信心、信仰って、何でしょうか?
まずは、一般論として意味を調べてみましょう。三省堂提供「大辞林 第二版」より
信心
(名)スル
神仏を信ずること。神仏を信ずる心。
「―が足りない」
――過ぎて極楽(ごくらく)を通り越す
信心も凝りすぎればかえって邪道におちいり、害になる。
――は徳(とく)の余(あま)り
信心は、生活に余裕があってはじめてできる。生活に追われていては信心を起こすひまがない。後生(ごしよう)は徳の余り。
ちょっと意外な意味に、驚きました。
では、信仰についても、見てみましょう。
信仰
(名)スル
〔古くは「しんごう」とも〕
(1)神仏などを信じ崇(あが)めること。経験や知識を超えた存在を信頼し、自己をゆだねる自覚的な態度をいう。
「仏教に厚い―を寄せる」「神を―する」
(2)人を信じうやまうこと。
「三郎の為人(ひととなり)を益々景慕し、弥々(いよいよ)―する心を生じた/薄命のすず子(お室)」
信仰というのは、信頼することなんですね。神仏などの存在を信頼する。いい言葉ですね、分かりやすいです。
神仏の存在を信頼する、そして信ずる心です。
日本人にとっては、日常的な、当たり前のことかもしれませんね。
奉仕や強制、まして要求ではありません。
何か、勘違いしていませんか・・・。
奉仕
(名)スル
(1)国家・社会・目上の者などに利害を考えずにつくすこと。
「社会に―する」「―の精神」
(2)サービスとして特に安く売ること。サービス。
「―品」「特別―価格」
(3)神仏・師・主君などにつつしんでつかえること。奉事。
奉仕をすることは、信心ではありません。そして、社会に於ける奉仕の精神と分けて考えるもののようです。神仏につかえている、僧侶などは、別のようですが・・・。
愛国心の人、日蓮を偲んで・・・。
まずは、一般論として意味を調べてみましょう。三省堂提供「大辞林 第二版」より
信心
(名)スル
神仏を信ずること。神仏を信ずる心。
「―が足りない」
――過ぎて極楽(ごくらく)を通り越す
信心も凝りすぎればかえって邪道におちいり、害になる。
――は徳(とく)の余(あま)り
信心は、生活に余裕があってはじめてできる。生活に追われていては信心を起こすひまがない。後生(ごしよう)は徳の余り。
ちょっと意外な意味に、驚きました。
では、信仰についても、見てみましょう。
信仰
(名)スル
〔古くは「しんごう」とも〕
(1)神仏などを信じ崇(あが)めること。経験や知識を超えた存在を信頼し、自己をゆだねる自覚的な態度をいう。
「仏教に厚い―を寄せる」「神を―する」
(2)人を信じうやまうこと。
「三郎の為人(ひととなり)を益々景慕し、弥々(いよいよ)―する心を生じた/薄命のすず子(お室)」
信仰というのは、信頼することなんですね。神仏などの存在を信頼する。いい言葉ですね、分かりやすいです。
神仏の存在を信頼する、そして信ずる心です。
日本人にとっては、日常的な、当たり前のことかもしれませんね。
奉仕や強制、まして要求ではありません。
何か、勘違いしていませんか・・・。
奉仕
(名)スル
(1)国家・社会・目上の者などに利害を考えずにつくすこと。
「社会に―する」「―の精神」
(2)サービスとして特に安く売ること。サービス。
「―品」「特別―価格」
(3)神仏・師・主君などにつつしんでつかえること。奉事。
奉仕をすることは、信心ではありません。そして、社会に於ける奉仕の精神と分けて考えるもののようです。神仏につかえている、僧侶などは、別のようですが・・・。
愛国心の人、日蓮を偲んで・・・。
非常に詳細な分析、とても勉強になります。
さて、今度当ブログにて日蓮聖人への信仰のあり方について、ちょっとした記事を書いてみました。よろしくご批判ご叱正賜れば幸いです。