日蓮への路

日本を愛していた日蓮を偲んでのブロクです。

岩戸山古墳について

2005-08-08 22:07:05 | 日蓮について
岩戸山古墳って、何でしょう?

岩戸山古墳-ウィキペディア(Wikipedia)より

磐井の乱(527年)が、あったことで有名な筑紫君磐井(つくしのきみいわい)の岩戸山古墳などのあるところです。

磐井の乱-ウィキペディア(Wikipedia)より

磐井の乱-意義

磐井の乱について、その歴史的な意味については諸説あるが、僅かな史料しか残されていないことにより、磐井の乱の持つ意味・性格についての定説はない。

○倭国政府が中央集権を強めるために、筑紫(九州地方北部)を軍事力で屈服させた事件
○倭国政府による朝鮮半島進出により筑紫の人民が搾取され、それに耐えかねて人民が反乱した事件
○朝鮮半島の利権争いを背景に筑紫が倭国政府から政治的独立を図ろうとした事件

しかし、日本書紀より、この事件の後、任那における倭国の影響が急速に低下していることがうかがえる。磐井の乱が何らかの契機となって、倭国が任那経営へ熱意を失った、若しくは任那経営に失敗してしまうこととなったのだろうと考えられる。

磐井の乱-異説

当時、北九州に大和王権とは別個の政権があり、独自の元号(九州年号)や外交権等を持ち、反乱を起こしたのは磐井ではなく継体天皇だったとする説(九州王朝説)があるが、広範な支持は得られていない。

古墳時代-ウィキペディア(Wikipedia)より

4世紀後半から5世紀にかけて、倭軍が朝鮮半島の百済・新羅や高句麗と戦ったことが「高句麗広開土王碑(こうかいどおうひ)」文にみえる。この時、筑紫の国造磐井が新羅と通じ、周辺諸国を動員して倭軍の侵攻を阻もうとしたと日本書紀にみえ、磐井の乱(527年)として扱っている。これは、度重なる朝鮮半島への出兵の軍事的・経済的負担が重くのしかかって反乱となったと考えられる。


すでに仏教が伝来していたのでは・・・とされる時代ですね。文献や資料が残されてないので、この時代に、何が起きていたのかわからないです。そんな中で、唯一、磐井の乱を通して、倭という国の姿、当時の人々の願いが伝わってくる思いがします 



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