―宮城県石巻市立大川小学校―
東日本大震災による津波で、全校生徒の七割が亡くなり、または今も行方不明と言う惨事の起こった小学校。
将来は野球選手になったかもしれない。
将来は一流のコックになったかもしれない。
もしかすると女優になったかも。
先生になりたいと夢見ていた生徒もいたかもしれない。
犠牲者の数だけ未来が失われた。
こんな話がある。
津波の犠牲者の中にA君と言う男子生徒がいた。
震災から四日後、A君の父親は、せめて遺品が残っていないかと、大川小学校に向かった。
教室で遺品を探していると、何かの音がしはじめた。
最初は虫の声か何かだと思ったとの事。
だがその音は少しずつ大きくなって行った。
「一体なんの音だろう?」
A君の父親はその音の鳴る方を調べ始めた。
そして奮闘の末、とうとうその音の正体を見つけた。
そこにあったのはA君の、最愛の息子のランドセルだった。
鳴っていたのはランドセルについた防犯ブザーの音だった。
防犯ブザーはそれからも鳴り続け、ランドセルとともに父親が自宅に着いた途端、鳴り止んだと言う。
校舎は津波に飲まれている。
当然防犯ブザーも一度は水没している。
それでも防犯ブザーは鳴った。
父親がA君の遺品を探しに来た時に。
母親は涙ながらに言う。
「帰ってきたかったんだね。」
この話を不思議なエピソードで終わらせたくはない。
大川小学校の避難マニュアルには、地震が起きた時は「出来るだけ高い所に避難する事。」と書かれていたが、具体的な避難場所は明記されていなかった。
後から考えれば、多少の怪我人は出るとしても、裏山に避難するのがベストだった。
だが、裏山で倒木の瞬間を見た教師は、裏山に避難するのを諦めた。
結果的に、彼らは津波の来る方角に向かって避難を開始する。
生存したのは、避難中に押し寄せる津波を見て、慌てて裏山に避難をした後列にいた僅かな教師と生徒のみ。
前列にいた教師や生徒は津波に飲み込まれた。
裏山に避難するのを諦めた教師の判断がすべて誤りだったとは思えない。
他の学校より、津波に対する意識も高かったはずだ。
しかし、その想定を超越する規模の津波が来た。
「怪我人なく避難。」ではなく、「何人かの怪我人が出ても命だけは…。」と言う苦渋の決断が出来なかったのも、教師としては仕方なかったと思う。
だが、それでもしっかりとした避難経路が確立していれば、混乱もなく、多くの命が救われていたのではないか?
勿論これは小学校単位ではなく、市町村、県、ひいては国家レベルでの対策を打つ必要がある。
いつ起こってもおかしくはなく、国家を挙げて警戒されている東海地震。
東南海・南海と連動した場合、西日本は壊滅的なダメージを受ける。
最悪の事態になった場合、静岡だけではなく、三重、高知、そして宮崎でも津波によって甚大な被害が出ると予想されている。
今回の犠牲を決して無駄にしてはならない。
避難場所、そこに至るまでの経路の確認、そして、避難経路の安全の確保。
これらは、全国規模で早急に見直す必要がある。
以前にもご紹介したが、これらをしっかり行った事で、多くの命を救った自治体もある。
勿論津波だけではなく、避難経路にある建物の倒壊、崖崩れ、倒木等のリスクについても勘案すべき事項であるのは言うまでもない。
原発や被災地復興も非常に重要な案件だが、他の地震についての対策もまた重要事項だと思う。
勿論、国や県などの指示を待たず、独自で対策するのも重要な事であるのは間違いない。
カレーが大好きだったA君。
A君の妹もまた、津波による犠牲者の一人である。
二度と悲劇を繰り返さぬよう、早期に対策を打つ必要がある。
亡くなられた大川小学校の生徒・教師の方々、そして今回の震災の犠牲者の方々のご冥福を、改めてお祈り申し上げます。
