおじさん。
 「卵の花」がいっぱい咲いている水原華城を観光する途中で出会った散歩される可愛いワンちゃん。
 郊外のタミナールで迷い子になった私に中国語で「小姐、請上車(バスにどうぞ、お嬢さん)」と言って大学まで送ってくれたバス運転手さん。
 ちなみに、川端康成が「ありがとう」で書いた運転手さんの敬礼を国境の田舎で見えました。

 覚えていますか。河回で作った紙の仮面と手鏡、そして一枚の白紙。
 そして、毎週の韓国文化体験タイムのこともありました。
 想像力に乏しい私は、キラキラ陶器を作れるあなたたちが羨ましいです。
 アリランの歌を全部覚えてきたあなたたちが羨ましいです。
 でも私も太鼓をよく敲きました。
 跆拳道(テコンド)がよくできました。
 その時、アメリカで黒帯まで取れたあなたと友達になりました。
 年下だけどおとなしいあなたが、板門店のあの「統一」という彫刻の写真を撮っている私の後ろ姿を何枚も撮りました。
 あなただけではなく、日本語専攻の弟みたいな彼たちとも一緒にお昼を食べて、韓国語を勉強しました。
 
 覚えていますか。図書館の前に植物の香が匂っていること。
 毎日午後視聴室で韓国ドラマと日本映画をみて過ごしました。
 ティッシュを大量消耗させたあのドラマの名は「夏の香り」でした。
 ばかばかしいストーリですが、ただ主人公の顔だけ見れば涙が溢れてきました。
 新海誠の「星の声」も見えました。
 「届かぬメールを待ち続けるのないように、心を硬く、冷たく、強くしよう」
 この言葉にも、また涙を掬いました。
 一万ウォンの国際電話カードが切れました。

 覚えていますか。6月末のくせにまだまだ冷たくて堪えなかった慶州の海。
 湿り気をたっぷり含んでいるから重さが感じられる塩味の空気。
 あのピアノが上手の朝鮮族の子は知らないとこから知らない花を摘んできました。
 彼女は靴を抜いて、砂浜に座り込みました。
 17歳の夏に裸足で海水と砂が踏みたかった私は、この22歳の夏に初めて不可能という言葉が分かりました。
 隣に彼女は花びらを切って、小さなテストをし始め、恋の運命を探していました。
 「(彼が)愛してる、愛してない、愛してる、愛してない、愛してる…」
 カモメが飛んでいる青空の下は、あの夏、いちばん静かな海でした。

翻訳拒否はトイレットペーパーよりも軽かった

2008-07-18 01:52:09 | Weblog
小泉孝太郎・大泉洋
1944年8月5日、オーストラリア・カウス捕虜収容所
1104人の大脱走
~あの日、僕たちの命はトイレットペーパーよりも軽かった~

 戦陣訓を早く忘れて、精一杯生きていくことを願う大泉は、帝国軍人としてやはり死を望む小泉を助けて、代わりに自分が銃弾に撃たれた。しかし、帰国後、大泉のことをずっと敬愛して悔しかった小泉は、彼が妻に書いた手紙を持って、彼の実家に訪れた時、手紙を渡すことができなかった…
 前半は楽しいけど当たり前の感じで、平凡に展開してきたこのSPは、終盤に入る前に、一つ予想以外のエピソードが現れてきました。

 今回は、中国のネット上で活躍する字幕作りチームが1時03分と1時31分のセリフに対して、「翻訳拒否」をしましたから、友人にはぜひそのセリフの意味を教えてと頼まれました。きっと「軍国主義」の言葉だろうと思いましたが、実際観たら、そんなにたいしたものではない感じでした。
 脱走する前に、大泉がした脱出した後は何かとの質問に対して、班長は「靖国で会おう」と答えたこの言葉と、オーストラリア軍の銃弾に撃たれて死ぬ直前ある人が叫んだ「大日本帝国万歳」と二つのところです。
 それは別にこのドラマが主張する理念でもなくて、それを言った人物が持つ本音と必ずしも一致しているわけでもないですから、翻訳拒否をしたのは笑われるべきほどの大袈裟になってしまったのではないかと思っています。

