日蓮への路

日本を愛していた日蓮を偲んでのブロクです。

魏志倭人伝について

2005-08-16 00:30:15 | 日蓮について
魏志倭人伝について見てみましょう。

魏志倭人伝-検索

魏志倭人伝-ウィキペディア(Wikipedia)より

魏志倭人伝 (ぎしわじんでん) は、中国の歴史書『三国志』の中の魏の歴史が書かれた「魏書」(通称『魏志』)の東夷伝に収められている倭人の条の日本において一般に知られる名。『魏志倭人伝』の名はあくまで通称である。

東夷伝-ウィキペディア(Wikipedia)より

東夷伝(とういでん)は、中国の史書の中で、中国の東方に住んでいる民族、部族、国家などについて書かれた伝(記述)。

東夷は、元々は中国の山東半島一帯に住んでいた実在の民族の事を差していた様だが、史書が書かれる時代には東夷は消滅しており、一般的に中国の東に住んでいた諸国、民族、部族などを差していた。

楽浪郡-ウィキペディア(Wikipedia)より

楽浪郡(らくろうぐん)は紀元前108年から西暦313年まで朝鮮半島北部に存在した中国王朝の郡県、つまり直接支配地域である。郡治(郡役所所在地)は現在の朝鮮民主主義人民共和国平壌特別市にあった。東方における中国文明の出先機関であり、朝鮮や日本の文明化に大きな役割を果たした。

帯方郡-ウィキペディア(Wikipedia)より

帯方郡(たいほうぐん)は、後漢末・三国時代に遼東半島および楽浪郡を支配していた公孫氏の公孫度が204年、楽浪郡の南方を分割して新たに設置した郡。今の黄海南道もしくは京畿道近辺に有ったと推測されている。
三韓や倭と中国大陸を結びつける窓口の役目を果たしており、魏志倭人伝の邪馬台国記述にある帯方はここであると言われている。
八王の乱によって中国が再び内乱状態に入ると漢民族の影響力が及ばなくなり、313年 南下してきた高句麗によって滅ぼされる。


紀元前後の日本は、100余の国があったと漢書に記されてます。前漢の武帝が、紀元前108年に、朝鮮半島西部にあった衛氏朝鮮を滅ぼし,その地に楽浪郡を設置しており、そこで倭国との交流があったと思われます。

邪馬台国の名前が出てくるのは、もしかすると、魏という国家と、邪馬台国に特別なつながりがあったためかもしれない?・・・などということを思ったりします。

この時期の日本人の暮らしは、インターネットなどが使われることを除いてですが、現代の人々の暮らしと変わらなかったのだろうなと思う、今日、この頃です。



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