鶴岡法斎のブログ

それでも生きてます

脚本家になりかけた話

2006-10-20 06:18:54 | 雑記
前のエントリの続きではないです。申し訳ない。
多分この「オタクバブルと俺の20代シリーズ」(いま勝手に命名)は「思い出したら書く」という感じなんである程度まとまってから各自が編集、コラージュ、解読などを施すと少し読みやすくなると思います。
何しろ余談から余談が生まれ、複雑に絡み合っているから性質が悪い。
自分の頭のなかで整理できたことから順に書きます。

数年前の話。ある人から「映画の脚本家やってみない」っていわれたんですよ。
自分は当時もうマンガの原作やっていまして。評論よりも物語を作るほうが自分は向いている(書いていてストレスがない。むしろ快感が多い)と思っていたので「経験はないですけど、やれるものなら是非」っていっておいたんですよ。
同じ話を何度もしますけどね。父親から美大進学を反対された自分はとにかく経済力で父親に勝とうとしていたんでしょうね。まあその情熱はいつも裏目に出ていましたけど。
もうちょっと優雅だったらな、って思いますよ。貯金とかなきゃあね。
話、ずれますけどほぼ同時期。数年前ですよ。オタク・サブカルバブル。ある純文学の編集者から「小説、書いてみたら」といわれたんですよ。自分にそういう話がくるんだからやっぱりバブルだったんでしょうね。ほんの数年前ですけど。
その編集者さんって晩年の澁澤龍彦の担当だっていうんだからこっちはビビリますよ。
でも条件が無理だった。ていうか当時の自分は怖かったんだよね。小説は完成したものを渡す、と。それで編集部がいいと思ったら出版される。書き下ろしで持ち込みですよね。どれだけ時間がかかるのかと。少なくみても三ヶ月はかかっちゃうんじゃないか、と思ったわけです。しかも純文学の初版部数を聞いて「無理だ」と思いました。食えないんですよ。そんなんじゃ。
本当、ついこの間の話なんですよね。いまでは本当に不思議。自分は金に執着しつつもどうしても儲からない。だって大博打をする勇気も資金もないんだもんね。
後悔はしてないです。ここでの「不戦敗」もいい経験だったと思います。

話、戻ります。映画の脚本なんていいじゃないですか。純文学よりもちゃんと生活ができそうな気がする。
「じゃあ候補者のリストに入れておくね」といわれたんですよ。
自分、何の映画かって尋ねましたよ。
そのタイトルを聞いてますます興奮しました。自分が大好きなマンガの映画化なんですよ。それに関われたらこれはもう幸せだろう、と夢想していました。
でもねえ、結局映画会社からは何の連絡もなし。自分、選考で落ちたんでしょうね。
数年後、その映画が完成しましたよ。悪魔が出てくる悪魔のような映画でした…。
もしもパラレルワールドがあるとしたら「あの映画」の関係者だった鶴岡法斎という人物がいるのかも、と思うと血の気が引くんですよね。

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