 ドラマでは、他にも「鬼畜米英」や「非国民」など、戦時の用語がいっぱい出てきました。日本人にとっては、それは常識かもしれませんが、一般中国人には、あまり親しい言葉ではないでしょう。私たちは日本兵のことを「日本鬼子」と、朝鮮戦争の頃に「美国(アメリカ)鬼子」、また外国人のことを「洋鬼子」と呼ぶことがあります。同じように、太平洋戦争中、日本も英米のことを「鬼」と思っていました。彼らが考えた敵は英米です。しかし、私たちはその戦争を中国と日本との戦争だと認識しています。分岐もあるし、同じような情緒もありました。これは知らなければいかんと思います。

 今回の大日本帝国万歳と、映画「大日本帝国」の篠田三郎が死ぬ前に叫んだ「天皇陛下万歳」と、いずれも賛美と思いかねます。彼たちが生きたかった理由もお母さんですし、死に賛成した理由も村八分への恐怖です。どちらかというと、国家ではなくて、家族や郷土です。しかし国家に強制されたから、というところは悲しいことです。
 また、靖国も靖国だけど、物語を語るための一つの言葉に過ぎないですから、歴史を述べる時もそうだし、現在の人の心情を考えて、皇帝の名前を忌避するように敏感な言葉を伏せることはなんだろうとしか考えられません。一言で言えば、翻訳拒否を通して、自分の愛国の心情また政治的立場を表明するのはあまりにも甘すぎると思います。

 まあ、孝太郎「ちゃん」の演技は相変わらずあれだけど、最後まで(最後だけ?)観れば楽しめる作品です。

吾輩は猫である

2008-05-23 02:23:10 | Weblog
普段はなかなか見るチャンスがない映画です。
この度は市川崑監督を記念するため、蠍座に上映されることになっています。
見る前に、小説をどのように映画にすればいいかしらと少し思っていました。
[それほど厚い小説に断片的なドラマしか見られなかったと思ったのは私の失敗です。ちなみに一番好きな漱石作品は『こころ』と『それから』]
原作をもう覚えていないですから、映画に対する期待は二つだけ残っていました。
映画はどのように繁雑な日常からそれぞれの人物像を抜き出すのですかと
篠田三郎さん~~彼はいくつかの文学名作の主人公を演じていましたが、まだ一度も見たことはありません。
とはいえ、この映画では主人公ではありません。

仲代達矢です。
化粧の髭のお陰で、漱石の自画像とものすごくそっくり見えます。
そこそこ少し不自然な感じもします。映画より舞台のほうに近い演技だと思っています。
ほとんど室内で撮影されたものでしょうが、吾輩と黒と追いかけるシーンだけは草のなかですから、そこも微妙ですが。

何回も笑い出しました!
小説を読む時、正直に言えば、あまり笑ったことはありませんね。
教科書に「ユニーク」「ユーモア」と書かれても、そんなに面白く読めませんでした。
あの時私もまだ物知らなかった...のせいですか?
映画館には10人ぐらいの少人数で、大きな笑い声は絶えなかったです。珍しいことかしら。
[ちなみにメビウスを観る時、2人しかいなかった。しかし、叫ぼうとする衝動を我慢した...残念]

文字のせいで[音声を考えないものなので、失礼]、苦沙彌=くしゃみのことが初めて分かりました[反省]
映画は漱石=苦沙彌を強調して、鏡子夫人のことにも力を入れましたね。
『道草』にあのように酷く書いてありますが、明治夫婦の間に存在する愛情は本当に不思議なものですね。
子供のこともそうですし。
猫を可愛がっている漱石は、本当はものすごくさびしくて、人間愛がたっぷり欲しがる人ですよね。
なのに、なぜ人間不信の意識もそれほど強いですか。
映画の最後まで、猫の死をめぐって、夫婦はようやく一致になりました。めでたし、めでたし。

篠田さんは2場所だけ顔を出しました...たりない、たりないよ。金閣寺が観たい~