東日本大震災による津波で、全校生徒の七割が亡くなり、または今も行方不明と言う惨事の起こった小学校。
将来は野球選手になったかもしれない。
将来は一流のコックになったかもしれない。
もしかすると女優になったかも。
先生になりたいと夢見ていた生徒もいたかもしれない。
犠牲者の数だけ未来が失われた。
こんな話がある。
津波の犠牲者の中にA君と言う男子生徒がいた。
震災から四日後、A君の父親は、せめて遺品が残っていないかと、大川小学校に向かった。
教室で遺品を探していると、何かの音がしはじめた。
最初は虫の声か何かだと思ったとの事。
だがその音は少しずつ大きくなって行った。
「一体なんの音だろう?」
A君の父親はその音の鳴る方を調べ始めた。
そして奮闘の末、とうとうその音の正体を見つけた。
そこにあったのはA君の、最愛の息子のランドセルだった。
鳴っていたのはランドセルについた防犯ブザーの音だった。
防犯ブザーはそれからも鳴り続け、ランドセルとともに父親が自宅に着いた途端、鳴り止んだと言う。
校舎は津波に飲まれている。
当然防犯ブザーも一度は水没している。
それでも防犯ブザーは鳴った。
父親がA君の遺品を探しに来た時に。
母親は涙ながらに言う。
「帰ってきたかったんだね。」
この話を不思議なエピソードで終わらせたくはない。
大川小学校の避難マニュアルには、地震が起きた時は「出来るだけ高い所に避難する事。」と書かれていたが、具体的な避難場所は明記されていなかった。
後から考えれば、多少の怪我人は出るとしても、裏山に避難するのがベストだった。
だが、裏山で倒木の瞬間を見た教師は、裏山に避難するのを諦めた。
結果的に、彼らは津波の来る方角に向かって避難を開始する。
生存したのは、避難中に押し寄せる津波を見て、慌てて裏山に避難をした後列にいた僅かな教師と生徒のみ。
前列にいた教師や生徒は津波に飲み込まれた。
裏山に避難するのを諦めた教師の判断がすべて誤りだったとは思えない。
他の学校より、津波に対する意識も高かったはずだ。
しかし、その想定を超越する規模の津波が来た。
「怪我人なく避難。」ではなく、「何人かの怪我人が出ても命だけは…。」と言う苦渋の決断が出来なかったのも、教師としては仕方なかったと思う。
だが、それでもしっかりとした避難経路が確立していれば、混乱もなく、多くの命が救われていたのではないか?
勿論これは小学校単位ではなく、市町村、県、ひいては国家レベルでの対策を打つ必要がある。
いつ起こってもおかしくはなく、国家を挙げて警戒されている東海地震。
東南海・南海と連動した場合、西日本は壊滅的なダメージを受ける。
最悪の事態になった場合、静岡だけではなく、三重、高知、そして宮崎でも津波によって甚大な被害が出ると予想されている。
今回の犠牲を決して無駄にしてはならない。
避難場所、そこに至るまでの経路の確認、そして、避難経路の安全の確保。
これらは、全国規模で早急に見直す必要がある。
以前にもご紹介したが、これらをしっかり行った事で、多くの命を救った自治体もある。
勿論津波だけではなく、避難経路にある建物の倒壊、崖崩れ、倒木等のリスクについても勘案すべき事項であるのは言うまでもない。
原発や被災地復興も非常に重要な案件だが、他の地震についての対策もまた重要事項だと思う。
勿論、国や県などの指示を待たず、独自で対策するのも重要な事であるのは間違いない。
カレーが大好きだったA君。
A君の妹もまた、津波による犠牲者の一人である。
二度と悲劇を繰り返さぬよう、早期に対策を打つ必要がある。
亡くなられた大川小学校の生徒・教師の方々、そして今回の震災の犠牲者の方々のご冥福を、改めてお祈り申し上げます。